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枕経

25,000円
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(法名)授与無し

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釜前葬

30,000円
戒名
(法名)授与無し

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1日葬

60,000円
戒名
(法名)授与無し

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一般葬

100,000円
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(法名)授与無し

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※ 1日に付き、交通費別途 5,000円お願いします
※ 初七日法要は、式中初七日です(戻り初七日はプラス1万円お願いします)

注)
◎ 枕経(まくらぎょう)は、死亡された後、出来るだけ早く葬儀(葬儀打ち合わせ)前に、あげるお経です。
◎ 釜前葬は、火葬場に於いて火葬に付す直前のお経です。

葬儀(お葬式)には、お坊さんが必要!!

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出来るだけお金を使わない葬儀の為には、中立的立場の者に葬儀相談するのが一番です。
葬儀・家族葬の葬儀相談・葬儀時の読経は、西宮・神戸・尼崎・伊丹を基軸として芦屋・川西・豊中・吹田・大阪・摂津・茨木などで対応しています。

良いお坊さんに依頼!!

↠連絡 枕経

お亡くなりになった時、僧侶に連絡、枕経をあげ、その後葬儀の準備を行います。

日本に於いては、古来より人が亡くなればお坊さんに連絡して、まず最初に枕経(まくらぎょう)をあげていました。
枕経は本来、故人が亡くなる直前に「お釈迦さまに長らくお世話になりました。ありがとうございました。」と、あげるものなのです。
しかし、私たちは亡くなる直前に、中々自分自身でお経をあげることが出来ませんので、代わって僧侶(お坊さん)にお経をあげてもらうのです。
これが枕経なのです。
この枕経をあげると「故人のお顔が奇麗になる」と言われています。
現在はお寺・僧侶や葬儀社の方も枕経(まくらぎょう)という言葉を知っていても「出来るだけ早く」をしていないのが現実です。
以前聞いたことですが、
夜中に亡くなられた遺族の方に、「直ぐにお坊さんに連絡してください」というのではなく、「午前6時になればお坊さんに連絡してもいいですよ」と、葬儀社の方に言われたそうです。
又、通夜式の時に「枕経もあげますか」と言われる葬儀社の方もおられるようです。
これでは枕経(まくらぎょう)は何なんだろうと思います。枕経(まくらぎょう)をあげてから葬儀の準備をするのが本来です。

お寺との付き合いのない方の葬儀

私たちは、葬儀に際して、
・菩提寺はありますか
・お寺さんとのお付き合いはありますか
・檀家さんになっていますか
・門徒さんになっていますか
という事をよく聞きます。
これは江戸時代にお寺を「旦那寺」として、私達とお寺がつながりがあったからです。
この旦那寺は、江戸時代の徳川幕府が私たち庶民を管理するために作った制度なのです。
ですから、今となっては、このような制度は不要なものなのです。
現在に於いて、この制度に何ら縛られることはありません。以前メデァで流れていたことですが、
先祖代々、お寺にお墓を管理してもらっていて、住居の関係からお墓を別な所に移そうとしたところ、そのお寺から1千万円要求されたと聞いたことがあります。
確かに今までお寺にお墓を管理してもらっていたのであれば謝礼程度は必要かもしれませんが、お金を出すように強要されることはありません。
このように、お寺内にお墓を管理してもらっていて、以後もそのようなお墓を管理してもらっているから、お寺と関りを持っていたいという事ならば、お寺との関係も必要かもしれません。
しかしながら、お墓がお寺の敷地外や、今までお付き合いがあっただけ程度ならば、無理をしてお寺とお付き合いをする必要はありません。
宗教の自由なのです。
今までお寺とお付き合いをしていたから、離れれば罰が当たるという事はありません。
現代では都市部では90%以上はお寺とのお付き合いはないと思います。
近年、お寺離れをしながらも、お葬式・法要はちゃんと仏式で執り行いという方もおられます。
又、企業として、そのような方が利用できる斡旋業も出てきております。
例えば身内が亡くなりお葬式となった場合、葬儀社を斡旋する企業がありますし、その葬儀の時、僧侶の読経斡旋を行っている企業もあります。
そのような企業を利用すれば、何も菩提寺・檀家制度によって、お寺に所属していなくとも葬儀・法要を行うことが出来ます。
葬儀(お葬式)を含め全てのことに関して、メデァなどを利用して良いものを探す時代ではないでしょうか。
特に宗教・仏教はその人の運命も変えるほどの影響力があるものです。
時代の変遷とともに、全てが移り変わってきておりますので、今まで通りという惰性的な依頼方法は慎むべきだと思います。

