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葬儀は仏教が起源

現代の葬儀は、仏教を起源とする

現代に伝わる儀礼や習俗は、仏教を起源としているものが多くあります。
その代表が葬儀・葬式です。
この葬儀・葬式は、死者が戒名(法名)を頂いて、仏(ブッダ)の弟子となり、浄土へと旅立つ儀式です。
死者は、浄土に導かれ49日後に悟りを得て、仏に成る(成仏)と言われています。

現代の習俗や文化は仏教が起源

日本に仏教が伝わったのが、536年とされています。
6世紀末に、聖徳太子が仏教を国作りの基本としたことから、様々な仏教文化が生まれました。

葬儀以外で、仏教が起源のもの

葬儀以外で、仏教を起源としているものに、お彼岸やお盆があります。
このお彼岸やお盆は、仏となった先祖を偲び、同時にこの世にいる自分たちを守ってくれるように祈る行事です。

日本に仏教が伝わって、聖徳太子が仏教を国作りの基本としたことから、様々な仏教文化(儀礼・習俗)が生まれ、その代表格が葬儀なのです。
仏教文化から、葬儀、法要が行われるようになりました。
埋葬などの関係⇒墓地、埋葬等に関する法律の概要

葬儀と僧侶とお経

死⇒葬儀

葬儀とは、亡くなった時に行う葬送の儀式です。
つまり、葬儀とはあの世に亡くなった人を送る儀式で、僧侶などが中心となって行います。
それに対し、告別式は、故人を偲び、親戚縁者・近親者など一昔までは葬儀と告別式は別々に行われていましたが現在は区別なく「葬儀・告別式」として同時に行われています。

お坊さん

仏教が伝来したのは6世紀ごろです。
仏教は中国から伝わってきました。
当時はまだ僧侶もいませんから、中国人とやりとりをしていたのは、中国語が話せて漢字が読める知識層、いわゆる当時のインテリである貴族や役人だったと思います。
仏教は大変難しい教えであり、知識層であっても理解に苦慮したと思います。
そこで、日本においても仏教を学べる人間を増やそうと、中国へ人を派遣して学ばせ、国中に広げようとしました。
それが僧侶の始まりです。

お経

お経は、お釈迦さまの説かれた教えです。
教えを説いてもらったお釈迦様の弟子たちにより誕生しました。
お釈迦様が亡くなったの、紀元前5世紀頃と言われており、この頃にお経の原型も生まれたと考えられています。

死⇒葬儀⇔宗教の関り

日常、私たちはなかなか気づかないですが、死 と常に隣り合わせに生きているのが現実です。
身近な者の死によって、そのことを気づかされることがあります。
死の恐怖などから宗教・仏教というものが生まれ、古来から現代まで、宗教・仏教が脈々と受け継がれてきているのはそのためではないでしょうか。
人の死は、今日まで仏教と深く関わってきました。
現代もそのことは受け継がれ「人の死」イコール僧侶の読経となっております。
只、最近は人の死が軽んじられてきている事なのか、お葬式も簡略化され、僧侶の読経もなく葬儀が終わるということがあります。
人には、良いも悪いもその人の人生があったと思います。
そのことを大切に思い厳粛なる葬儀・厳粛なる僧侶読経が必要ではないでしょうか。

日本仏教

日本の仏教の最初
日本に仏教が伝えられたのは欽明天皇の時代です。
百済の聖明王が、釈迦仏金銅像と経典・仏具などを朝廷に奉献しました。これが仏教が伝えられたはじめです。
渡来人からの仏教伝来と葬儀の始まり
江戸時代の国学者の著書の中に、日本に葬儀・葬式に宗教が関与した記述がある。
その宗教というのが仏教です。
仏教は、はじめから葬式・葬祭にのみ関与する宗教であったわけではありません。
葬儀とは、死者の霊を墓に納める宗教儀礼をいいます。
人が死んでその霊魂が永久に安住する墓に納める方法は時代とともに変遷してきました。

仏教と葬儀と火葬


仏教と葬儀(火葬)
仏教が伝わったのは552年の欽明天皇の時代である。
大唐漢人の鞍部村主司馬達等が大和の高市郡坂田原に草堂を建て仏像を安置した。
この時、仏教と深い関係を持つ火葬が行われていたことがかまど塚に認められます。

