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近年の葬儀(お葬式)方法は、・直葬・1日葬・一般葬の3方法です。
この3方法から1つの方法を選んで行います。
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又、お葬式、法事・法要は檀家のお坊さんに依頼するのではなく、良心的なお坊さんに直接依頼しましょう

近年の葬儀状況

葬儀・家族葬
色々な葬儀方法
葬儀社
お坊さんのお経葬儀
お坊さんの読経葬儀

近年は葬儀社が乱立し、各葬儀社は、色々な葬儀方法を打ち出しています

葬儀の基本(3種類)

直葬の葬儀
葬儀・家族葬
お坊さんのお経葬儀
釜前葬の葬儀
1日葬の葬儀
一般葬の葬儀

直葬の葬儀

直葬の葬儀とは、死亡後24時間遺体を安置した後、葬儀式など行わず火葬に付す葬儀形態です
直葬・葬儀の流れ
死亡→搬送→安置通夜→告別式搬送→火葬場
近年、増加傾向の葬儀形態です


釜前葬の葬儀
葬儀・家族葬
お坊さんのお経葬儀
直葬の葬儀
1日葬の葬儀
一般葬の葬儀

直葬(釜前葬)葬儀

釜前葬の葬儀とは、葬儀式を行わない直葬の葬儀であっても、火葬場のみでお経をあげる葬儀形態です(火葬式ともいいます)
釜前葬・葬儀の流れ
死亡→搬送→安置→通夜→告別式→搬送→火葬場(火葬直前に読経
近年、増加傾向の葬儀形態です


1日葬の葬儀
葬儀・家族葬
お坊さんのお経葬儀
直葬(釜前葬)の葬儀
一般葬の葬儀

1日葬の葬儀

1日葬の葬儀とは、通夜を行わず告別式のみを行う葬儀形態です
1日葬・葬儀の流れ
死亡→搬送→安置通夜→告別式→搬送→火葬場
1日葬での家族葬もあります
近年、増加傾向の葬儀形態です


一般葬の葬儀
葬儀・家族葬
お坊さんのお経葬儀
直葬(釜前葬)の葬儀
1日葬の葬儀

一般葬の葬儀

一般葬の葬儀とは、従来通りの葬儀方法で、通夜があり、翌日に告別式を行う葬儀形態です
一般葬・葬儀の流れ
死亡→搬送→安置→通夜→告別式→搬送→火葬場
一般葬での家族葬もあります
近年、減少傾向の葬儀形態です

葬儀費用

葬儀の費用・基本葬儀費用・葬儀の実費・お布施
葬儀・家族葬・お坊さんの読経・
直葬(釜前葬)の葬儀・
1日葬の葬儀・
一般葬の葬儀

葬儀の費用は、葬儀物品や葬儀に携わった人件費だけではありません。
葬儀の費用というのは、
葬儀の費用=①基本葬儀費用+②実費+③宗教者への謝礼
の総合計なのです。
このことを理解しておかないと、法外な葬儀費用を請求されたと思います。

基本葬儀費用

基本葬儀費用とは、葬儀に必要な物品や葬儀の人件費などで、葬儀社の利益になるものです。

葬儀の実費

葬儀の実費とは、葬儀に際しての、通夜振る舞いや精進落としの飲食費、遺体搬送などの霊柩車・寝台車・マイクロバスの借り上げ費用をいいます。
注意
1,タクシー・マイクロバス代は実費となりますが、霊柩車については、基本葬儀費用に含まれているか注意が必要です。
2,寝台車・霊柩車は、キロ数によっても料金が違ってきます。

宗教者への謝礼
依頼先によって、お布施額に違い

葬儀の費用に於いて、高額になる費用に宗教者へのお礼があります。
特に、お布施は、依頼先によって高額になったりしますので要注意です。
又、依頼先によっては、お布施内に仲介手数料を含めた額を請求してきます。

基本葬儀費用
祭壇や棺・式場借り上げ費用や人権費など葬儀を執り行うための費用
実費
通夜振る舞いや精進落としなどの料理、返礼品で、葬儀社が専門業者に依頼して、葬儀社が立て替えている費用
宗教者へのお礼
お坊さんへのお布施、神道の祭祀料、献金など

葬儀・お坊さんのお経葬儀

近年、直葬(釜前葬)の葬儀が増加傾向にあります。
直葬(釜前葬)の葬儀にあっても、枕経或は、火葬場でのお坊さんの読経である「お坊さんの読経葬儀」で執り行いましょう。

伊丹市での「直葬」の葬儀

直葬の流れ
直葬は、ご遺体を24時間安置した後、葬儀・告別式を行わず火葬に付す葬儀方法です。

死亡→搬送→安置→火葬

① 近年は大半の方が病院で亡くなれらると思います。
② 亡くなられた後、葬儀式場或はご自宅へご遺体を搬送します。
③ ご遺体搬送後、安置します。
④ 葬儀式などを行わず、火葬場に於いて火葬に付します。

葬儀(釜前葬)お坊さんの読経

日本は昔から、僧侶のお経で故人を送っていました。
又、直葬にあっても、火葬に付す直前に、故人を成仏させ遺族の心を癒すお坊さんの読経(釜前葬という)を行ってはどうでしょう。

私達は昔から、お経をあげての葬儀

読経申し込みは「良心のお葬式」へ
お葬式時のお坊さんのお経は故人をあの世に導き、残された遺族の心の傷を癒してくれると言われています。
伊丹市の葬儀広報⇒規格葬儀について/伊丹市

色々な葬儀名称

近年の葬儀は、色々な名称の葬儀が出てきております。
大原則は、一般葬1日葬、直葬の方法です。
直葬に於いて、火葬に付す直前にお坊さんに読経を行ってもらうのが「釜前葬」と言います。
この釜前葬のお経は、浄土真宗でのお経が多いと思います。
その他、大原則の葬儀方法から、家族葬、密葬、宇宙葬、音楽葬、無宗教葬、ワイン葬、シンプル葬、仏式葬儀、浄土真宗葬儀など色々な呼び名の葬儀があります。

伊丹、葬儀・家族葬の移り変わり

葬儀・家族葬の時代の流れ

葬儀の意義
葬儀(お葬式)とは、人を弔うための儀式をいいます。
葬儀は、人の死生観・宗教観が深く関わっていると言われています。
葬儀は、故人を偲び、残された遺族たちが人の死を心で受け止め、そしてその遺族たちの心を癒す儀式であるといえます。
この葬儀に関わってきたのが宗教、日本では仏教です。

近年、家族葬という言葉が定着

現代の日本では、「家族葬」という名前の葬儀が主流となっています。
この「家族葬」とは、少人数でお葬式を執り行う葬儀のことをいいます。
何故、「家族葬」というのが生まれたのか?
日本の高度経済期(1955~1973)頃から、日本の葬儀は豪華な葬儀を行っていました。
お葬式(葬儀)にお金をかけていたのです。
又、そのころからだと思いますが、「弔問外交」という言葉も生まれました。
「弔問外交」とは、お葬式の場で顔を合わし、お互いに仕事をスムーズに行うため、葬儀式の場で交流を深めることをいいます。
葬儀は、「弔問外交」という言葉を生むほど華やかな葬儀でお金をかけていたのです。
そのような葬儀(お葬式)が、徐々にお金をかけない葬儀に変わってきました。
日本は高度経済期から人々は豊かになり、考え方も時代の流れとともに変わってきました。
今まで、家父長制であった家族が「核家族化」になり、家族間の稀薄化・親戚縁者の稀薄化が生まれ、それに伴ったように「隣の人は何する人ぞ」という隣近所のお付き合いも希薄化してきました。
昭和50年頃はまだ、お葬式となれば隣近所の人が葬儀のお手伝いをしていました。
それが葬儀社の葬儀式場を使用するようになって、核家族化が進むと同時に、葬儀参列者も少なくなってきました。
そのようの状況の中、葬儀社は大きな葬儀会館を所持をしていたものの「大きな葬儀会館」を使用されることが少なくなって、大きな葬儀会館は不必要となってきたのです。
大きな葬儀会館を所持しているということは、光熱費などが非常にかかると思います。
葬儀会館を使用しないで光熱費だけがかかっては、葬儀の経営が成り立たなくなります。

少人数の葬儀

出来るだけ葬儀式場を利用してもらうためには、少人数でもよいから「葬儀式場」を利用してもらう必要があったのです。
兎に角、少人数でも葬儀式場を利用してもらうために「家族葬」という言葉が生まれてきたと思慮されます。
近年では、お葬式は「家族葬で行う」というように、この「家族葬」という名称は定着してきております。
「家族葬」という葬儀が出てきたころは、葬儀社は「少人数のお葬式」という考えで、一方、葬儀社を利用する施主などは、「家族葬」という名だから「葬儀費用が安くつく」という考えで、施主側は今まで通りの葬儀参列者数で葬儀を執り行おうとしたため、参列者が葬儀式場に入れなくなり、葬儀が混乱したようです。
又、高度経済成長期頃から各都市の工業地帯では人手が欲しく、田舎では仕事が少ないため、田舎から多くの人が都市へと人口の流動が起こりました。
家父長制から核家族に移行したことから、年を追うごとに田舎居住の親戚と都会居住の親戚が希薄となって、親戚の居住先も分からなくなり連絡も取れず、葬儀への参列者も激減してきております。
そのようなことから通夜のある一般葬では、親戚縁者の居住先が分からず連絡が取れず、親子2名での葬儀もあったと聞きます。
又、令和元年頃からのコロナ感染症の流行によって、「人の移動の制限」「人の参集の制限」によって、葬儀も一段と葬儀参列者数が激減しているのが現状です。
葬儀の現状は「核家族化」というよりも、さらに少人数のお葬式(葬儀)で「同居葬」ともいえるお葬式(葬儀)となっているのが現状だと思います。
葬儀形態も時代の流れとともに変遷してきております。
高度経済成長期ごろはお葬式(葬儀)は通夜のある一般葬が大半でした。
今では、核家族化が進み、葬儀参列者も少なくなって、お葬式(葬儀)自体がこじんまりと執り行うようになって、通夜がある一般葬を執り行うお葬式は激減しているのが現状です。
核家族化によって葬儀参列者数が激減したことによって、葬儀自体が小規模化して葬儀費用も以前と比べればかからなくなってきております。
核家族化・親戚縁者の疎遠化・隣近所の疎遠化などによって、「葬儀にお金をかける価値」がなくなってきているのが現状です。
今の日本は「核家族化」「過疎化」「コロナ禍」によって、少人数の葬儀が好まれ、併せて葬儀にお金をかけないというのが今の日本の葬儀状況ではないでしょうか。
この現象がますます続くものと思われます。
日本は高齢化社会となって、65歳以上の人が三分の一を占めると言われています。
そのような現象から、葬儀業界は一大産業となっています。
高度経済成長期には、葬儀社はかなりの収益があったのか、葬儀社の従業員が独立して葬儀社を立ち上げています。
そして、近年では、親子での葬儀経営や夫婦での葬儀経営と、かなりの葬儀社が乱立していると思われます。
そのような状況の中で葬儀社は集客の為、色々な形での葬儀を打ち出してきています。
只、喪主など葬儀依頼者は、どのような葬儀にすればいいか、どのような葬儀にすれば安く葬儀を行うかを見分けることは困難な状況です。
まず、葬儀の基本を知っておくべきだと思います。
現代の葬儀の基本は、3葬儀方法です。
1つが、今まで通りの一般葬の葬儀、2つ目は、通夜を行わない1日葬の葬儀です。
3つ目は葬儀式を行わない直葬の葬儀です。
この直葬の葬儀にあって、火葬場のみでお坊さんのお経をあげる方法を「火葬式(釜前葬)」と言っています。
葬儀の基本はこの3つです。
葬儀業者は、集客の為「無宗教葬」「ワイン葬」「安い葬儀」「華やかな葬儀」と、色々な名称の葬儀を打ち出しています。
色々な名称の葬儀が、葬儀の基本(葬儀の3方法)の上に成り立っていることを念頭に置いて葬儀依頼を行うべきです。

