近年、お葬式の形に変化・費用も色々

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葬儀・浄土真宗のお経

往生
私達、人生が終わるという事は、浄土に往生させて頂き、同時に仏として「誕生」することなのです。
ですから、浄土真宗のみ教えの盛んな所では、葬儀に「赤飯」のお仏飯を、お供えされることがあります。
阿弥陀如来さまの本願の救いに遇うことを得た信心の念仏者は、死んで闇の世界へ行くのでも人生に敗北するのではありません。
悟りの世界・光の世界に生まれさせた頂くのです。
それは悟りの世界に生まれさせて頂くのです。
全ての命を救うために働くことのできる仏にして頂くのです。
あらゆる者を浄土に往生させ、成仏させなければ、自らは仏にならないと誓い、その誓いを成就し、今、私たちに働いて下さっているのが「阿弥陀如来さま」なのです。

臨終のお経

臨終のお経
☆ 臨終勤行
臨終とは、終わりに臨むことですから、臨終勤行とは、本当は命のあるうちに、永い間お育て下さった阿弥陀如来さまにお礼を申し上げるお勤めなのです。
久遠というとてつもない昔より、今まで絶えることなくお育て頂きましたお陰で、いよいよ娑婆の縁尽きて阿弥陀如来さまのお浄土に往生させて頂きます。
今日までありがとうございました、と人生を終えようとする本人がお勤めするものです。
しかし、人はいつ寿命が尽きるかは誰にもわかりませんので、仮に生きている者としてお勤めさせて頂くのです。
僧侶が本人に代わって枕元に座ってお勤めしたことから、俗に「枕経」「枕勤め」などと呼んでいますが、浄土真宗では「臨終勤行」と言っています。
この臨終勤行は、ご本尊の前でお勤めするのが正式です。

通夜のお経

通夜のお経
☆ 通夜勤行
通夜勤行とは、亡くなられた方と縁のある者が集まって最後の夜を共に過ごす時のお勤めです。
この通夜勤行は、葬儀の前夜に近親者・知人が仏前に集い、お勤めさせて頂く仏事です。
この通夜は、夜の葬式ではなく、人生の最も哀しい別れの死に直面することによって、真実のみ教えに遇わせて頂くことの大切さを教えて頂く儀式です。

葬儀のお経

葬儀のお経
☆ 葬場勤行
葬儀式場において、故人の死を厳粛に受け止め、故人を縁として一人一人が真実のみ教えにあう法縁なのです。
浄土真宗の念仏者は、闇の世界に死んでいくのではない、
光の世界に生まれていくのです。 決して見捨てることのない、阿弥陀如来さまの大悲の中に、故人や私たちも共にいることを気づかせて頂き、仏徳を讃嘆させて頂く場なのです。
浄土真宗の葬儀では、引導を渡すことはしませんし、そのような儀式はありません。
ましてや、亡くなられた方が戻ってこないように行う「死者儀礼」でもありません。
お浄土で会える教えですから「告別式」や「お別れの会」ではありません。
故人を偲び、自分自身のあり様を問う仏事ごとなのです。
☆ 還骨勤行
火葬を済ませて遺骨を拾い、自宅へ戻ってご本尊の前で行うお勤めです。
これは遺骨に対してのお勤めではなく、先立っていかれた人も残された私達も、共に救わずにはおかないと、はたらいてくださっている阿弥陀如来さまのお徳を讃嘆し、感謝するお勤めなのです。

浄土真宗でのお葬式

亡くなられて直ぐに、枕経をあげる!!

浄土真宗でのお葬式は、当然仏式のお葬式です。
浄土真宗では、亡くなられて直ぐにあげる「枕経」を大切にしております。
今まで私達をお育てくださり、見守って下さったお釈迦さまに、お礼を申し上げるお経だからです。
本来ならば亡くなる直前に、お釈迦さまに「今までお世話になりました」と、本人があげるものなのですが、亡くなる直前には無理があり、その本人に代わって僧侶がお経をあげるのです。
このような趣旨で、枕経(まくらぎょう)をあげるのです。

葬儀・3方法から1つの方法を選ぶ

浄土真宗でのお葬式であっても、3方法の葬儀形態から1方法を選んで行う

葬儀方法は仏式であれ、無宗教葬であれ、葬儀方法は3方法の葬儀形態しかありません。
ですから、その3方法の葬儀形態から1つの方法を選んで葬儀を執り行うことになります。

葬儀の3方法『・直葬(釜前葬)・1日葬一般葬)』

1方法を選ぶ

通夜

通夜は、通夜勤行のお経で執り行います。
近年、葬儀社によっては、「臨終・通夜の読経を」と言われる方がいますが、臨終と通夜は別なのです。
臨終は、あくまで枕経(まくらぎょう)をあげるのです。
臨終のお経と、通夜のお経を一緒にしてはいけません。
このような葬儀社は絶対選ばないようにしましょう。
折角の厳粛な葬儀が台無しです。
遺族側からすれば、高い高い葬儀費用・お布施を支払っているのですから。
このようなことが無いように、葬儀相談を行うにあたっては、葬儀社ではない所に葬儀相談を行うべきです。

遺族の立場に立った葬儀相談!!