葬儀の始まりと仏教の関り

葬儀の始まり
葬儀とは、死者の霊を墓に納める宗教儀礼をいい、人の死を弔うための儀式です。
墓に納める方法は時代とともに変遷してきました。
葬る方法は土葬、火葬、水葬など色々な方法があります。
葬るあり方が、時代とともに変わり葬儀は葬儀場で行い、荼毘は火葬場で行うようになってきて、その間に神官、僧侶、牧師らが関与するようにもなってきました。
一昔前までは、葬儀(式)と告別式は区別して行われていました。
告別式とは、告別式に参列した人たちが、焼香や献花をもって死者に対してお別れをする儀式のことをいいます。
最近では、葬儀(式)と告別式が一緒になって行われています。
人の死によって、葬儀と仏教が結びついてきました。
葬儀は必要(葬式無用論)?
葬儀は、死者の霊を弔うことが目的である。
只、現代は形がい化してきて、生きている者の見栄とか慰めとか或は慣習的に感動が伴うことなく行われている感がぬぐえないところがあります。
そして、かなりの出費が伴っています。
葬儀に宗教の関与
江戸時代の国学者の著書の中に、日本に葬儀・葬式に宗教が関与した記述があります。
その宗教というのが仏教です。
仏教としても、はじめから葬式・葬祭にのみ関与する宗教であったわけではないと思います。
形骸化したのは近世になってからだと考えられます。
寺壇制が確立され、寺院側の檀家支配の統制下と、寺院運営経費の面から様々な葬儀、法要の形式を確立するため必要性に迫られたためだと考えられます。
であるから、祭主や喪主などの遺族の側からの意思は含まれていません。
僧侶は、仏教に専念して勤行に努めるよりも、収入面に振り回されて、自らの品格を高めることは二の次となり、次第に死者に引導を渡すことができない僧侶が増えたのです。
縄文・弥生時代
縄文・弥生時代の墳墓から、埋葬法の変遷が分かります。
その墓は貝塚、洞窟、砂丘の中に多く見いだされます。
人骨は伸展葬、屈葬、座位などのものもみられます。
死者を葬るには、土中に埋める方法が多く用いられました。
土中から発見される死者は、多くは折り曲げられたり石を抱かされたりして、この世に蘇らないように圧迫されています。
縄文時代から弥生時代になるにしたがって、棺に納められるようになりました。
これは、死者の霊を恐れることと、死者の霊を大切にして祖霊として子孫を守ってほしいという願いが込められたものと考えられます。
日本人は、死者の霊を恐れることから、祖霊に対して最も恐るべき存在であると考えていました。
半面、霊を最も親しむべき尊敬に価するものと考えており、このため霊をその時々においてまっつたのです。
人が喜ぶときは、神も喜ぶものと考えて招待の時期を定期的に決め、霊をまっつたのです。
その際には、供養をすると同時に魔除けの呪術を怠らぬように努めていました。
これは祖先にささげたものが、他の悪霊によって荒らされぬようにと考えたためだといわれていますが、実際は、祖霊に対しては、親愛感とともに、一種の恐怖感を持っていたのでしょう。
縄文時代は墓標は立てなかったようですが、弥生時代は死者を追想するようになって墓標を立てるようになったようです。
火葬
火葬の始まり
火葬は、インドに端を発し中国を経て我が国に伝えられました。
それは仏教の伝来よりやや遅れ僧道昭によってなされました。
「続日本紀」「万葉集」の中に火葬がされたという内容の文があり、6世紀末から7世紀ごろには人が亡くなった場合は火葬の風習があったともいわれています。
持統、文武、元明、元正天皇は、火葬をもって葬られたという記録もみられます。
これは、仏教的葬法であるとみることが出来ます。
カマド塚には、火葬人骨があり、火葬を行ったことが裏付けられています。
火葬の浸透
火葬はインドから中国へ伝わっていきました。
後に新羅に伝わり火葬が流行し始めました。
日本においても奈良時代に全国的に普及浸透していきました。
又、上流階級の人々をはじめ有位無位に関わらず広範囲に渡っています。
骨壺
遺骨の収納方法は骨壺と言われる鞠型の容器に納めて埋葬されています。
骨壺には、陶製のものが多く、銅製、金銅製のものがこれに続いている。
しかし、当時は土葬墳も少なくありません。
神信仰の減少
日本は、誕生以来農業国です。
国是は農本主義的であり、宗教儀礼も農耕儀礼を基盤にしていました。
只、戦後の日本は高度経済政策によって農業国家としての基本構造を変えさせ、かって日本の持っていた国家構造の基盤にさえ大きな動揺をもたらしました。
日本の持っていた祖霊が、農業生活を守ってくれるという意識、そのことを基盤とする日本人の神信仰を変化させていきました。
家には神棚や仏壇が少なくなり、墓と神棚・仏壇の結びつきは断たれ、神社や寺との結びつきも断絶していき、現代は核家族が主流となっています。