色々な葬儀社

近年、私達が葬儀社選びで注意しなけらばならないのは、メデァの発達によって、「葬儀社選び」が狭まっているかもしれません。
以前は、「電話帳」が各家庭にあり、その電話帳から葬儀社を選んでいたものでした。
ですが今日、電話帳が無いためどうしてもテレビ・パソコン・スマートホンなどのメデァに頼らざるをえません。
電話帳ならば誰でも「葬儀社」を選ぶことが出来ます。そして電話帳に記載されている葬儀社の宣伝も観ることが出来ます。
テレビでは一方的に選ばされる感があります。スマホでは、高齢者は扱いにくく、電話帳のようにうまく葬儀社を探すことは困難だと思います。
メデァでの葬儀社さがしは、以前のように「自分で葬儀社をさがす」のではなく、一方的に「葬儀社を押し付けられている」感が拭えません。
このような状況にあって、葬儀を執り行うためには「葬儀相談」が重要となってきます。
只、注意しなければならないのは「葬儀依頼をするのは葬儀社ですから、葬儀依頼先となる葬儀社に相談しても「その葬儀社の有利なように誘導される」可能性があります。
そのような事を考えますと、「中立的立場」の所に葬儀相談を行うべきです。

葬儀社を何処にするか

葬儀業界は一大産業
日本は高齢化社会となって、65歳以上が日本人口の三分の一を占めていると言われています。
メデァを利用しての葬儀の集客
現代は、テレビ・パソコン・スマホなどメデァによって、情報が世界を駆け巡っています。
この情報によって私たちは多くのことを知り、動かされています。
広告に注意
メデァによって私たちは多くの情報を得ることが出来ますが、「即、いいと思って飛びつかないことが大切です」
特に葬儀(家族葬)に於いては、「何処の葬儀社に」を、選ぶ場合、ざっとでもよいので、多くの葬儀社・葬儀斡旋業社・葬儀内容を見ることが大切です。
例えば、パソコン・スマホで見た場合、最低2ページまでは目を通すのが良いと思います。

葬儀社選び

「葬儀社か」「葬儀斡旋業社か」の確認

身内の葬儀となった場合、どうしても慌てて動揺します。
その事で、「直接葬儀に携わる葬儀社か」「葬儀社を紹介する斡旋業社か」の確認が必要です。
1つの事例ですが、葬儀が終わって初めて「葬儀に直接携わる葬儀社ではなく、葬儀斡旋業社とわかった」という方もおられます。
それ程、葬儀となった場合慌てるものなのです。
普通に考えれば、葬儀社でないものが「葬儀社を斡旋する」何故でしょうか?
それは葬儀社を斡旋することによって「葬儀斡旋料(葬儀の紹介料)の利益が得れるからです。
では、葬儀斡旋業社を選ばず、葬儀社に直接依頼すればと思いますが、葬儀社自体も葬儀斡旋業社が掲出している「葬儀値段(葬儀費用)」で請け負って利益を得ようとしますので、「どちらを選んでも同じ」となってしまう可能性があるのです。
葬儀斡旋業社からの葬儀社の紹介は「自分の思っていた葬儀社では無かった」ということもあるかと思いますので、ある程度葬儀を行おうとする葬儀社を調べておくのがいいと思います。
良心的に「葬儀費用を安くした葬儀社」もあります。
このような事から考え、「自分宅に見合った(葬儀費用・葬儀参列者人員など)葬儀社・葬儀斡旋業社を選ぶことが大切です。
その為には、「直ぐに、この葬儀社と飛びつかないこと」や、やはり「中立的ところに葬儀相談を行う」ことが葬儀には重要になってきます。

葬儀社の種類

全国的に葬儀会館を所持の葬儀社

葬儀社には全国的に葬儀を執り行っている大手の葬儀社があります。
このような葬儀社は大きな葬儀式場を所持しており、宿泊できる施設もあります。
葬儀施設的に充実している為、葬儀費用はある程度の費用は掛かると思います。

葬儀会館を数か所所持の葬儀社

府県内に数か所の葬儀会館を所持している中規模的な葬儀社です。葬儀会館に宿泊施設がある式場とない式場があります。

葬儀会館を持たない葬儀社

葬儀会館を持たず、公民館や貸し葬儀式場などを利用して、葬儀を執り行う葬儀業者です。

葬儀の際、僧侶は自分でさがす

僧侶を紹介されれば「紹介料」が必要

仏式でのお葬式(葬儀・家族葬)の時、葬儀社など私企業からの「お坊さん紹介」は受ける際は気を付けましょう。
紹介料(手配料)が「お布施」に含まれてしまうからです。
私たち遺族などは、お布施を渡す時、そのお布施の中に紹介・斡旋料(手配料)が含まれていることは分かりません。
お布施を貰ったお坊さんが、「あなたに紹介されました」と、紹介先にお布施の中から紹介・斡旋料(手配料)を手渡すように取り決めがされているのです。
葬儀社或は、斡旋業社からお坊さんを紹介されたとしても、はっきりと「僧侶手配料」が、「これこれです」と、はっきり謳っている所からの紹介を受けるべきです。
一番いいのは、ご自分で葬儀の時のお坊さんをさがせば「紹介・斡旋料(手配料)」はいらなくてすみます。
それでは、お寺に行って「依頼しよう」はお勧めしません
なぜならば、殆ど、お寺よりも「お坊さん斡旋業社」の方が、お布施額が安いからです。

葬儀費用を抑える時代-葬儀を安く

葬儀費用は、まだまだ庶民には高額

   →    

お葬式を安くー 葬儀費用を抑える

近年は、葬儀費用が安くなってきたと言われています。
しかし、まだまだ庶民には葬儀費用は高額なものです。
近年は、核家族化・親戚縁者との希薄化の時代ですから、葬儀自体に参列される方は少人数です。
ですが、この葬儀参列者の人員に比べて、葬儀費用はまだまだ高額のままという感があります。

高齢化社会だから、葬儀方法を考える

現代は高齢化社会です。日本の人口の三分の一が65歳以上だと言われています。
高齢化となれば、どうしてもお付き合いの幅が狭まってきます。
高齢の方がお葬式の喪主を務めた場合、お付き合いの少なさから参列者も少なくなってきます。
ましてや近年は、核家族化・親戚縁者・近隣住民との希薄化によって付き合い自体が少なくなってきております。
このような状況下において、一昔前の弔問外交と言われる盛大なお葬式、そこまでも盛大ではなくとも、遠い親戚縁者や多くの付近住民に参列して頂くお金をかけた葬儀は必要ないと思います。
近年は、少人数のお葬式を考えた葬儀方法を選んでお葬式を行うべきです。

葬儀をいかに、安く執り行うか

私達は、葬儀費用を出来るだけ安く、そして良いお葬式を、と願うものです。
その為には、下記の事を行っていけばと思います。
1 「安かろう・悪かろう」に注意
誰しも、お金は使いたくないものです。
「出来るだけ安くあげよう」と思うのは誰しも同じです。
葬儀費用も同じで、誰しも安く行いたいと思います。
身内の者が亡くなった場合、「費用を安く」と思って、葬儀費用の安い葬儀社を探すことになります。
この場合、只々、値段が安いということで葬儀社を探せば、失敗しかねないと思います。
例えば、
私たちが物を販売しようとした場合、皆さんに購買力を促すために、皆が飛びついてくるような商品を目玉として宣伝すると思います。
そして、その目玉商品から、さらに高額な商品を買ってもらうように誘導し、販売を高めようとすると思います。
葬儀を依頼するということは、この逆の立場なのです。
売る側は、出来るだけ高く売りたい、購入者は、出来るだけ安く買いたい。
この心理を、まず理解することが大切だと思います。
むやみやたらに、値段の安いものを、と思って購入すれば、粗悪なものを掴まされかねません。
近年の社会経済構造で要注意なのが、仕事を下請けに回し、元受け会社の利益が含まれており、高くなっているということがあります。
例えば、A社が仕事を受け、B社に仕事を丸投げする。
この場合、A社へのリベート(仕事を回した取り分)が、金額に含まれている。
現代は、このような社会経済構造になっていることに注意して、葬儀依頼を行わなければなりません。
2 高齢化社会だから、事前知識の取得を
私達は物を購入する場合、欲しいものほど購入物品について調べます。
店に行ってパンフレットを貰ったり、パソコンなどメデァを使用して詳細に調べると思います。
ですが、お葬式は突然な事案ですから、そうもいかないと思います。
ですから、パンフレットを貰いに行ったり、の余裕はないでしょう。
ゆっくりと調べることも、なかなか出来ないと思います。
ですから、終活、或は遺産相続、又は遺言書作成の時などに葬儀知識を少し入れておけば、いざとなった時には役立つと思います。
近親者に高齢者などの方がおられれば、いざという時に備えて、葬儀に関心を持っておくべきでしょう。
3 身内が亡くなれば、即、葬儀社以外の第3者に無料相談を
身内が亡くなれば、誰しも慌ててしまうものです。
そして、即葬儀社依頼に走ります。
このように慌てないことです。
どのような葬儀を執り行うかと考えた際に、「即、頭に浮かんだ葬儀社」に連絡するのではなく、良心的・中立的な立場の葬儀相談どころに相談することです。

葬儀には、葬儀相談が必要
元警察官現僧侶に、葬儀相談
現僧侶の携帯 09015882757

「良心のお葬式」は、葬儀・法事の市民サポートセンターです。
元警察官で現僧侶を顧問として迎え皆様の相談に応じています。
葬儀(お葬式)は、殆どの方が事前に用意される方は少ないと思います。
身内の方が亡くなった場合、どうしても動揺してしまい、「直ぐ、葬儀社に連絡!!」となってしまうようです。
後々、後悔される方もおられます。
お葬式となった場合、絶対、葬儀社依頼前に無料の事前相談を行って下さい。

近年、葬儀形態が変化
大きなお葬式から

こじんまりとしたお葬式へ
(家族葬)