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葬儀式・告別式

葬儀・告別式は、葬場勤行のお経をあげます。
近年は、初七日法要を葬場勤行のお経に引き続いて行う「式中初七日法要」が大半となってきています。
高度経済成長期頃より、初七日法要が繰り上げ初七日法要となって、お骨上げ後に執り行うようになりましたが、それよりも短縮した式中での初七日法要となっています。
この式中初七日法要は、骨上げまで待つことが無いため、かなりの時間短縮となります。
現代人にとっては、遺族もこの短縮された式中初七日法要が疲れも少なくいいかもしれません。

葬儀に関する習俗・迷信など

日本には、昔から葬儀にまつわる様々な習俗・迷信などがあります。
◎ 枕団子
葬儀に於いて、臨終勤行の前に小さなだんごを49個作り、枕飾りの前に並べることがあります。
故人が49日までに、あの世へ行くまでの弁当という意味だと言われています。
浄土真宗では、念仏に合わせて頂いた時に、往生・成仏の定まった身となります。
ですから、臨終の時には浄土に往生させて頂き、成仏させて頂くのです。
つまり、「往生即仏」という考えなのです。
ですから、浄土真宗では、旅をするのではありませんので団子は不要なのです。
◎ 旅支度
お葬式に於いて遺体に、経帷子をきせて手甲・脚絆に・草鞋・杖という旅支度をさせ、頭に三角の布を付け、頭陀袋に六文銭を入れて持たせるというところもあります。
そのことは、冥土への旅、闇の世界へ旅立っていく、という事かもしれません。
浄土真宗は念仏の働きで、臨終の時、光明の世界である浄土へ生まれさせて頂くのですから旅支度は必要ありません。
◎ 守り刀
葬儀に際し、遺体の枕元や胸の上に小刀など刃物類を置くことがありますが、これは魔除けで、死霊の畏怖からくるもので、魂が荒れるのを防ぐために鎮めるために置かれると言われています。
浄土真宗では、阿弥陀如来さまが守って下さっていますので守り刀は置きません。
☆ 逆さ事
故人の装束は「左前」、遺体の枕元に屏風を逆さに置く「逆さ屏風」、湯灌の時に水にお湯を注いでぬるくする「逆さ水」など、普段はしない逆さ事を葬儀に於いてすることがあります。
これは死を畏れ、死者の魂が災いとなるので、この世に帰ってこないようにという意味で行われます。
故人が生きている間にしてきたことを逆さにすることで「死」を生きている者から遠ざけ、死者を生きている私達から切り離そうとするものです。
死は悲しいことですが、私たちは生から死を切り離すことは出来ないのですから死を嫌って逆さ事はしません。
◎ 一膳めし
枕飯・餓鬼飯・一膳飯など、地方によって様々な呼び名がありますが、故人の使っていた茶碗にご飯を一杯盛り箸を立てることがあります。
これは、供養されずに成仏できない霊魂に対するお供えの意味があり、成仏していない霊が、残った私たちに災いをもたらすと困るので、ちゃんと供養しています、という印として箸を立てると言われています。
茶碗に一杯盛ったご飯に、箸を仲立ちとして霊が宿ると考えられた日本古来の考え方の名残りだと思われます。
浄土真宗では行いません。
浄土真宗ではご飯をお供えしますが、「ご仏飯」と言ってご本尊にお供えするものです。
浄土真宗では「命が終わる」という事は、「仏として生まれる」という考えで、通夜・葬儀の際のお仏飯に、赤飯をお供えする地域もあります。
◎ 出棺時の茶碗を割る行為
葬儀の時、出棺に合わせて故人が使用していた茶碗を割る行為があります。
これは故人に対して、戻ってきてもあなたの食い扶持はないよ、という意味を込めているのです。
又、故人が返ってくるということは、残った者に災禍をもたらすという誤った「霊魂観」によるものだと考えられます。この茶碗を割る行為は、浄土真宗では行いません。
◎ 一本線香
葬儀に於いて、線香を一本立て49日まで香の煙を絶やしてはならないということもあります。
二本立てると、煙が分かれて亡くなった人が迷う、香の煙と共に昇っていくのだから、線香は絶やしてはならないというものです。
浄土真宗では、いつに於いても阿弥陀様が見守って下さっていますし、命が絶える時仏さまにならせて頂くのですから、線香の数・煙の数などでは迷わないのです。
お線香はご本尊である阿弥陀如来さまへのお供えです。
浄土真宗では、線香は立てずに寝かせて使用します。
◎ お勤め以外は蝋燭は使用しない
故人は冥土に旅立っていったので、燈明を絶やすと迷ってしまう、と考える人がいます。
浄土真宗では、お念仏の働きによって、阿弥陀如来さまのお浄土に生まれさせて頂くのです。
お浄土は、光明の世界だと言われています。
ですから、お勤めの時以外は使用しません。
◎ 友引
友引は六曜の1つですが、六曜は六輝とも言われ中国で作られた暦です。
日本に伝わってからも、正式な暦としては一度も使用されていません。
只、日の吉凶や勝負ごとを占うのに用いられたと言われています。
以前友引は、「留連」と呼ばれていましたし「共引」と書いたものもありました。
勝負事・戦・旅立ちに良くない日と言ったのが、良いも悪いも共に引き合って、あいびき・引き分けで、良い日でも悪い日でもないと変わり、さらに文字が変わると、友を引いていくから、葬式はしては駄目と変わってきました。
元々、仏教とは関係のないところで言われていますので、このようなことにとらわれる必要はありません。
◎ 清め塩
この清め塩は、故人を穢れたものとして不浄なものに接しいてきたから清めねばならない、という発想です。
浄土真宗では、死を不浄や穢れとは考えません。
よって清め塩は、浄土真宗では使用しません。