葬儀と僧侶読経!!

僧侶の読経で故人を送る
我が国は仏教国ということで、昔からお葬式においては、僧侶の読経で故人を見送っています。
現代は宗教離れ・仏教離れ・檀家離れと言われる時代ですが、私たちの心の中には「僧侶のお経で故人を送ってあげたい」と思う気持ちが根強く残っています。
故人をお経で送ってあげることは、故人の遺徳をしのび、残された者の幸せを叶えるものなのです。
葬儀と通夜
私達は、故人の死を厳粛に受け止め、故人を偲んで通夜を執り行い、お経をあげさせて頂きます。
葬儀と葬儀式
葬儀式には、親族、親戚縁者、故人のお世話になった方、故人と何等かの形で関わった方などと伴に、お経をあげて故人を偲びます。
これらのことが、葬儀時の仏事としての読経なのです。
葬儀時のお経の大切さ
私たちは古来より、仏教を信じ守って来ました。
そして故人の死を厳粛に受け止め、偲ぶ形として葬儀・葬式という形が作られてきました。
現代は、目に見えるもの、裕福なことが幸せ、という観念で生きてきているように思います。
ですが、目には見えななくとも、自分があるのはご先祖のおかげということを、認識すべきことによって幸せが訪れると思います。
どのような葬儀であっても、ご先祖が信心してきたお経での葬儀を執り行うことが大切だと思います。

死の直後に枕経を

枕経は大切

枕経の意義
枕経とは、人生の終わりに臨んでご本尊に対するお礼の勤行です。
枕経は人が亡くなった際、仏さまに対し「お世話になりました。今後とも残された者をお守り下さい。」と、出来るだけ早くお経をあげさせて頂くのです。
この枕経は、人生を終えようとする本人がお勤めするものですが、いつ寿命が尽きるかはわかりませんので、仮に生きておられるものとしてお勤めさせて頂くのです。
ですから、お経の中でも枕経(まくらぎょう)は非常に大切なお経なのです。

何をおいても枕経(まくらぎょう)