高齢化社会のため、葬儀業界は一大産業
現代は、日本人口の約三分の一は65歳以上の人となっている高齢化社会です。そのため、葬儀業界では一大産業となっております。
只、現代の日本社会は核家族化・近隣との疎遠化などから一昔のように葬儀(お葬式)にはお金をかけ亡くなってきております。

火葬場が混んでいる場合

近隣市町村の火葬場を利用

伊丹市火葬場が混んでいる場合、
西宮市又は尼崎市を利用

近年は高齢者社会となって、死亡される方も相当数になっております。
時期によっても違いがありますが、火葬に付すにあたって火葬場が混んでいて、火葬にかなりの日数がかかる場合があります(1週間前後の火葬場待ち等)。
このような場合、近隣市町村で火葬を考えればいいと思います。

葬儀・家族葬の流れと説明

危篤・親戚や知人に連絡

危篤となった場合は、一刻も早く知らせる
身内の危篤を医師から告げられた時には、家族、親族、友人・知人等本人が会いたがっている人に一刻も早く知らせましょう。
特に遠方の方には、危篤となる以前に病状などを知らせてあげましょう。

臨終⇒死

臨終とは、人が死のうとする間際をいいます。
医師などから臨終を知らされた後、
1、ご遺体を、どこに安置するのか考えましょう。
2、臨終に際しての枕経(まくらぎょう)の依頼先(僧侶)を探しましょう。
3、葬儀に関する無料相談を利用し、葬儀相談を行いましょう。
4、葬儀依頼は、何処の葬儀社にするか検討しましょう。
※安置場所までの遺体搬送は、葬儀社へ依頼すると思いますが、依頼にあたっては「搬送だけなのか」「葬儀依頼を同時に行うのか」を、よく検討して搬送を依頼しましょう。
5、死亡診断書
葬儀を行うにあたっては、法律上の手続きが必要となってきますので、臨終となった場合には、臨終に立ち会った医師から死亡診断書を貰う必要があります。

医師より死亡診断書を貰う

死亡届・死亡診断書

葬儀に際して、どうしても必要なのがこの死亡診断書です。
人が死亡した場合、勝手に埋葬するわけにはいきません。
やはり、法律に乗っ取った手続きが必要で、葬儀には死亡診断書が必要となります。

死亡診断書の役所への提出

葬儀と火・埋葬許可書
死亡届を役所に提出した際、役所から火葬許可書が交付されます。
この火葬許可書を火葬場に提出して火葬となります。
火葬が済んだ後に、この火葬許可書に裏書、押印して返してくれるものが埋葬許可書です。
埋葬許可書は、5年間の保存義務があります。
埋葬する際は、墓地等の管理事務所に提出しなければなりません。

死亡から埋葬までの手続き

死亡

死亡診断書を医師から受け取る

死亡届を役所に提出

火葬許可書を受け取る

火葬場に火葬許可書を提出

火葬後、埋葬許可書を受け取る

墓地等の管理者に埋葬許可書を提出

埋葬

遺体搬送(死亡先から安置場所へ)

搬送

葬儀を考えた安置場所への遺体搬送
亡くなられた所から、遺体安置場所へ遺体搬送しなければなりません。近年、殆どの方が病院で亡くなられますので、自宅或は葬儀式場への遺体搬送となります。

遺体の安置

ご遺体安置(枕直し)
安置とは、ご遺体を丁寧に据え置くことをいいます。人が亡くなれば、ご遺体を丁寧に安置し最初に枕経を出来るだけ早くあげなければなりません。

枕経(まくらぎょう)をあげる

枕経をあげる

枕経(まくらぎょう)とは、死の直前に本人が仏さまに対し「娑婆ではお世話になりました。ありがとうございました。」とあげるお経です。
只、死の直前に本人がお経をあげにくいことから、代わって僧侶がお経をあげるのです。

通夜

葬儀と通夜の関係
葬儀とは、遺族、親戚縁者などが故人を成仏させるための儀式です。
この葬儀の前夜が通夜で、遺族、親戚縁者、故人の友人・知人などが集まって最後の夜を過ごすことをいいます。

葬儀・告別式

通夜の翌日が葬儀となります。
葬儀となった場合、葬儀や告別式という言葉を使用しますが、葬儀は、亡くなられた方を偲んで執り行われる宗教的儀式です。
告別式とは、本来は葬儀の後に行われる故人の友人・知人などが、故人とお別れを告げる儀式のことをいいます。
近年では、葬儀と告別式は同一のものとして執り行われています。
又、以前は葬儀に参列される方が殆どでしたが、近年では、通夜に参列される方が増え、翌日の葬儀に参列される方は減ってきております。

葬儀後の初七日法要

繰り上げ初七日

初七日法要とは、亡くなられた時から7日目に行う法要のことです。
この初七日法要は、中陰法要といわれる最初の七日毎の法要で、極楽浄土に行けるように読経し成仏を願います。
この初七日法要は、高度経済成長期頃から、葬儀の骨上げ後の当日に行われるようになりました。

式中初七日法要

亡くなられて七日目に執り行うのが初七日法要ですが、
近年では、その初七日法要が、葬儀式の読経のすぐ後に、初七日法要の読経として行われるようになってきました。
つまり、葬儀式中内に「初七日法要」として行われるようになってきたのです。
これを「式中初七日法要」と言います。

伊丹市での葬儀・お葬式

伊丹市は、規格葬儀を執り行っています。
規格葬儀とは、標準的な規格を定め、料金やサービスの内容を明瞭化し、わかりやすく安心して利用いただける葬儀の普及を図ることを目的としています。
又、伊丹市では斎場地下に葬儀式場があり、伊丹市規格葬儀として1日葬の葬儀が出来るようになっています。

伊丹市・葬儀取り扱い

規格葬儀 更新日:2021年06月18日

伊丹市の規格葬儀は、標準的な規格を定め、料金やサービスの内容を明瞭化し、わかりやすく安心して利用いただける葬儀の普及を図ることを目的としています。
お世話は、市が指定した葬儀店が行います。

菊(一般仕様)

区分第1式場自宅第2式場
大人260,000円260,000円248,000円
小人255,000円255,000円243,000円

水仙(援護仕様)

区分自宅第2式場
大人130,000円130,000円
小人104,000円104,000円

※(注意)
・僧侶費用、粗供養、マイクロバス、タクシー料金は含まれていません
・種別「菊」については献茶奉仕員1人がつきます
・サービス料は不要です(注意1は除く)
【申し込み方法】
必ず「伊丹市規格葬儀」と指定のうえ、伊丹市規格葬儀取り扱い店に直接、お申し込みください。
、と規定されています。

伊丹市営斎場

火葬と葬儀施設の提供

施設名称伊丹市営斎場
住所伊丹市船原2丁目4-20
建物仕様地下1階、平屋建て延べ1,196平方メートル
火葬ブロック(1階)エントランスホール、事務室、告別ホール、収骨室、火葬炉6基、汚物炉1基、動物炉1基など
式場ブロック(地下1階)式場ロビー、第1式場、第2式場、休憩室、控室など
駐車場18台

交通機関
阪急伊丹駅から北西に約600メートル

市営斎場の周辺地図

<徒歩でお越しの方は>
阪急伊丹駅から北西に約600m。
<伊丹市営バスでお越しの方は>
阪急伊丹駅・JR伊丹駅どちらも市バス2番のりば「荒牧バラ公園」、「山田」、「昆陽里」行きで「桜ケ丘2丁目」下車、南へ徒歩約170m。桜ケ丘1の交差点から東へ徒歩約30m。
<お車でお越しの方は>
所在地:伊丹市船原2丁目4番20号
・伊丹市営斎場の駐車場は、市営斎場で葬儀・火葬を行う方専用です。
・合葬式墓地のお申込みの方は近隣の有料駐車場をご利用ください。

伊丹市神津墓地合葬墓地

市は、令和3年4月1日に合葬式墓地を神津墓地内に開設しました。
合葬式墓地は、最大1万体の焼骨を一つの大きなお墓に埋蔵する墓地で、いつでも参拝できる共同参拝スペースや献花台、記名板を備えています。
個人で管理する必要がないことから、お墓の承継の心配がなく、経済的な負担が少ない他、生前に申込みたいなど多様なニーズにお応えします。
1、合葬式墓地概要及び使用料
名 称: 伊丹市合葬式墓地
所在地:伊丹市岩屋1丁目10番(伊丹市神津墓地内)
埋 蔵 規 模:10,000体
墓地使用料(永代)
市 民:55,000円※
市民以外:82,500円
記名板使用料 (希望制)
市 民:55,000円※
市民以外:82,500円
※ 市民:申込者が申込時点で本市に住民票を有していること、又は、埋葬される方が亡くなられた時点で本市に住民票を有していた場合が対象となります。
2、申し込み手続き
申込受付時間:午前9:00 ~ 午後4:30
申込受付場所 :伊丹市営斎場 1階 事務所(1月1日・2日は休場)
住 所:伊丹市船原2丁目4番20号
電話番号:072-782-2177
申し込み資格
・既に埋蔵しようとする焼骨をお持ちで、当該焼骨との関係が配偶者、養親・養子、3親等以内の血族、2親等以内の姻族、又はこれらに準ずる関係の公的証明が発行できる方で、祭祀を司る方。
・自己の利用を目的として生前に申し込まれる方
・神津墓地区画墓地の使用許可を受けていない方
(神津墓地区画墓地の使用許可を受けられている方が合葬式墓地の申し込みを行う場合には、神津墓地区画墓地を返還する必要があります。)
・宗教や宗派は問いません。
3、申し込み方法
所定の『合葬式墓地使用許可申請書』に必要事項を記入押印の上、下記の必要書類を添えて、伊丹市営斎場までお申し込み下さい。
※郵送・ファクス番号・メール・電話での受付はできません。
必要書類
<既に焼骨をお持ちの方>
当該焼骨との関係が配偶者(配偶者に準ずる公的証明が発行できる方を含む)、養親・養子、3親等以内の血族、2親等以内の姻族で祭祀を司る方。
・合葬式墓地使用許可申請書
・誓約書
・申請者の氏名、現住所が確認できる住民票抄本(本籍地が記載されたもの。発行から3ヶ月以内のもの)
・埋蔵する焼骨の埋火葬許可証または改葬許可証の写し等
・申請者と埋蔵する焼骨との続柄が確認できる戸籍謄本(続柄によって必要な書類が異なります。市営斎場または生活環境課までお問い合わせください。)
・申請者の本人確認ができるもの(運転免許証など)
<生前予約申込> 
自己の利用を目的として申し込まれる方
・合葬式墓地使用許可申請書(お骨をお持ちいただく方(祭祀主宰者)の承諾が必要です。)
・誓約書
・申請者の氏名、現住所が確認できる住民票抄本(本籍地が記載されたもの発行から3ヶ月以内のもの)
・申請者の本人確認ができるもの(運転免許証など)

