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近年の葬儀(お葬式)方法は、・直葬・1日葬・一般葬の3方法です。
この3方法から1つの方法を選んで行います。
※注)地域・葬儀プランによって、金額が異なることがございます。

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お葬式となった場合、どうしても慌ててしまい、即、葬儀社に連絡し、全てを任せてしまいます。
ですが、仏式葬儀に於いては「葬儀社依頼」と「お坊さん依頼」は、別々に依頼するほうが葬儀費用的に明瞭となります。

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仏式葬儀に於いては「葬儀社依頼」と「お坊さん依頼」は、別々に依頼するほうが葬儀費用的にお得となります。
紹介料が不要な為、葬儀費用がお得

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葬儀社依頼は慎重に!!

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各葬儀社によって、葬儀費用は色々です
私たちには、わかりにくい葬儀費用です

葬儀は、最初にお坊さんに連絡

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近年、檀家を離れる場合、「離壇料を下さい」というお寺があります。
葬儀(お葬式)は、個々の良心的お坊さんに依頼するのが最良です。

近年の葬儀・家族葬

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近年の葬儀・家族葬を知ることは、安心して葬儀・僧侶の読経依頼が出来ると思います。
近年、葬儀(お葬式)は、お寺では無く、良いお坊さんをさがして、依頼するのが大半となっています

京都市の近年の葬儀・家族葬

このページは、京都市の葬儀・家族葬に困らないように京都市での葬儀・家族葬について記載しております。
只、葬儀費用と葬儀時の僧侶の読経(お布施)は別費用となりますので注意が必要です。

京都市の葬儀全てがわかる

近年の色々な葬儀方法が下記の項目で分かります。

葬儀・家族葬・お坊さんの読経葬儀・京都市(関西)
葬儀・家族葬・京都市「葬儀の時、お坊さんが必要」
葬儀・家族葬・京都市の少人数でのお葬式
葬儀・家族葬・お坊さんの読経葬儀「京都市で一般葬」の葬儀
葬儀・家族葬・お坊さんの読経葬儀「京都市で1日葬」の葬儀
葬儀・家族葬・京都市での直葬(釜前葬)のお葬式
京都市・葬儀費用を抑えるお葬式
京都市・戒名を付けての葬儀・家族葬
京都市「檀家制度不要」の葬儀・家族葬

京都市役所の葬儀関係

京都市の葬儀関係取組
京都市役所の葬儀関係の取組として、「亡くなられたとき」として死亡届、葬祭、費諸手続きなどについて記載されています。
只、京都市役所としての取組である「規格葬儀」「市営葬儀」はありません。
斎場(火葬場)は、京都市内に1か所で「京都市中央斎場」があります。
市の墓園はあり、墓関係の「深草墓園」などについて規定されています。
京都市の葬儀広報⇒京都市:亡くなられたとき

京都市の火葬場(斎場)

葬儀と火葬
葬儀とは、死者を弔う宗教的な儀式のことをいいます。
法律的に、遺体は24時間火葬に付すことはできません。
どのような葬儀方法を行うにあたっても、24時間どこかにご遺体を安置しておかなければならないのです。
京都市の火葬場(斎場)所在地
名称 京都市中央斎場
所在地:京都市山科区上花山旭山町19-3
アクセス 京阪電鉄京阪本線五条駅から3km、車で10分
京都の葬儀関係の問い合わせ先は
京都市役所
〒604-8571京都市中京区寺町通御池上る上本能寺町488番地
身内が亡くなって行うこと
京都市での、臨終から火葬までの手続き
① 死亡診断書をもらう
最初にしなければならないのは、死亡診断書をもらうことです。
死亡診断書とは、その人が死亡したことを医師が証明する書類で、内容は死亡時刻、場所、死因などが記載されています。
② 死亡届の提出
この死亡診断書は死亡届と一枚の用紙となっており、これを故人の本籍地或いは亡くなった先の市町村役場に提出します。
③ 死体火・埋葬許可書を貰う
死亡届を出さないと遺体を火葬することはできません。
この時に死体火・埋葬許可書をもらって火葬することになります。
死亡診断書は、その臨終に立ち会った医師が作成します。
事故や変死の場合は、死亡診断書ではなく死体検案書が作成される事になります。
死体検案書は、監察医や警察に委託された医師が解剖(検死)して、死因を明確にするための書類です。
この死体検案書を死亡診断書の代わりとして提出します。
※注)市などへの死亡時の手続き
葬儀社が無料で行ってくれることが大半だと思いますが、有料であれば自分自身でも出来ることです。