日本は仏教国であることから、一昔前はお寺に身内が亡くなった旨届け出(報告)し、お葬式依頼前に、まず枕経(まくらきょう)をあげ、その後にお葬式の段取りをしました。
近年では、最初に葬儀社に連絡します。
ですから、葬儀社に言われるままに事を運んでしまいます。依頼を受けた葬儀社は、「枕経(まくらぎょう)をあげましたか」と、最初に言う葬儀社(担当者)は殆どいないと思います。
宗教離れ・仏教離れから「枕経を」と、思う人は少なくなってきておりますし、葬儀社自体も「まずは、枕経を」と、言いわなくなってきています。
ですが、「人が亡くなれば、何をおいても枕経」なのです。
亡くなられてからなるべく早く、僧侶に来て頂き枕経をあげることが大事です。
僧侶が、本人に代わって枕元に座ってお勤めしたことから「枕経」と言われるのです。
遺体に対して読経するものではありません。
浄土真宗では「臨終勤行」と言います。
最近では、枕経(まくらぎょう)はあげず、或いは通夜経と同時に挙げている方が多いようです。
ですが本来、枕経(まくらぎょう)をあげることによって、故人のお顔が「綺麗に!」と言われています。
それ程、お経(おきょう)は、人の死に大切なことなのです。
ですから、枕経は亡くなられた後、出来るだけ早く通夜経とは同じくせず、あげることが大切だと思います。
お葬式に際して、ご自宅或いは葬儀会館などの安置場所において、納棺までに枕経をあげることが、その方の最後の阿弥陀様に対するお礼として、仏式葬儀では非常に大切なことです。
枕経は、故人にとって一番大切なお経!!
枕経は故人にとって一番大切なお経です。
それは故人さまが仏さまに対し
「久遠という、とてつもない昔より今日まで絶えることなく、お育て頂きましたおかげで、いよいよ娑婆の縁尽きて、阿弥陀如来さまのお浄土に往生させていただきます。
今日までありがとうございました。」
と、死に臨んで本人があげるお経なのです。
ですから、臨終勤行ともいわれる所以なのです。
しかし、私達はいつ寿命が尽きるか分かりませんので、仮に生きておられるものとして、僧侶が故人の枕元に座ってお経をあげさせて頂くのです。
枕経(まくらぎょう)は、仏様に「お世話になりました。
ありがとうございました。」等のお経でありますので、亡くなられてから納棺までの間にあげるのが本当なのです。
私たちは古来よりご先祖を崇拝し、仏教を信じ守ってきました。
このことが私たちを、仏の教えである「共に生きていく」という人間を育ててきたと思います。
世の中がいかに変わろうと、私たちは人間として生きていかなければならないのです。
そのためにはやはり、仏教の真髄であるお経を心のよりどころとして、人が亡くなった際には「お経」で故人を送ってあげることが必要ではないでしょうか。
今後の幸せのために、手抜きのない葬儀を!!
私達は宗教離れ・仏教離れしているからと言って、宗教的儀式を全て省いているという人は皆無だと思います。
それはどの国においても人間は、儀式を重んじてきた歴史があり、その歴史が受け継がれてきているのです。
「儀式」イコール「人間の幸せ」を求めているからです。
故人を偲び、遺族の幸せを願うからこそ「枕経をあげる」といっても過言ではありません。
人が亡くなれば、最初の連絡は葬儀社ではなく僧侶に!!
最近では病院で亡くなる方が殆どのため、遺体搬送のことからどうしても最初に葬儀社に連絡してしまい、その遺体搬送を依頼した葬儀社にそのまま葬儀依頼をしてしまいます。
その葬儀社が良い葬儀社であればいいのですが、そうでなければ「葬儀社の都合」によって葬儀を運んでしまいます。
遺族のことを真に考えて下さる葬儀社であれば「深夜など時間帯に関係なく」枕経を勧めるはずです。
葬儀社の良し悪しが分からない私達は、最初に葬儀社に連絡するべきではないと思います。
私達、幸せを望む者にとっては枕経を出来るだけ早く上げてくれる僧侶或いはお寺に連絡すべきなのです。
「枕経」を省力してはならない
現代は、多種多様の職種、裕福さを求めての共働きなどから、昔のように全ての身内、友人・知人が揃うことは殆ど無くなりました。
そのような社会情勢から「目に見えない事」は、どうしてもおろそかにされたり、省略化されているような社会となっているような気がします。
しかし、反面では私達は幸せを望んでいるのです。
人によれば幸せのために「共働きをして稼いでいる」と言われると思います。
ですがどうでしょうか?
手抜きをしたことは完成されたものではなく、又心がこもっていないものとなっているのではないでしょうか。
「枕経」は仏さまに対する「お世話になりました。ありがとうございました。残されたものを見守って下さい」という思いのお経なのです。
ですから、簡略化した葬儀を行う事なうことなく、一昔のように「亡くなって出来るだけ早く枕経をあげる」という一つ一つの事柄を大切にした葬儀・葬儀式を行って頂ければと思います。