おくやみ

死亡届
死亡届について

届出の種類死亡届
概要日本国籍の人が亡くなった場合、
外国籍の人が日本国内で亡くなった場合に届出義務があります。
届出人親族、親族でない同居者、家主、地主、
家屋管理人、土地管理人、後見人等
届出地死亡地、亡くなられた方の本籍地、届出人の住所地のいずれか。
届出期間死亡を知った日を含め7日以内
夜間・土日祝日は本庁舎地下1階守衛室の時間外窓口で受付します。
手続きに必要なもの死亡届書
(医師の死亡診断書または死体検案書のあるもの)、
印鑑(朱肉使用のもの。押印は任意)、後見人等が届出人となる場合はその資格を証明するもの
お問合せ先市民課

死亡届を出された方へ
亡くなられた方が伊丹市民であり、以下の確認事項に該当する場合は各担当課にて手続きを行ってください。
なお、ご住所地が伊丹市でない場合は、その市区町村にお問い合わせください。
伊丹市営斎場
○ 斎場利用について
・悪寒・発熱・咳等の症状のある方の入場は固くお断りします。
・入場の際には手指の消毒をお願いいたします。
・利用者にはマスクの着用をお願いいたします。
○ ご収骨について
・ご収骨に来られる方の人数を10名以下とします。
火災と葬儀施設の提供

施設名称伊丹市営斎場
住所伊丹市船原2丁目4-20
電話072-782-2176
建物仕様地下1階、
平屋建て延べ1,196平方メートル
火葬ブロック(1階)エントランスホール、事務室、告別ホール、収骨室、火葬炉6基、汚物炉1基、動物炉1基など
火葬ブロック(地下1階)式場ロビー、第1式場、第2式場、休憩室、控室など
駐車場18台

○ 休業日
1月1日、2日
火葬受け入れ時間
10時から14時までの1時間毎
後期高齢者医療制度の被保険者が死亡した場合
・後期高齢者医療制度の被保険者が死亡した場合、葬祭を行った方(喪主)に葬祭費として5万円が申請により後日支給されます。
・葬祭費を申請されるには、なくなった方の被保険者証、葬祭を行った方の本人確認書類、口座番号・口座名義人が確認できるもの、葬祭を行った方が確認できるもの(会葬礼状、葬儀の領収書等)をお持ちください。
注意)申請者及び口座名義人が葬祭を行った方と異なる場合は、委任状が必要となります。
委任状には委任者と受任者の本人確認書類のコピーを添付してください。
葬祭費の申請
届け出内容と必要書類

こんな場合は手続きを国民健康保険に加入している被保険者が死亡したときに、葬祭を行った方(喪主)に対して、以下のとおり葬祭費が支給されます。
・平成30年3月31日までに死亡した場合:3万円
・平成30年4月1日以降に死亡した場合:5万円
葬祭費の申請(死亡したとき)〔申請に必要なもの〕
・国民健康保険被保険者証
・葬祭を行った方の銀行口座のわかるもの
・葬祭を行った証明となるもの
会葬礼状・葬祭費用の領収書等
(死亡した被保険者と喪主の名前の両方の記載のあるもの)
・印鑑

伊丹市神津墓地合葬式墓地
市は、令和3年4月1日に合葬式墓地を神津墓地内に開設しました。
合葬式墓地は、最大1万体の焼骨を一つの大きなお墓に埋蔵する墓地で、いつでも参拝できる共同参拝スペースや献花台、記名板を備えています。
個人で管理する必要がないことから、お墓の承継の心配がなく、経済的な負担が少ない他、生前に申込みたいなど多様なニーズにお応えします。
○ 合葬式墓地概要及び使用料
市は、令和3年4月1日に合葬式墓地を神津墓地内に開設しました。
合葬式墓地は、最大1万体の焼骨を一つの大きなお墓に埋蔵する墓地で、いつでも参拝できる共同参拝スペースや献花台、記名板を備えています。
個人で管理する必要がないことから、お墓の承継の心配がなく、経済的な負担が少ない他、生前に申込みたいなど多様なニーズにお応えします。
○ 申し込み手続き
申込受付時間:午前9:00 ~ 午後4:30
申込受付場所 :伊丹市営斎場 1階 事務所(1月1日・2日は休場)
住 所:伊丹市船原2丁目4番20号
電話番号:072-782-2177
申込資格
・既に埋蔵しようとする焼骨をお持ちで、当該焼骨との関係が配偶者、養親・養子、3親等以内の血族、2親等以内の姻族、又はこれらに準ずる関係の公的証明が発行できる方で、祭祀を司る方。
・自己の利用を目的として生前に申し込まれる方
・神津墓地区画墓地の使用許可を受けていない方
(神津墓地区画墓地の使用許可を受けられている方が合葬式墓地の申し込みを行う場合には、神津墓地区画墓地を返還する必要があります。)
・宗教や宗派は問いません。
国保をやめる
主な届け出内容と必要書類(脱退)

こんな場合は手続きを手続きに必要なもの
伊丹市から転出したとき国民健康保険異動届(市民課で転出届提出後に発行)、
国民健康保険被保険者証
職場の健康保険に入ったとき職場の被保険者証、
国民健康保険被保険者証
死亡したとき国民健康保険被保険者証
被保険者が死亡したときに、葬祭を行った方(喪主)に対して葬祭費が支給されます。
生活保護が適用されたとき

生活保護受給証明書、
国民健康保険被保険者証

※世帯主を除く国民健康保険加入者以外の届け出の場合は印鑑が必要です。
職場の健康保険に加入したり、社会保険に加入している家族の被扶養者として社会保険に加入した場合は、郵送での手続きも可能です。
伊丹市の葬儀広報⇒伊丹市おくやみ

伊丹市概況

伊丹市
伊丹市は、兵庫県と大阪府の府県境に位置し、清酒発祥の地や日本最古の惣構を有するなど古くより歴史・文化の発展とともに栄えてきました。
又、伊丹市の東部には、関西の基幹空港「伊丹空港」が位置しており、交通と交流の要所として重要な役割を果たしています。
伊丹市の地勢
伊丹市は、阪神地域の南東部に位置し、神戸から約20㎞、大阪市から約10㎞の圏域にあり、尼崎市、西宮市、宝塚市、川西市、大阪府池田市、及び豊中市に接しています。
東西は約7㎞、南北は6,5㎞、面積は25,09㎢で、県内29市12町の中で4番目に小さな市域となっています。
伊丹市の地形は、概ね平坦で北から南に緩やかに傾斜し、伊丹市域には猪名川、武庫川が南流しています。
鉄道は、JR福知山線(伊丹・北伊丹の2駅)と、阪急神戸線の支線である阪急伊丹線(伊丹・新伊丹・稲野の3駅)があり、大阪・神戸及び阪神地域の諸都市を結んでいます。
伊丹市の道路は、国道171号線が伊丹市の中央部を東西に横断しています。
中国自動車道と山陽新幹線が、伊丹市域の北と南を東西に通過し、東には伊丹空港が立地しています。
伊丹市の歴史
伊丹の歴史は古く、遺跡や出土品から縄文中期には既に人々が生活していたことが知られています。
伊丹の奈良時代は、名僧・行基が仏教の布教に訪れ、昆陽池や昆陽施院を作るなど社会事業を行いました。
平安時代の伊丹は、源満仲の当時下にありましたが、やがて伊丹姓を名乗る武士団が伊丹を支配しました。
わが国最初の天守を備えたといわれる伊丹城が築かれたのもこの時代です。
伊丹市の地域特性
1574年、伊丹氏に代わって荒木村重が伊丹城主となり、城名も有岡城と改めました。
その有岡城も1578年、荒木村重が織田信長に叛き、羽柴秀吉らに攻められ、落城という運命をたどりました。
伊丹市の江戸時代には、治政に当たった近衛家が産業の振興に力を注ぎ、特に酒造業は全国的に名声を博し、清酒伊丹の名が全国津々浦々にとどろくようになりました。
俳人の上島鬼貫を輩出するなど文化の華が開きました。
伊丹市の誕生
明治に入って、廃藩置県によって伊丹市は、兵庫県に編入され、明治22年町村制施行により、伊丹町・稲野村・神津村・長尾村の4町村にまとめられました。
伊丹市は、明治24年に現JR福知山線が開通し、又、大正9年には阪急伊丹線が開通し、産業経済が進展するとともに、大都市近郊住宅地として発展してきました。
昭和15年11月、伊丹町と稲野村が合併し、伊丹市が発足、全国で174番目の市が誕生しました。
その後、昭和22年神津村と合併、昭和30年長尾村の一部を編入して、現在の伊丹市に至っています。
人口の推移
平成27年4月1日現在の伊丹市の人口は、197,376人、世帯数は79,536世帯、人口密度は7,867人/㎢であり、県内で最も人口密度の高い尼崎に次いで、2番目に人口が過密となっています。
現在の伊丹市域になった昭和30年10月1日の人口は68,982人、世帯数は14,640世帯でしたが、高度経済成長期にかけて人口、世帯数ともに大幅に増加し、昭和50年の人口は171,978人、世帯数は48,882世帯と、昭和30年と比べてそれぞれ2,5倍、3,3に増加しました。
伊丹市は、昭和50年以降も人口、世帯数ともに緩やかな増加が続き、日本の総人口が減少局面に転じている近年においても、伊丹市の人口は微増で推移しています。
令和2年12月1日現在の伊丹市世帯・人口数は世帯:83,623 人口:198,551となっています。

葬儀・家族葬の時の読経・対応地域

西宮・神戸・芦屋・伊丹・尼崎・茨木・豊中~大阪などの地域に於いて対応

葬儀・家族葬のお葬式、葬儀時のお坊さんのお経は、西宮神戸尼崎・伊丹を基点として、姫路・芦屋・宝塚・三田・川西・摂津・茨木・豊中・吹田・枚方・高槻・大阪・池田・箕面・寝屋川・堺・京都・東大阪・明石・加古川・たつの・太子町・長岡京市など関西・近畿圏の地域に於いて、受理・葬儀相談を行っています。

葬儀(お葬式)疑問点

伊丹市で葬儀・家族葬を考える

私達はお葬式にあまり関わることがありません。
現代は多種多様な業種が存在しております。
その業種を知るには、外から見ていただけではわかりません。
お葬式も同じでいざ、お葬式となった場合も
「お葬式どうすれば?」
「お葬式費用はどれぐらいするのか?」
「どの葬儀社に依頼すればいいのか?」
「どのような方法ですればいいのか?」
など、お葬式の一つ一つの事について「どうすれば?」と悩んでしまいます。
複雑な現代社会では、「葬儀(お葬式)」について知らなくて当然なのかもしれません。
近年は高齢化社会となって、葬儀業界は一大産業となっております。
葬儀社が乱立し、葬儀に関わる他業種も出現し、葬儀業界は複雑化しております。
又、競争激化から、それぞれの葬儀社が色々な集客方法を打ち出してきております。
葬儀社によって
・様々な葬儀方法
・その葬儀方法の細分化
・様々な葬儀内容
・その葬儀内容の細分化
・葬儀内容のオプション化
・その細分化された内容に見合った葬儀の金額設定
・葬儀に関わる商品の販売
・葬儀後のお手伝い
など、各葬儀社は工夫を凝らし集客を図っております。
葬儀業界が一大産業をなしていることから、葬儀社ではなく、葬儀を斡旋する企業も出てきております。
その企業の中には、他産業から葬儀業界に参入し、その企業のネームバリューで集客し、葬儀業者に斡旋する企業、
パソコン・テレビなどのメデァを利用して集客し、葬儀業者に斡旋する企業などがあります。
私達は葬儀社の実態を知らない中で、葬儀の依頼をしなければならないわけです。
お葬式に直面した場合「色々な、どうすれば?」が、出てくるのは当然です。
・葬儀は何をどうするのか?
・葬儀方法はどうするのか?
・葬儀費用はどれくらいなのか?
・葬儀費用は高いと聞くが安くできないのか?
・葬儀の方法によっては安く出来るのではないか?
・葬儀社はどこに依頼すれば?
葬儀社をどのようにして選べばいいのか?
・お坊さんはどこに依頼すればいいのか?
・良いお坊さんに依頼するにはどうすればいいのか?
・お布施はどれくらいするのか?
葬儀場所はどこですればいいのか?
・宿泊できる葬儀会館で行うのがよいのか?
・葬儀社の会員になっているが安くできるのか?
・あまり悩まず葬儀社任せにすれば、スムーズに葬儀が執り行われるのではないか?
・葬儀内容はどれを選べばいいのか?
・葬儀の物品はどれを選べばいいのか?
・身内のどこまでに訃報を知らせればいいのか?
・お仏壇は無いがどうすれば?
・お墓は無いがどうすれば?
・お葬式後の法事はどうすれば?
・法事のお布施はどのくらいか?
など、色々悩むことが出てくると思います。

葬儀の方針から葬儀を考える!!