仏式での葬儀は大切な事

近年言われておりますのが、お坊さんを呼ばない葬儀や故人の遺志を尊重した無宗教葬です。
人それぞれの考え方があっていいと思いますが、宗教は人が生きていくうえで大切なことではないでしょうか。
大企業家やお金持ちの人が正月などに神社に「繁栄」を願ってお参りしています。
私たち庶民も「幸福になるように願って」、神社にお参りします。
大半の方が正月には、或はその前後の日には、神社にお参りするのではないでしょうか。
お参りしたからと言って、お参りした全ての人が思い通りの結果が出ているかと言えばそうではないと思います。
「何でこんな1年になったのだろう」と、思われる方も沢山おられると思います。
お参りしたからと言って、自分の思いが全てかなうものではないと思います。
しかし、私たちは幸せを願ってお参りするのです。
この幸せになるという事は、宗教から派生していると思います。
宗教は、人としていかに生きるべきかを追求し、人を幸せに導くためのものだと思います。
葬儀(お葬式)とは、人との最後のお別れの式典です。
その人の生きてきた人生を偲び、仏になった故人から幸せを叶えてもらうための式典なのです。
このことを人類は時代と共に進化させ、積み重ねてきたことなのです。
それを疎かにして幸せは訪れないのではないでしょうか。
人によって、意見・価値観・考え方は、それぞれあっていいと思いますが、我々が何千年前から積み重ねてきた知恵を放棄していいものでしょうか。
私達が頭脳明晰だったとしても、経った何十年しか生きてきていない私たちの知恵で、先祖が積み重ねた知恵に勝てるとは到底思えないのです。
又、宗教=教育だと思います。
宗教は、人としていかに生きていくべきか、幸せになるためにはどう生きていくべきか、を教え導いてくれるものです。そして、教育は、「幸せになりたい」その為には、色々なことを覚え知識を付けていくもので、その内容からすれば、宗教と教育はイコールであり、宗教から教育は派生したものと考えられます。
つまり、宗教から教育が派生し、教育によって「幸せになるため学ぶ」だから、宗教=教育なのです。
教育を子供につけさせるのは、その子供に幸せになって欲しい、そのためにはこの世で少しでも苦労せず過ごしてもらいたい、苦労しないという事、それはいい職業について、お金に不自由しない生活を送らせてやりたい。
これが親の子供に対する想いであり、その為に多くのお金をかけて教育をしているのではないでしょうか。
ここで少し考えてはどうでしょうか。
私達がいるのはご先祖あって、親がいての存在ではないでしょうか。
そのご先祖・親の送ってきた人生を偲ばずして、幸せが来るでしょうか。
人を押しのけ、人の存在など関係ないでは、何のための教育でしょうか。
おそらく人を大事にしない人は、幸せになりたいといくら頑張っても、幸せには程遠いのではと思います。
幸せを願うならば、人を大切に・ご先祖を大切に・親を大切に・故人を大切にだと思います。
この故人を大切には、葬儀に於いて故人を偲んであげる、このことが一番だと思います。
何もお葬式は派手にしなくても、「故人を偲んであげる」。このことが大切であり、その為には宗教・仏式を大切にする、に繋がると思います。

良いお葬式とは、故人を偲ぶこと

誰しもが、身内が亡くなった場合「良いお葬式をしたい」と考えるものです。
そこにはお金がいくらかかるという難題もあります。
この兼ね合いが非常に大切なことです。
故人を偲ぶという事を疎かにして、お金(葬儀費用)の事だけを考えてお葬式を執り行えば、故人を偲ぶという事は疎かにされ、人間としてどうだろうという結果につながりかねません。
現在は全て経済(お金)で世の中が回っている時代です。
何かを他人に依頼しようと思って話をしていても、これ以上お話を続ければ○○分で○○円の料金が派生します、という時代です。
一昔前とは考えられない時代となっています。
そのような社会構造になったため、全てがお金で回っており、全てがお金で解決という事になって、精神面は疎かになってきている、世の中となっているのではないでしょうか。只、お金では「幸せ」は買えないと思います。
いくらお金をつぎ込んでも永遠に生きることはできない、最高の医者団のスタッフ・医療技術・医療器具をつぎ込んでも生命を買うことは出来ないと思います。
世の中には大金をつぎ込んで自分の思い通りに人を動かそうとする人もいるようですが、完全にそのことがやり遂げられるでしょうか。
おそらく途中で挫折、或は断念しなければならない結果になるのではないでしょうか。
断念だけで済めばいいのですが、お金で人を支配しようとした結果、自分自身がどん底に落ちるという結果につながるのではありませんか。
それはこの世が、不可思議的なことだという証明ではないでしょうか。
最近よく見聞きすることですが、お金を十二分に儲けた人が、他人を幸せにするため慈善事業を行ったりすることがあるようです。
これは人として「相手を思いやる。人を大事にしなければな自分は幸せになれない」という潜在的な意識がってこのような事前行為になるのではないかと思います。
このようなことを考えますと、人間の根底には「人を大事にしなければ、幸せに離れない」というものがあり、余裕が出来て初めてそのことに気づく人が大半なのではないでしょうか。
このように考えますと、お金よりも人を大切にという事ではないでしょうか。
究極的には故人を大切に想い、偲んであげるという事に行きつくと思います。