葬儀の時の読経

葬儀の際、僧侶の読経は、一般的には最初に枕経・通夜経・葬儀式でのお経・初七日法要の4回です。
お布施は、地域・寺院・僧侶によって、お布施の金額が違います。

通夜経・通夜の時にあげるお経

亡くなられた当日に通夜を行わない場合は、仮通夜を行います。

葬儀式・火葬場・初七日のお経

葬儀・告別式のお経、葬儀・告別式後に火葬場に於いてあげるお経、火葬後にあげる初七日法要(繰り上げ初七日法要)のお経があります。
近年では、繰り上げ初七日法要ではなく、葬儀・告別式内に初七日法要のお経(式中初七日法要)をあげる方式が多くなっています。

還骨法要

火葬後、お骨になってきたときにあげるお経ですが、近年では、火葬後に繰り上げ初七日法要を行うことから、この還骨勤行は省略されています。
葬儀の参考⇒葬儀

近年のお坊さんの実態

近年、お寺との檀家・門徒制度は崩れておりますので、
・お寺とのお付き合いの無い方!!
・お寺とお付き合いをしたくない方!!
・お寺とは、その時々の付き合いでよい方!!
・家の宗派がわからない方!!
などの方も多数おられます。
又、お寺とのお付き合いが無いばかりにお葬式となった場合、「どこに連絡すれば?」と困っておられる方もおられます。
そのようにお困りの方は、
葬儀・法事の市民サポート「良心のお葬式」へご連絡下さい。

お寺維持のため、派遣僧侶となっている

お寺維持のため、僧侶派遣の僧侶へ
多くのお寺は、葬儀社からの依頼、派遣会社からの依頼によって葬儀、法事をお受けしているのが現実です。
勿論、お寺が無い一般家庭からの住職資格のある僧侶も派遣会社からお勤めを貰っています。
お寺がある僧侶も、お寺が無い僧侶も派遣僧侶になっているのです。
ですから、派遣僧侶が如何わしいわけではありません。
派遣僧侶イコール悪徳僧侶ではない
派遣僧侶とは、組織などから依頼されてお葬式、法事などに於いて読経をあげるために、その場所に赴く僧侶を言います。
よく派遣僧侶は「お経をあげるだけ」「色々問題が生じている」など派遣僧侶に問題があるように言われていますが、事実はそうではありません。
派遣僧侶に問題があるわけではないのです。
派遣僧侶とは、ある組織などに依頼されて「お経をあげる」のですから、
その派遣僧侶の中には、
・お寺だけでは生計を立てることが難しい、お寺の住職をされている方
・お寺では生まれ育ったが次男坊
・次男、三男坊であるため実質お寺を所持せず、生計を立てるため派遣僧侶として活動されている方
・生まれ育った環境はお寺ではないが、その宗派の正規の学校で学び僧侶となった方
・お寺に努めて、そのお寺から派遣されている僧侶 が派遣僧侶としてお勤めをしている方
などが派遣僧侶としてお勤めをしております。
前述したようにお寺持ちの住職も派遣僧侶として活動していますから、お寺無しの僧侶だけが派遣僧侶ではないのです。
又、「色々な宗派のお経をあげる派遣僧侶がいる」ということを聞いたことがありますが、お寺持ち(自坊がある)の住職がそのようなことをされている方もいます。
ですから、派遣僧侶イコール悪徳坊主ではないのです。
このことは是非、認識を新たにしておくべきでしょう。
僧侶手配・依頼を行うにあたって「派遣僧侶は駄目」という認識ではなく、その僧侶がその宗派の資格を確実にもっているか、そして常にその宗派の教義を勉強しているかだと思います。
私達が僧侶を依頼する場合、その僧侶の身分を明らかにして頂くことだと思います。
僧侶資格の確認が大切
前述の「身分を明らかにして頂く」
このことは、仕事(お勤め)を受けた僧侶が出向かず他の者に行かす。
ということを耳にすることがあるからなのです。
勿論、急なこともありますので、代わりの僧侶が行くこともあろうかと思います。
只、この代わりの者が僧侶かどうか、僧侶風であっても僧侶資格、或いはその宗派の資格を持っているかどうかということです。
そのために、「身分を明らかにして頂く」、この事が大切なのです。