伊丹市で葬儀・家族葬を行うにあたって

パソコン、スマートホンでの葬儀関係には「〇〇葬〇〇万円」という広告が出ています。 
私たちは価格に魅かれがちですが、価格表示はあくまで「参考にさせてもらう」と思う程度でいいと思います。

お葬式どうするの?

「自分宅の葬儀・葬式はどのように!!」を考える

現代は、葬儀に関して家族葬など色々な言葉、そして前述のようにパソコンなどに葬儀価格の違った色々な葬儀方法が出てきております。
葬儀を執り行うにあたって一番大切なことは、まず「自分宅はどのような葬儀を行えばいいのか」を決めることです。
例えば「親戚が少ない」ならば、そのことを目安として「自分宅に在った葬儀方針を立てる」のです。
次にその葬儀方針にそって、どの葬儀方法(葬儀形態)にするかを考えればいいのです。
一番に考えなければならないのは、自分宅の葬儀はどのようなものにするかと予算です 。
例えば「近隣には親戚はいないが遠方には多くいて、遠方ではあるが多数の親戚が葬儀には出席するだろう」などの葬儀目安を考え、その目安から葬儀方針を決める、などです。

葬儀を考える順序

第1 自分宅の葬儀の目安を考え、葬儀方針と予算を決める。
第2 その決まった葬儀方針・予算から葬儀方法(葬儀態様)を決める。
第3 葬儀物品の価格を考えて葬儀物品を吟味し、葬儀物品を決める。
第4 予算内で収まっているか葬儀価格を検討する。
第5 お布施は幾らぐらい包めばよいか検討する。

自分宅の葬儀の目安・葬儀方針

葬儀方針としては下記の6つがある程度当てはまると思いますので、自分宅に在った葬儀はどれかを自分宅の葬儀目安を思い浮かべながら、下記を参考にして葬儀方針を決めて下さい。
① 身内が殆どいない等、簡素化を重点に置いた葬儀
方針に適する目安は
・故人には身内が殆ど無い
・遠方には身内はいるが、葬儀には出席できない
・死亡場所が出稼ぎ的に来たところで、故郷は遠方にある
・故人が生活保護を受けている 等の方です。
② 近くに身内は殆どいないが、遠方には親しい身内がいるためその身内のことも考えた葬儀
方針に適する目安は
・宿泊までを考えてやらなければならない人が多い
・近くの身内よりも遠方に親しい身内が多い 等の方です。
③ 低価格を考えながら、尚且つ見映えを考えての葬儀
方針に適する目安は
・近くに身内が多い方
・親戚縁者は遠方ではあるが、格式などを考える人が多い
・生前、故人の付き合いが多く、式に多くの方の参列が予想される
・遺族の方の付き合いが多く、式に多くの方の参列が予想される 等の方です。
④ 葬儀費用を抑えることを考えながらも、出来るだけ多くの参列を望む葬儀
方針に適する目安は
・故人が多くの参列を望んでいた
・仕事などの人間関係から多くの参列を望む
・旧家で多くの参列が今後、家のためになる場合 等の方です。
⑤ 高級感を考えての葬儀
方針に適する目安は
・社葬を考えている方
・商売をされていてお付き合いの多い方
・旧家と言われ地域で中心的役割を果たしているお家の方
・弔問外交的葬儀を考えておられる方
・故人が地位名誉のあった方
・世間的に有名な方などの方です。
⑥ 既に葬儀社の会員・組合員になっておられる方の葬儀
方針に適する方
この方については、何処かの葬儀社の会員・組合員ですので、殆ど葬儀社を探す必要はないと思います。 
只、注意しなければならないのは
・既にある程度費用を納めていると思い、不必要な葬儀物品の追加、過度な華美さに注意して葬儀費用を抑えることでしょう。
・会員・組合員の方は「会員になっているから・組合員になっているから」と案外葬儀社任せにされがちですが、僧侶の読経(僧侶依頼)つまり、お布施までは葬儀費用に含まれていないのです。
・葬儀依頼とは別に、僧侶依頼をされることが明瞭会計につながると思いますので必ず別依頼を心がけましょう。
このように自分宅の葬儀の目安から葬儀方針を決め、決定した葬儀方針から葬儀方法(葬儀形態)を選び、最終的に価格を決めればいいと思います。

予算内で葬儀の実施

「現代の葬儀方法(形態)」は3方法!!

現代は一昔前と違い、大きく分けて下記の3方法の葬儀形態となっているということです。 
ですから、葬儀(お葬式)を執り行うにあたって大切なことは、どのような方法(形態)で行うかです。
昔ながらの通夜のある一般葬・通夜の無い1日葬・葬儀式の無い直葬(直葬であっても釜前でお経をあげる直葬があり、釜前葬や火葬式という言い方がされています)の3方法があります。
最近では「家族葬」という言葉を聞きますが、これは身内だけの少人数で行うお葬式と思えばよいでしょう。
ですから、通夜のある一般葬の家族葬・通夜の無い1日葬の家族葬と思えばいいのです。
直葬だけは葬儀式がありませんから、直葬での家族葬はありません。
現代の葬儀方法(形態)、3方法とは

〇 直葬 〇 1日葬 〇 一般葬

の3つです。そのうちの

1指1方法(形態) を選べばいいのです。

〇 直葬(釜前葬)とは、
通夜、告別式など行わず、遺体を24時間安置後、火葬場での遺体焼却のみを行う葬儀形態です。
(一昔までは殆ど無かった葬儀方法です。)
釜前葬とは、火葬場に於いて火葬直前に読経を行うことをいいます。
直葬の葬儀費用
数万円~
直葬の場合、火葬までの間の冷蔵・ドライアイス・お飾りなどによって数万円の価格差が出てきます。
〇 1日葬とは、
亡くなられてから通夜は行わず、告別式のみを行う葬儀形態です。
(この1日葬も一昔までは殆どなかった葬儀方法です。)
1日葬の葬儀費用
約30万円~からとなっています。
注意しなければならないのは、葬儀費用の安さだけで葬儀社を選んでしまった場合、収容人員が少ない式場を選び、予想される参列者が収容できなくなり、やむなく式場を変更したところ、宣伝している葬儀費用よりもかなり高くなり、かえって他の葬儀社を選んだ方が良かったという結果になりかねません。
1日葬は安いように感じますが、通夜のある一般葬と比べた場合、祭壇は同じなのですから割高ではあると思います。
〇 一般葬とは、
亡くなられてから通夜を行い、翌日に告別式を行う葬儀形態です。
(従来から行われている葬儀方法です。)
一般葬の中に社葬、家族葬があります。
1日葬の中にも社葬、家族葬があると思えばいいでしょう。
近年、このような葬儀方法が出てきましたのは 「昔のように儀式、宗教に捉われなくなったこと」 「葬儀に費用が掛かりすぎであること」 などが考えられます。
一般葬の葬儀費用
約50万円~数百万円
価格差があるのは葬儀物品1つ1つが低価格の物から高額な物品があるからです。
又、葬儀スタッフの人員数によっても差が出てきます。
例えば、価格差が大きいのは
・祭壇で数万円から数百万円のもの
・棺桶で数万円から百万前後のもの
・会館使用料で数万円から数十万円と掛かるところがあります。
現代は人件費が高くつくといわれています。
又祭壇・棺などに付属品が付いてきてその都度、葬儀料金が増えて行きます。 
そして、飲食は殆どの葬儀社が葬儀費用に含めておりませんが、葬儀では少額と思われるこの飲食代が
例えば、50名出席者の飲食で計算すれば一人5千円で25万円となります。
この葬儀方法(形態)に僧侶の読経が加わって、
★『枕経のある葬儀・無い葬儀』
★『初七日法要が繰上げされた葬儀・初七日法要が告別式に引き続いて行われる式中初七日葬儀』
★『直葬においても火葬場で読経を行う葬儀(釜前葬)・行わない葬儀(直葬)』 があります。
このように複雑化している葬儀ですから、一生のうち喪主等として経験しない葬儀ゆえに葬儀のことが分らなくて当然です。
注意しなければならないことは、亡くなられて出来るだけ早く、葬儀依頼前に枕経(まくらぎょう)をあげることです。
葬儀内容は自由に決めることができる
現代は上記に記載した葬儀内容で葬儀が執り行われていますが、これはあくまで施主側、葬儀社が出来るだけスムーズに葬儀が執り行うことが出来るようにした内容です。
施主或いは喪主として「こういう葬儀にしたい」と葬儀社に依頼すれば、その意に沿った葬儀内容にして頂けると思います。
只、注意しなければならないのは、どの程度の料金になるかということです。
他のことでも同じだと思いますが、「セット」であれば割安感となりますが、セットでない内容となれば料金は高くなると考えた方が無難だと思います。

葬儀方法のメリット・デメリットを考えて!!