お寺との付き合いが無くてよい

檀家・門徒制度の崩壊

日本は、高度経済成長期より人口の流動によって、人口が都市に集中し、地方では過疎化となって、都市集中型の人口構成となってきました。
その影響で核家族化が進んできました。
このような、世の中の大きな変動によって、仏教離れ・宗教離れが進み、都会においては、90%以上の方が檀家・門徒制度から離れているといわれています。
そのような中にあっても、お葬式或はその後の法要は、やはり行いたいという方が殆どでございます。
只、お寺とのお付き合いではなく、「お葬式、或はその後の法要を行っていけばよい」という考えの方が増えてきておられます。
お寺とのお付き合いが無くても、僧侶によるお経(読経)をされれば何ら変わりはありません。
日本は仏教国であり、仏教を信奉して生きてきました。
お寺はあくまで仏教に付随したものであって、お寺とのお付き合いが無くとも仏教の信奉に変わりがないのです。
時代とともに、変わりゆくものも当然あります。
その1つが、檀家・門徒制度ではないでしょうか。
この檀家・門徒制度は、江戸時代の徳川幕府が権力維持のため、お寺に民衆を管理させるため作ったものなのです。
それが現代まで続いているという事は、逆に不思議な事ではないでしょうか。
この檀家・門徒制度が続いてきたのは、信仰心の篤い日本人の考え方とお寺を離れることによって災いが降りかからないか、という畏怖心があってのことではないでしょうか。
それが現代の科学の発達によって「災いなど降りかからない」という事が分かり、理解する人が増えてきたためではないでしょうか。
しかしながら、仏教というものは私たちが生きていく上に於いて教育の原点・幸せを求めるための原点と理解すれば、計り知れない大切なことであると知るに至るのではないでしょうか。

葬儀形態の移り変わり

お葬式の形態も時の流れとともに変わってきております。
今まで、お葬式といえば、親戚、知人、近隣者の多くの参列を得てのお葬式でした。
つまり、通夜を伴ったお葬式である「一般葬」でした。
しかし、近年は「家族葬」が多くなってきております。
家族葬とは、今までの密葬と言われるもので、身内だけの少人数のお葬式と思えばいいでしょう。
それは、核家族化、遠く離れた親戚との疎遠化、近隣住民との疎遠化などによって、少数でのお葬式が好まれるようになったからだと思います。
又、少人数でのお葬式ですので、費用もあまりかけなくてすみます。
お葬式にはお金をかけないという世の中を反映しての葬儀形態の変遷だと思います。

元警察官・現僧侶

元警察官・現僧侶に相談

葬儀(お葬式)となった場合、お寺と付き合いが無いから「困った」という方が大半だと思います。
そして、葬儀社に「お寺さんを紹介しましょうか」と持ち掛けられ紹介されると思います。
勿論、それはそれでいいと思いますが、自分自身で選んだ僧侶ではないため「どのような僧侶が来るか」わかりません。
なぜならば、葬儀社は僧侶の仕事の専門分野ではないからです。
あくまで「どうですか?」という程度なのです。
勿論、葬儀社兼僧侶であれば別ですが。
やはり専門分野のことは、専門分野に任せるのが一番失敗しない方法だと思います。
良い葬儀を執り行うためにも、まず無料の親身になってくれる相談者が必要です。
「良心のお葬式」は葬儀・法事のアドバイザー組織です。
顧問として元警察官・現僧侶が無料相談に応じています。