本当のお坊さんが必要

お寺の維持のみを考えている僧侶は
いらない

現代は、檀家・門徒制度が崩れ、「お寺での生計が経たなくなっている」と聞きます。
ですが、これは不思議な事ではないと思います。
元々、檀家制度とは、私達庶民をお寺が身分保障を行って、私達の生活に関わり、お布施、或は護寺費という名目で「お金」を納めさせ、お寺は生計を維持していたのです。
現代は、お寺から身分保障されるいわれはありません。
人として生きていく以上「宗教」「仏教」は、「必要不可欠」だと思います。
ですが、「お寺として何代目だ。だから、お寺に来なさい。という考えのお寺は全く不要なのです。
お釈迦さまは、自坊というものを持たず、「法」を説いてまわられました。
ですから、只の生計を立てるためのお坊さんは不要です。
逆に、お坊さんとして寄り添ってくれる「僧侶」は必要なのです。
その辺の見分けが大切だと思います。

檀家・門徒制度

 檀家制度の成り立ち

檀家制度の成り立ちは、江戸時代の城江戸幕府の政策にさかのぼります。
江戸幕府は1613年に全国を対象としてキリスト教の禁止令を発布しました。
それとともに幕府は全国民を仏教諸宗のいずれかに所属させる政策を取ったのです。
そして幕府は寺院に庶民がキリシタンでないことを証明する役割を命じました。 武士2このため庶民は、キリシタンでないという証明を必要としたため「旦那寺」に絶対的に服従せざるを得なかったのです。
これが「檀家制度」の始まりであり、「旦那寺」が菩提寺なのです。

檀家・門徒制度の崩壊

現代は、宗教離れ・仏教離れから檀家・門徒制度が崩れ、都会では、大半の方がお寺とのお付き合いが無いのが現実です。
ですから、いざお葬式となった場合、
「葬儀でお経をあげてもらいたい」と思っても、どこに依頼すればよいのか分からず、ほとほと困ってしまいます。
近年では、
お寺との付き合いのない方
お寺とお付き合いをしたくない方
お寺・僧侶とは、その時々の付き合い(葬儀・法事など)でよいと思っている方
が、大半となっております。

僧侶派遣(僧侶紹介)の時代

檀家・門徒離れの現実
現代は宗教離れ、仏教離れしているのが現実です。
ですから、年々、お寺が潰れているということを耳にすることがあると思います。
ひと昔までは、大半のお寺が門徒さんのお布施、護寺費という名目で生計を立てていました。
現代は檀家・門徒離れが進み、生計の維持が出来なくなっているお寺が大半ではないでしょうか。
葬儀の時の僧侶依頼(僧侶紹介・僧侶派遣)
今日、仏教離れ・宗教離れしていることから殆どの方がお寺とのお付き合いがありません。
しかし、日本は古来より仏教国であり、大半の方がご先祖から受け継がれているお経をあげてのお葬式を望まれます。
又、今日、普段からお寺・僧侶とのお付き合いが無いため突然の葬儀に戸惑ってしまう方が殆どです。
そのために
・葬儀に於いてお経をあげます
・法事をお受けします
という僧侶紹介が生まれてきました。

葬儀と戒名(法名)

葬儀と戒名(法名)のつながり
人が亡くなれば、人の死に対する儀式を行ってきました。
そして、私達は古来より仏教国で、仏教を信じる心を育んできました。
その信心深い性格を先人より受け継ぎ現代に至っています。
そのようなことから、お葬式に際しては、戒名(法名を)付けられる方が殆どとなっております。
最近では葬儀に於いて、亡くなった方が仏門に入ったということで戒名が授けられるようになりました。
葬儀と戒名(法名)
戒名とは、
厳しい戒律を守って仏門に入った人の名前のことです。
詳しく言えば修行をして、経典を学び、仏教を教学した証として与えられるものなのです。
戒名は、本来ならば生前に与えられるものなのですが、仏教離れなどから殆どの方が生前にいただく人は少なくなって亡くなってからいただく人が殆どとなりました。
真言宗・天台宗・臨済宗・曹洞宗・浄土宗は「戒名」と言います。
浄土真宗では、「法名」と言います。
戒名の種類
〇〇院 △△ □□□ ▽▽
院号  道号  戒名   位号
院号は、寺院や社会に対して非常に大きな貢献をした人に贈られる称号で戒名の中でも最も高い位です。
道号は、仏教の道を究めた人へ付けられる特別な呼び名を意味しています。
道号があることによって、戒名に格式の高さや個性がプラスされます。
戒名は、仏の世界へ行ける証として与えられる名前です。
位号は、戒名の最後に付けられる2文字の漢字です。
性別や年齢によって使い分けられます。
戒名を頂くにあたって、戒名(法名)の種類によってお布施額(戒名授与料金)に違いがあります。
※注)
浄土真宗では、法名と言い一般的に「釋 〇 〇」或いは女性の場合「釋尼 〇 〇」と付けます。
院号を頂いた際には「〇 〇 院釋 〇 〇」或いは「〇 〇 院釋尼 〇 〇」と付けます。