近年の葬儀方法は3方法ですが、葬儀に直面した場合、葬儀方法のメリット・デメリットを考えて葬儀を執り行うべきです。

予算からの葬儀物品選び

宣伝に惑わされない
葬儀業界は一大産業と言われていますようにPC、テレビなどメデァで金額を中心に「◯〇葬〇〇万円」と盛んに宣伝されています。
私達はどうしても金額に目がいき金額を中心にして選びがちですが、その選び方はかえって高額な葬儀になりかねません。
予算をオーバーしないように葬儀物品を選ぶ
一般葬の場合、最低2日間の日程になりますので直葬(釜前葬)・1日葬より葬儀費用が高くなるのは当然ですが、自分宅の葬儀の目安、方針を思い描いて慎重に葬儀物品を選んで、或いは省ける物は省いて、費用を抑えるようにすればいいのです。
「追加費用のいらないお葬式」を選ぶのも1つの選び方です。

現代の葬儀と葬儀費用を知る

上記のように葬儀は、葬儀方法(葬儀形態)、葬儀物品の品質の価格差・会場(式場)の選び方によって数十万から数百万の価格差が生じてきます。

故人が亡くなられた場合、誰しも慌ててしまいます。 ですが、私達は身内が死亡した場合「直ぐ、お葬式を」と思ってしまいますが慌てることはありません。葬儀社を選ぶ時間はたっぷりとあるのです。

病院 病院で死亡した場合、看護師さんが「葬儀社を知っておられますか」と親切にお声を掛けてくれますが即、看護師さん看護婦が名前を出した葬儀社に依頼するのではなく、自分たちで色々情報収集して、どうしても良い葬儀社が見つからなければ看護師さんの名前を出した葬儀社にすればいいのです。
そして葬儀社が決まっても僧侶読経は自分たちで決めるべきです。

納得いく葬儀・葬式を!!

1、自分宅に見合った葬儀を
前述の通り、葬儀は時代の流れとともに複雑化してきております。 
ですが、私達は葬儀・葬式の全てを葬儀社任せにするわけにはいきません。
やはり、そのお家にはそのお家の葬儀・葬式での予算があるはずです。
自分宅に見合った葬儀予算で葬儀を行うのが納得いく葬儀・葬式に繋がります。
2、葬儀社主動ではなく自分主動で、葬儀を決定
(1)予算を考え葬儀物品を選ぶ
現代は葬儀業界が一大産業をなすと言われています。
そのため他業種からの葬儀業界への参入が目立ちます。 
それほど企業にとっては利益を生む業界なのです。
ここ数年、葬儀社が大幅に増えたと言われています。
どの業界も同じかもしれませんが、殆どと言っていいほど葬儀社はオプション形式を取っています。
逆に言えばオプションで商品を増やし、良い商品に変換すれば見た目は立派なお葬式に仕上がって行くでしょうし、その分費用も加算してきます。
例えば、葬儀後1週間ごとに葬儀社が佛花を届けるというサービスを聞いたことがありますが、喪主さんは後日「えらく高くついた葬儀になった。後悔してもしきれない」と嘆いておられました。 
これは葬儀社の勧めるままにオプションを選んでしまった結果かもしれません。

「1週間ごとにお花花束を届ける」というサービスから考えますと、私達にすれば「そこまでしなくても」「自分たちですれば、心がこもっているのではないか」と思われるサービスだと思います。
(2)自分主動で葬儀を決定 (葬儀の大原則)
葬儀の大原則は、葬儀社に勧められるままに葬儀を行うのではなく、必ず自分宅に見合った葬儀・葬式を行うことだと思います。
どのような葬儀でも、自分の思うがまま自由自在に出来るのです。
そのためには、葬儀社主動ではなく自分主動の葬儀・葬式を行うことなのです。
このように自分宅の葬儀の目安、葬儀方針を決めることは、現代の葬儀方法である3方法(一般葬・1日葬・直葬)の中から1方法を選ぶ基準にもなりますし、価格差の大きいお金png葬儀業界に於いて良い葬儀社を選ぶ基準になるのです。

葬儀費用にお布施は含まれていない

葬儀と僧侶読経は別々に依頼

特に、注意しなければならないのは、葬儀費用には僧侶読経は付いていません。 
現代は宗教離れ、仏教離れから「僧侶読経はどこに申し込めば」「お布施はいくらすれば」と悩んでしまいます。
そのため、ついつい全てを葬儀社任せにしてしまいます。 
これでは便利な反面、不明瞭な面も出てきかねません。
必ず、葬儀費用・僧侶のお布施は別費用だ、ということを認識しておいて下さい。
葬儀社と僧侶は完全なる別依頼であるにもかかわらず、一緒に依頼するということは料金が不明瞭になるということも併せて認識していたほうがいいと思います。

葬儀は「仏教が起源」

現代の葬儀は、仏教を起源とする

現代に伝わる儀礼や習俗は、仏教を起源としているものが多くあります。
その代表が葬儀・葬式です。
この葬儀・葬式は、死者が戒名(法名)を頂いて、仏(ブッダ)の弟子となり、浄土へと旅立つ儀式です。
死者は、浄土に導かれ49日後に悟りを得て、仏に成る(成仏)と言われています。

現代の習俗や文化は仏教が起源

日本に仏教が伝わったのが、536年とされています。
6世紀末に、聖徳太子が仏教を国作りの基本としたことから、様々な仏教文化が生まれました。

葬儀以外で、仏教が起源のもの

葬儀以外で、仏教を起源としているものに、お彼岸やお盆があります。
このお彼岸やお盆は、仏となった先祖を偲び、同時にこの世にいる自分たちを守ってくれるように祈る行事です。

日本に仏教が伝わって、聖徳太子が仏教を国作りの基本としたことから、様々な仏教文化(儀礼・習俗)が生まれ、その代表格が葬儀なのです。
仏教文化から、葬儀、法要が行われるようになりました。
埋葬などの関係⇒墓地、埋葬等に関する法律の概要

現代の葬儀と火葬の歴史

葬儀は遺族を支援する儀式

葬儀
葬儀(お葬式)は、人を弔うための儀式です。
葬儀は、人の死生観・宗教観が深く関わっていると言われています。
葬儀は、宗教が発生する以前の旧石器時代から行われてきている宗教的行為だと言えると思います。
葬儀は故人のためだけではなく、残された遺族たちが人の死を心で受け止め、そしてその遺族たちの心を支援する儀式であるともいえると思います。
葬儀の歴史
現時点で、歴史上最も古い葬儀跡といわれているのが、イラクの北部シャニダール洞窟の葬儀の痕跡です。
このシャニダール洞窟の中には、約6年前と推定されるネアンデルタール人の骨が見つかっております。
そして、その周辺にはあるはずもない花粉があったということです。
このことは死者を弔うため、花を死者の周りに添えたのではないかと推測されています。
近年の研究において、ネアンデルタール人による埋葬の習慣に関しては疑問もあるようです。
只、仮に埋葬の習慣があったとしても、現生人類のホモ・サピエンスと比較するとかなり単純な埋葬だと言われています。
古代において、ヨーロッパ・日本など世界中で考えられていたのは、霊魂は不死であり、

死亡

死後一定期間、肉体或はその肉体周辺に霊魂はとどまり、その後に冥界或は天界に旅立つと考えられていたと思います。

僧侶中心から葬儀社主導へ

現代は、通夜式があり2日間のお葬式であったのが、宗教離れ・仏教離れから、僧侶中心の葬儀・葬式から葬儀社主動の葬儀・葬式に変わってきました。
この変化に伴って、葬儀方法(形態)が大幅に変わってきました。
近年は「お坊さんのいらない葬儀」と、名うった葬儀社も出現してきております

現代の葬儀は、3形態が基本

現代は高齢化社会を反映して、葬儀業界が一大産業となり、葬儀業界は競争激化となっております。
葬儀社にとっては、如何に集客するかが死活問題になつております。
その為、各葬儀社は色々な葬儀形態を打ち出し集客を図っているのです。
私達はそのことに惑わされることなく、残された遺族として良いお葬式を執り行っていかなければならないと思います。現代の葬儀の執り行い方は3つの方法があります。
   ☆ 一般葬 ☆ 1日葬 ☆ 直葬(釜前葬)
です。
私たちは殆ど葬儀の経験はありません。
ですからお葬式となった場合、どうしてもお葬式イコール葬儀社となってしまいます。
ですが、やはりお葬式を依頼する以上、多少の知識があったほうが、後々後悔しない葬儀につながりますし、安心してお葬式を執り行うことが出来ると思います。
そのためには、上記のお葬式方法があることを念頭に置いて葬儀社に依頼することがよいお葬式に繋がりますし、料金的にも安心して依頼できると思います。
注意が必要なのは、各葬儀社が色々な名称を使っている為、惑わされないことです。

現代は火葬が主流

遺体を火で焼いて処理する葬法を火葬といいます。
日本の火葬率はほぼ100%です。
海外の火葬率はアメリカが46%、イギリスは75%、中国は50%で日本は世界一の火葬国です。
日本の火葬が広がったのが、この百年の間で戦後からのことです。
明治期では火葬率は26、8%、当時はまだまだ土葬が主流でした。
それが、昭和30年には54%、昭和59年には94%になり、平成12年には99%となりました。
日本の葬送に関する基本法の「墓地、埋葬等に関する法律」には、火葬を義務付けるものではなく、土葬が法律によって禁じられているわけでもありません。
法律上は、火葬・土葬、両方の葬法が想定されています。
土葬よりも火葬が広まったのは衛生上の問題、土葬に比べて墓地がコンパクトにでき、火葬を取り入れた仏教の影響などが考えられます。
埋葬などの関係⇒墓地、埋葬等に関する法律の概要

火葬史(火葬は縄文時代から)

日本では、土葬が縄文時代から行われていたことは、各地で人骨の集積した墓と思われる遺跡が発掘されていることなどから明らかになっています。
日本の火葬は、文武天皇4年の僧侶道昭の葬儀において火葬が最初と記されている文献があるからです。
しかし、火葬が行われたのは、この以前の古墳時代後期の大阪府堺市の陶器千塚古墳群の一つである円墳の横穴式墓室からは焼骨が見つかっています。
さらにづっとさかのぼる縄文時代の遺跡からも焼人骨が見つかっています。

火葬と仏教(ブッタ・火葬)の結びつき

火葬と仏教が結びついたのは、開祖のブッタが火葬されたことによります。
インドでは、火葬、水葬、土葬、風葬など、様々な葬法が行われてきたがブッタが現れる以前から、火葬が重んじられてきました。
その理由としては、インド古来のバラモン教やヒンズー教では、死者の霊が煙とともに天界に昇ることができると信じられていたからという説があります。
ブッタは入滅すると遺言に従って火葬されました。
ブッタの最期を記した「マハーパリニッバーナ経」は、ブッタの教えを忠実・正確に記録し伝承されてきたとされるパーリ仏典に属しますが、
同書によれば、遊行のおりに自身の最期を察知したブッタは、弟子のアーナンダに対して「修行完成者の遺体は、転輪聖王の遺体を処理するような仕方で、処理されるべきである」と告げ、さらに遺体を布や綿で幾重にも包んでから鉄の油槽に入れ薪を集めて火葬するようにと細かく指示しています。
転輪聖王とは、インド神話で正義によって世界を統治する理想的な王のことです。
インドには、転輪聖王のような尊貴な人に対しては、多様な葬法の中でも火葬が行われるべきだという考えがあり、それがブッタに対してもあてはめられたということだと思慮されます。
ブッタが火葬されたことによって、仏教徒の間では火葬が重んじられようになりました。
又、火葬されたブッタの遺骨である仏舎利が崇拝されるようになったことも、火葬の重視につながることとなったのです。
遺体を火葬することは「荼毘に付す」と言われ、荼毘とは、パーリ語で「燃やす」を意味します。

火葬と仏教(僧侶道昭が火葬の幕開け)

文武天皇4年の僧侶道昭の火葬が、日本の葬史の幕開けとなったのは事実だと思います。
この道昭の火葬によって、近代にいたるまで仏教に基ずく葬送として火葬が行われてきました。
大宝3年には、持統天皇が火葬され、続く文武天皇・元明天皇・元正天皇の三大天皇も火葬されています。
これは火葬が国家が認めた葬法になったといえます。
これを機にして8世紀初頭以降、火葬の風習は急激に全国に広まっていったようです。
このような火葬の普及は「続日本記」が高僧の道昭の火葬を「日本最初の火葬」と特記したことからもうかがえるように、火葬が仏教式の葬法として導入されたことが、大きく関係していると考えられています。

古代・火葬は特権階級、庶民は土葬

高僧道昭は中国唐に留学しているので、留学先で僧侶の火葬を目撃した可能性はあると思慮されます。
自らの火葬を遺命したのも、見分が下地になつているものと思われます。
只、持統天皇以下の火葬については、必ずしも仏教葬という認識はなく、中国の薄葬思想の影響ではないかといわれることもあります。
実際、持統天皇の場合、持統天皇は仏教を篤く信奉していたものの、火葬に僧侶がかかわったという形跡は認められないのです。
しかし、奈良時代以降、火葬は日本に着実に受け入れられていきました。
しかしながら、実際に火葬が行われていたのは、天皇や貴族、官吏、僧侶などであって庶民は無縁であったようです。
庶民は簡易な土葬が主流だったと考えられます。
「簡易な土葬」とは、野や河原、崖の横穴などに死者を置き、そのまま自然に任せる葬法のことで、死体は腐乱しつつ犬や鳥に食われたり、土の中で腐敗したり、場所が水辺であれば波・川に流されたりして消失していったのです。
平安京では、桂川や鴨川などの河原が民衆の葬送地となっていました。
承和9年(842年)、朝廷は鴨川などの河原に散乱するどくろを焼却させましたが、その数は5千5百余りだったといいます。
当時の庶民は河原に運ばれ、そのままにされるのがごく普通でした。
身寄りがないよそ者の場合は、河原ではなく市街の路上に遺体が放置されることもあったようです。
京都朱雀大路の交差点の溝や流路から人骨が出土しているからです。
盗人が荒廃した羅城門の楼上で放置された死体を目のあたりにするという「今昔物語集」に収められた説話は、芥川龍之介の短編小説の題材となったことで有名になりましたが、
この説話の最後に「その上の層には死人の骸骨ぞ多かりける。
死にたる人の葬など、えせぬをば、此の門の上にぞ置きける」と書かれており、平安後期にも都に遺体を放置する風習が残っていたことをうかがわせます。
又、平安京では西郊の化野、東山の西麓の鳥辺野が葬地として使われていました。
鳥辺野は、皇族や貴族の葬送にも使われ火葬も行われました。
平安末期には、北郊の蓮台野も葬地として知られるようになっています。
化野・鳥辺野・蓮台野は、いずれも山麓地帯でやがて共同墓地として発展していきました。
只、この当時の土葬は「死体遺棄」という意識のもとで行われていたわけではなかったと考えられています。
絵巻物「餓鬼草子」には、平安期の簡易な土葬の風景をモデルに描かれたようですが、放置された死体に供物が添えられているからです。
つまり「捨てる」側が「弔う」という意識を持っていたということも考えらるのです。

火葬の広がり(仏教の信仰から進む)

簡易な土葬は次第に姿を消してゆくとともに、火葬は仏教との結びつきを強めつつ、上層階級以外にも徐々に広まっていきました。
十世紀の貴賤を問わず念仏を説いた天台僧の空也は、原野に放置された庶民の遺体を集めて火葬し供養を行っています。
鎌倉時代の開祖である一遍の時宗は、京都で火葬場を運営するようになっていました。
又、中世には火葬場での天下も含めて、葬送の実務を僧侶が基本的に請け負うようになったようですが、特に火葬や埋葬、墓所の管理にあたった下級僧侶は「三昧聖」と呼ばれていました。
「三昧」とは、本来は修行した僧侶が達する禅定の境地のことです。
「法華経」に基ずく瞑想法を法華三昧といい、これを修するための道場を法華三昧堂と呼んだのです。
法華三昧は、滅罪の功徳があるとされましたが、それが死霊の鎮めの意味にもとられたのか、平安時代中期以降になると貴族たちは墓所に法華三昧堂を建立するようになり、法華三昧堂の住僧は三昧僧と呼ばれました。
この風習が民間にも次第に広まったため、「三昧」といえば墓所や火葬場の事も指すようになり、墓所に住んで葬送に従事する下級僧侶は三昧聖と呼ばれるようになったと考えられます。
平安中期に比叡山横川で天台僧源信が中心となって結成された極楽往生をめざす念仏団体「二十五三昧会」に由来するという説もあります。
二十五三昧会は、往生のための臨終作法だけでなく、メンバーが死んだ場合の遺体の葬送や墓所についても細かく規定していて、葬送互助のモデルになったとも言われています。
三昧聖には、民間布教や社会事業に尽くした奈良時代の僧・行基や、その弟子たちが既に奈良時代に民衆に火葬を行ったとする説もあります。
こうした仏教者の活躍によって、火葬が火の力と念仏の功徳によって死者の霊を鎮め、穢れた死体を白骨として浄化し聖化する儀礼として広くとらえられるようになりました。
遺体を火によって破壊し、短時間で骨だけにしてしまう火葬は、人間の死を確定してしまうことであり、味方によっては土葬よりも残虐な葬法です。
土葬に慣れ親しんでいた社会で火葬が広く受容されるには、何らかの強力な意義付けが必要であったことでありましょう。
その意義付けを仏教が担ったと思慮されます。

江戸時代には庶民にも火葬が広がる

江戸時代までは土葬が主流をなしていましたが、すでに江戸時代には江戸・大坂などの大都市ではかなり普及していたようです。
大坂の周辺には、火葬場を中心とする墓地が七か所点在していました。
当時の資料によりますと、七か所の一つである道頓堀墓所では、多いときに年間一万体以上、少ない年でも五千体以上の遺体が葬られ、うち一割弱が土葬されたといいます。
ですから、九割は火葬されたということになります。
江戸にも、小塚原に幕府の許可を得て開かれたのに始まって、千駄ケ谷、桐ケ谷、渋谷、炮録新田に火葬場がもうけられ、この五か所は「江戸の五三昧」と呼ばれました。
小塚原の場合は、一町四方ほどの範囲に二十の寺院が並び、火葬寺と呼ばれたことから各宗派の寺院で火葬が行われました。
江戸・大坂に火葬が普及した要因として、人口が密集し土地の狭い都市には、土葬よりも遺体を効率的に処理できる火葬が適していたという点と、仏教葬としての火葬のほうが故人の供養になるという宗教的意義が民衆にも浸透していたと推定できます。
半面、儒教・儒学が隆盛した江戸時代には、火葬の普及を思想・信条的な立場から批判する人々もいました。
儒者の安井真祐は、貞享2年(1685)に「非火葬論」を著し、父母の屍を火葬することはその遺体を粗雑に扱うことであり、孝心に背くことであると論じました。
祖先祭祀を重んじる儒教では、死体といえども親の体を焼くことは不孝と考えられ遺体は、棺のまま土饅頭に収める方式の土葬が理想とされていたのです。
そうした立場から近世の儒者たちは、火葬が孝心を否定する仏教の野蛮な葬法として批判したのです。

明治政府は火葬を野蛮として一時禁止

江戸から明治維新の転換期に火葬は一時禁止されたことがありました。
明治6年(1873)7月、明治政府は突然火葬禁止令を出したのです。
この法は、遺体を焼くことによって生じる煙と臭いが不潔であり、人体に悪影響を及ぼすと考えた警察の統括機関が、司法省に火葬設置場所について意見を求めたことがきっかけとなっていますが、警察の統括機関の伺いに対して政府側は「火葬は釈迦の教法に由来し野蛮で残虐なもの」と断じて早々に火葬禁止を決定したのです。
神仏分離・廃仏希釈をへて、神道国教科政策が強引に進められるなか、仏教弾圧のあおりを受けて、火葬に代わって土葬が国家的に推奨されることとなりました。
しかし、この火葬禁止令はわずか二年足らずの明治8年には解除されています。
土葬は火葬に比べて埋葬地を広くとるため、たちまち墓地不足に陥ったからです。
それと欧米において火葬の普及がはかられていたことも関係しています。
こうして火葬は政府公認になりました。
明治期にはコレラ・チフスなどの伝染病が流行したのですが、伝染病で死亡した遺体は、火葬が推奨され、衛生上の観点からも火葬が有用と評価されるようになったのです。
現在のように公営の火葬場が整備されるまでは、戦後においても地方においては、火葬は墓地の片隅や村はずれで野天で行われることが珍しくなく「野焼き」などと呼ばれました。
この火葬は、筵がかけられた棺や藁や薪で焼くもので、最初に点火するのは喪主や身内の役割で、親族や村人の協力なくしては出来ないものでした。
火葬は、歴史的には仏教との関りで普及してきましたが、もはや現代では遺体の処理方法として認知され特段の宗教性を見出すことは難しくなってきております。