無料相談を利用~正しい情報の入手

普段からお寺とのお付き合いが無く、急にお葬式となった場合、「どこに依頼すれば?」と困ってしまいます。
1つの解決方法としては、現代はパソコンなどメディアの発達によって簡単に情報を入手できますので、スマートホンなどで色々な情報を入手することです。
只、気を付けなければならないのは、情報量が多すぎて混乱してしまうことと、間違った情報を入手することです。
かえって、昔のほうが情報量の伝達数は少ないが、情報の正確さはあったと思います。
現代に生きている私たちは、情報を鵜吞みすることなく、自分の知りたいことについて2~3か所は当たって正確な情報を得ることが大切だと思います。

元警察官・現僧侶が葬儀相談対応
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元警察官・現僧侶

「良心のお葬式」は、葬儀・法事の市民サポートセンターです。
元警察官で現僧侶を顧問として迎え皆様の相談に応じています。
葬儀(お葬式)は、殆どの方が事前に用意される方は少ないと思います。
身内の方が亡くなった場合、どうしても動揺してしまい、「直ぐ、葬儀社に連絡!!」となってしまうようです。
後々、後悔される方もおられます。
お葬式となった場合、絶対、葬儀社依頼前に無料の事前相談を行って下さい。

「葬儀は葬儀社に、お経は僧侶に」の関係

全てを葬儀社任せにしない!!
現代は、殆どの方が病院で亡くなります。
早くご遺体を病院から安置先へ移動させなくてはならないため、まず第一に葬儀社に連絡してしまいます。
しかし、一昔まではご自宅で亡くなる方が殆どでしたので、まず隣保の代表者に連絡し、隣保の主だった人や身内で葬儀の段取りを決めたものです。
現代のように葬儀全てを第一報した葬儀社任せにしてはいなかったのです。
葬儀社依頼と僧侶依頼は別々に依頼すること!!
ですから「葬儀社はどこに依頼するか」「僧侶(読経)は依頼したか」と、よく熟慮して葬儀社依頼と僧侶の読経依頼を行ったものです。
そのことから葬儀費用の内訳、僧侶へのお布施など葬儀全般の葬儀費用の明細が明瞭だったのです。
現代は葬儀社に全てを任せているところがあり、葬儀費用の内訳がはっきりしないところがあります。
私たちは喪主などとして、葬儀を経験することは殆どありません。
ですから、ついつい安易な方に流れ葬儀後に悔やむことが多いのです。
現代は、メデァの発達によって色々な情報が直ぐに手に入ります。
ですが反面、誤報も多いということを認識しておかなければなりません。

明瞭なお布施

明瞭なお布施のために!!
最近では身内の者が亡くなった時、宗教離れ・仏教離れから、お寺に連絡することは殆ど無くなりました。
又、病院で亡くなられる方が殆どですので、ご遺体搬送のため第一報は葬儀社に連絡するのが普通の形となっております。
ですから、お寺への連絡或いは僧侶への読経依頼は、遺族からではなく葬儀社から入るような形となっております。
ここに、お布施の不明瞭さが生まれてきます。
全てではないと思いますが、お礼をしなくてはという素地が出てくるのです。
そこに、お布施の不明瞭さが出てくるのです。
このような不明瞭さを生み出さないためにも、葬儀社依頼と僧侶読経依頼は別々に依頼するのが得策なのです。