死霊観・祖霊信仰・死者の葬儀に繋がる


日本人の間には、古くから肉体には魂のやどるところであり、人の死は、そこに宿っている魂が抜けだした時の現象であると考え、魂の抜けた肉体は、けがれているものとする考えでした。
死体は、時によると別の魂がその中に入り込んで、再生するとも考えていようです。
そのようなことは、葬儀の方法や墓によって、うかがうことができます。
人が死んだとき、「魂よばい」をするところはきわめて多い。
西日本の各地では、屋根の上へ上がって瓦を一枚めくって、西に向かって「返せ、戻せ」と呼ぶと、魂が戻ってきて生き返ることがあると信じられていました。
もしそれで生き返えらなければ、もう生き返ることはないという伝承があります。
島根県の美保関では、井戸へ行って魂呼びをしたといいます。
これは、魂が地下へ行くものと考えたからで、京都などでは、お盆に井戸の中へシキミの葉を吊り下げておいて、それを仏壇にたてる風習がありますが、これなども、先祖の霊が地下から来ると考えたからにほかなりません。
死体のことを「ナキガラ」というのも、魂のぬけがらの意味だと思います。
このような考え方は、昔から固定していたわけではなく、時の流れなどによって変化し、土地土地によっても差異があります。
日本書紀には、旅する者が路傍で死んだ者を処理していかないために、そこに住んでいる者が困ったという話があります。
それは死の穢れが、そのあたりの住民に災いを与えると考えていたからです。
そうした場合には、連れの者が死者の処分をし、祈祷して災いの及ばないようにしなければならないようですが、連れの者にはその費用すら持ち合わせがなかったようです。
一般民衆の死体は、多くの場合は遺棄せられたようです。
貴族や豪族たちは、その死体を埋めて墳丘を造っていますが、数は限られており、一般民衆には墓はなかったと思われます。
餓鬼草紙によると、身分の高いものは埋められて土が盛られ、他の者の死体は地上にそのまま放置せられているか、箱の中に納められているかされたものと思われます。
いずれにしても、埋められるよりも、そのままに置かれて腐朽するにまかせていたのであろうと考えられます。
死体は埋めないにしても、死体を捨てる場所は決まりがあったようです。
土地土地によって違いがあるようですが、部落の端の岬のような向こう側が多く、けがれたものを、人の眼の届かぬ所に置き、人もまた死体をそこへもって行く以外は、そこへ近づこうとしなかったようです。
生きている者からすれば、死体を捨てる場所は、けがれていて近づいてはならない所であったでしょうが、そこが魂のあの世へ行く入り口であったかもしれないのです。
「一遍聖絵」には、坊さんたちが身体に石を括り付けて、水中に入って死んでいるさまが描かれています。
入水往生というものですが、これなど水の底に極楽があると考えられたからにほかならないからです。
同じころ、はやり始めた渡海入定なども似たようなものです。
これなどは、熊野の浦から小舟に乗って沖へ漕ぎ出て、再び帰ってこないのです。
海のかなたに、魂の故郷である常世が存在すると、考えたからであろうと推測できます。
死体を一定の場所におくことによって、人々はまずその中に宿っている魂が、かなたの幸福な世界へ行くことを祈ったのでしょう。
そして、魂が、なきがらから完全に去ってしまえば、もはやそのなきがらは,けがれているとは考えなかったのでしょう。
「けがれ」というのは、今日の「よごれる」という意味とは違います。
それが身につくことによって、不幸や病をもたらす性質をもったもののことなのです。
それは死者の魂がそうさせるものであるか、あるいは死者以外の魂が取り付いていて、わざわいするものであるか明らかではありません。
人間には、荒魂と和魂(にぎたま)の二つの魂があり、荒魂がわざわいするものであるとか、荒魂は時が過ぎると、和魂(にぎたま)に変わるのだという考え方もあります。
埋葬
日本の古墳の中の埋葬の様子を見ると、死体を傷つけないようにして、埋葬することがうかがえます。
縄文時代には、屈折が多いですが、その姿は、古い時代の夜具も十分でなかった時代の寝姿だったものと思われます。
そのような寝姿が、明治の初め頃までいたるところで行われていました。
昔の布団は小さなもので、手足を伸ばしては、はみ出してしまい、芋虫のようにまるくかがんで寝ていたのです。
山伏たちが峯入修行の時、笈を背負ったまま眠るのも、腰を折り膝を立て、その膝を両手に抱き、膝の上に顔を伏せた姿勢で眠れば、どんなに寒くても風邪をひかぬとも言われていました。
これは、屈折の姿勢の一つです。
足腰を伸ばしたままの葬法は弥生時代から起こり、古墳では殆どこれに変わっています。
身体を丸くして寝るのは、風邪をひかぬためばかりではなく、魂の抜け出ることを恐れたためではないでしょうか。
足腰を伸ばして眠ると、魂が抜けだしやすいと考えたのでしょう。
夢を見るということは、魂の抜けだすことであり、人魂の飛ぶというのは、魂が身体から抜け出してさまよい歩いている姿だとも言われています。
只、貴族たちは夜寝るときは、足腰を伸ばしていたようで、魂の抜けださないように鎮魂の祈祷を行い「たまむすび」ということをしたようです。
元気な時には、魂が身体から抜け出すようなことがあっても又、すぐに戻ってくるものと考えていたようですが、時には、別の魂が入り込むこともあると信じられたのは「憑き物」の俗信が物語っています。
狐がついたり狸がついたり、死霊、怨念、生霊などがつくと考えられたのは、そうしたものがついたとき、本人の魂はどこかにいっており、そのついている物が身体内に留まっている間は、その人自身の魂は、どこかにうろついていると考えられていました。
しかも、色々な魂が人間の身体に入ったり出たりするのは、魂が勝手にそうしているのではなく、その魂の上にもう一つ強い力を持つものがいて、それが色々の魂を支配していると考えられていたからです。
それが仏であったり、鬼であったりしたと思いますが、仏教渡来以前は、神が魂の支配者であると考えていたのです。
魂には上の管理者がいて、それが、人間の身体から魂を切り離したり、取り入れたりすると考えていたのです。
貴族たちはともかく、一般民衆の肉体は早く壊して、その霊を彼方の世界に追いやり、悪霊などのつくことがないようにしたものと考えていたようです。
火葬
死体を焼く風習は奈良時代からおこっており、仏教の伝来によってもたらされた新しい習俗とみられますが、その風習の一般化は著しく遅れ、今も土葬の所があります。
一般的に両墓制というのは、死体を埋めるところと、お参りするために建てる墓が別になっているものですが、一年間は埋めた所(埋め墓)へまいり、それから参り墓の方でまつりをする例が多いのです。
不慮の死をとげた者は、その肉体から魂が抜け切らないで、そのあたりをさまよっていると考えられました。
そして、それが、その付近を通る者につくと、考えられたのです。このような現象を「たたり」と言いました。
まつられることのない霊は、たたることが多かったので、たたられないようにするためには、供養して成仏させる必要があったようです。
このような考え方は、仏教が渡来してからのことであると思われますが、実は古くから日本民族の間にはそういう習俗があったようです。
僧侶が死者のまつりを行うようになってから、そのまつりが、巫女や神人達の手から次第に離れて、僧侶の専業のようになっていったと考えられます。
しかし、死人の霊の口寄せは今もなお巫女が行っています。
僧侶たちの供養によって、死者の霊は彼方の世界へ行ってたたることがなくなるし、火葬を行えば亡骸に別の霊が取り付くこともなくなるわけです。
巫女
巫女は、卜占、神游、寄弦、口寄の業をなしたと言われます。
又、巫女のことをイタコ、イタゴと呼びます。
巫女が大規模に集まることを、恐山地域ではミコマチ、イタコマチと言っています。
巫女が、死者の儀礼と、どうゆうつながりかを見てみますと、死後七日以降に行われる死者供養にかかわっているようです。
巫女の口寄は、社霊を慰める供養儀礼でありました。
あら仏が行きつくところに行けないで、家内近辺を浮遊しているので、それを冥界に送り込むために行うものです。
東北の人たちは「イタコ」について、あれは、めくらの人たちを救うために思い付いたものだと思うが、どうかね」などという場合があります。
恐山は、イタコの集まるところで、イタコになるには少女時代に一定の儀式があり、その修練を経た後、平泉中尊寺などから一種の免許証をもらうのです。
東北の霊山の一つとしてあげられる恐山は、人々に恐ろしい感じを与える霊山で火山と湖がその風土を構成しています。
この恐山が一年中で最も賑わいを示すのは、7月24日の地蔵講です。
この地蔵講の縁日を東北では延命利益を祈願する日としています。
それに至る七日間は、この山に死者が帰って来るので、霊に会うために恐山に行くのです。
恐山には、地獄と呼ばれるところが136もあります。
地獄というのは、仏道に背いて落ち込むところです。
この恐山には、イタコと呼ばれる巫女がいて、お寺の境内などにいます。
イタコたちは、信者と死霊との間の意思の疎通を助ける役目をします。これが口寄です。
口寄には、二種があります。
死口は、死者の霊、特に、先祖の霊を呼び出して、その気持ちを子孫に伝える役をするのです。
祖霊に対する供養を怠っているため、死霊が浮かばれず、そのために家人に病がたえないこと、或いは戦死した息子などと通じてくれます。
生口というのは、遠くに出稼ぎに出たまま蒸発した人々を呼び出すものです。
この恐山を中心とする信仰は、円通寺(1525)大覚院の創設したものでありますから、16世紀以降になって盛んになったと考えられます。
死霊観
日本人の死霊観には、死後の期間を前後に大きく二分し、そのそれぞれに全く異質的な機能が働くものであることが指摘されています。
死の直後から33~50年間は、みずみずしい死者の霊魂が、喪家又は地域社会の周辺に浮遊していて、その影響力を強く及ぼしている。
ことに死後四十九日の忌み明けまでは、特に近接の位置にあってその力が強く働いている。
日本人は、祖霊に対して最も恐るべき存在であるとともに、最も親しむべき尊敬に価するものと考え、このため生者は彼らを定期的に招待すべきとしています。
人が喜ぶときは、神も喜ぶものと考えて、招待の時期としても花咲く春、新酒の出来るころ、収穫期としています。
その際には、供養をすると同時に魔除けの呪術を怠らぬように努める必要がありました。
これは祖先にささげたものが、他の悪霊によって荒らされぬようにと考えたためだといわれていますが、その実は祖霊に対しては、親愛感とともに、一種の恐怖感を持っていたのでしょう。
このように我が国においては、祖霊信仰が固有信仰として知られています。
神奈川県下のある部落の調査によれば、真宗・禅宗を問わず土葬です。
死者が出ると白紙でもって神棚を蔽い、死穢の神に及ぶことを避ける気持ちがあります。
しかし、一般に真宗地帯の門徒の家では、この神隠し作法を行わないところが多いようです。
真宗檀家では死の忌に対し鋭敏に対応する習俗が見当たらない場合が多いからです。
にもかかわらず、この部落の門徒が、一般的な傾向と逆な行き方を取っていることは注意しなければならないでしょう。
それは、菩提寺の親戚縁者に死を告げに行く使い人の作法や、死者の枕頭における供養儀礼、死者を葬送する方式、忌服のしかたなどに現れてきます。
臨終が伝わると、死者にとって血の濃い順に末期の水を飲ませてから北枕に向きを変え、死骸の上に刃物を置きます。
魔性のものが死者に襲い掛かることを防ぐ呪法です。
それと同時に、庭先の隅に三本支柱の棒を立て、それに鍋をかけて枕飯を炊く準備をします。
別に枕団子を作ります。
湯灌や通夜も念ごろに行われています。
この穢をいみ、清浄を尊ぶという考え方に支えられた葬送習俗は、全国の津々浦々の農山漁村に例を見ることができます。
又、古代以来、死に対して喪に服する場合が多いです。
盆と祖霊
盆が、日本において、庶民の生活の中で生かされたのは中世以降からです。
山から祖霊を迎えるのは盆の時ばかりではない。
盆の時には、日夜望見する山より死者の霊を迎えようとするのです。
したがって、盆には仏さまが来ておられるので留守にするわけにはいかない。
仏さまにお茶を差し上げなければならないし、色々接待をしなければならない。
だから家を留守にするわけにはいかないと考えるのです。
こうした考えは、祖霊の加護への感謝と、死者へのまつりを大切にするという意識に支えられているのです。
盂蘭盆会が祖霊祭としての意味を持ち、民間における固有の祖霊信仰と結合をした葬式仏教の形をしめすものといえます。
それは戦国期において行われたと考えられ、庶民社会への定着は徳川中期と考えられます。