亡くなられた時の諸手続き

死亡届
【届出期間】死亡の事実を知った日から7日以内
【届出窓口】
死亡した方の本籍地、届出人の所在地又は死亡地の市区町村役場
※届出窓口は、京都市の場合、区役所・支所市民窓口課、出張所です。
【届出人】
・同居の親族
・その他の同居者
・家主、地主、家屋・土地の管理人
・同居の親族以外の親族、後見人等
※「届出人」とは署名・押印される方のことです。窓口に持参される方のことではありません。
【手続きに必要なもの】
死亡届(死亡診断書欄に医師の証明が必要)
届出人の印鑑、後見人等が届け出る場合は、登記事項証明書等の提出が必要です。
※戸籍に関する届書の用紙はお近くの市区町村役場で入手してください。全国共通の様式です。京都市では、区役所・支所・出張所に置いています。市役所には婚姻届と離婚届のみ置いています。
国民健康保険
亡くなった日の翌日から14日以内世帯主(葬祭費については葬祭を行った方)が届け出てください。
又、あわせて葬祭費の手続きも行ってください。
【手続きに必要となるもの】
・保険証
・「マイナンバーカード」又は「通知カードと本人確認できる証明書(運転免許証等)」
葬祭費 50,000円』
亡くなった日の翌日から14日以内世帯主(葬祭費については葬祭を行った方)が届け出てください。また、あわせて葬祭費の手続きも行ってください。
【手続きに必要となるもの】
・保険証、
・「マイナンバーカード」又は「通知カードと本人確認できる証明書(運転免許証等)」
葬祭費 50,000円』
【手続きに必要となるもの】
会葬礼状など葬儀を行った方がわかるもの、印鑑、葬祭を行った方の預(貯)金通帳
国民年金
年金を受給していた場合は、届出が必要になります。
年金に加入していた場合は、届出が必要な場合があります。
※届出先は、受給しておられた年金や、加入していた年金制度により異なりますので、区役所もしくは日本年金機構のねんきんダイヤル(電話 0570-05-1165)にお問合せ下さい
介護保険制度
「65歳以上であった」又は「40歳~64歳で要支援・要介護認定を受けていた」場合は、届出を行ってください。
【手続きに必要となるもの】
・介護保険被保険者証又は資格者証、介護保険負担割合証
・各種減額証(お持ちの方)
・「マイナンバーカード」又は「通知カードと身元確認できる証明書(運転免許証等)」
後期高齢者医療制度
後期高齢者医療の被保険者であった場合は、速やかに届け出てください。
又、葬祭費の手続きを行ってください。
【手続きに必要となるもの】
・保険証
・「マイナンバーカード」又は「通知カードと本人確認できる証明書(運転免許証等)」
葬祭費 50,000円』
【手続きに必要となるもの】
会葬礼状など葬儀を行った方がわかるもの、印鑑、預(貯)金通帳

亡くなられた時のその他の手続

重度障害老人健康管理費支給制度
重度障害老人健康管理費支給制度を受けておられた場合は、速やかに届け出てください。
【手続きに必要となるもの】
対象者証
敬老乗車証
敬老乗車証をお持ちになっていた場合は、届け出て下さい
【手続きに必要となるもの】
敬老乗車証
障害児福祉手当・特別障害者手当
障害児福祉手当・特別障害者手当を受給しておられた場合は、亡くなられてから14日以内に届け出てください。
【手続きに必要となるもの】
・認定通知書
・印鑑
心身障碍者扶養共済
【内容】
年金に加入されている、又は、年金を受給されている場合は届出が必要になります。
届出は、各区役所・支所 障害保健福祉課、京北出張所保健福祉第一担当まで
京都市中央斎場
【受付時間】
午前10時から午後4時30分まで
(1月1日及び月3回の休場日を除く)
※休場日をよくご確認のうえ、ご利用ください
【【利用申込】
斎場使用許可申請書と火葬許可書を斎場窓口に提出してください。
【利用料金】
・大人(満10歳以上)市内:20,000円 市外:100,000円
・小人(満10歳未満)市内:13,000円 市外:74,000円
・胎児(妊娠4か月以上)市内:5,000円 市外:38,000円

・市内… 死亡時の住所(妊娠4か月以上の胎児にあっては、父又は母の住所)が本市の区域内
・市外…上記以外の場合
京都市深草墓園納骨堂
納骨堂形式の「市民のお墓」として、宗教宗派の別なく合祀されています。
京都市民の方又は元京都市民の方等であればご利用いただけます(祭祀主宰者に限る)
【お持ちいただく物】
・遺骨
・印鑑
・火葬許可証又は改葬許可証
(分骨の場合はそれを証明する書類)
・申請者の住民票の写し
・かつて京都市内でお住まいであったことが分かるもの
・祭祀を主宰する方の証明書類
【使用料】
・永年納骨:市内料金 20,000円 市外料金 40,000円
・短期納骨(3年以内、再申請も可能):市内料金 12,000円 市外料金 24,000円
森林の土地の所有者届
相続等により森林の土地の所有者となった方は、市に事後届出が必要となる場合がありますので、林業振興課(森林環境整備担当)までお問い合わせください
農地の土地の所有者等の届出
相続等により農地の所有者等となった方は、農業委員会への届出が必要です
【手続きに必要となるもの】
・農地法第3条の3第1項の届出書
・その他

京都及び近隣での葬儀読経対応

「良心のお葬式」は、葬儀相談・葬儀の読経(お経)受理を活動目的として、西宮をはじめ
・尼崎・伊丹・神戸
を基軸として
・姫路・芦屋・宝塚・三田・川西・摂津・茨木・豊中・吹田
・枚方・高槻・大阪・池田・箕面・寝屋川・堺・京都・東大阪・明石・加古川・たつの・太子町・長岡京市など
の地域に於いて活動しております。

仏教の始まり

お釈迦さまの降誕~苦行~入滅

降誕
お釈迦さまは、シャカ族の出身です。
シャカ族は、カビラビャットゥを首都とする所です。
現在のネパール領タラーイ地方に存在した小さな国の種族でした。
カビラとは、「赤い土」という意味で、年中山頂に雪が積もるヒマラヤ山の麓に存在したところです。
この地は、ガンジス河の支流であるローヒーニー河に面しており、水田耕作に適していた土地であったようです。
お釈迦さまの父はスッドダナーと言われていますが、お釈迦さまの兄弟に白飯や「飯」という名の方々がいましたので、シャカ族は「稲作」を主とした部族だったと思います。
シャカ族は、「稲作」に優れていたようですが、軍事力はさほどなく、カビラビャットゥの西南にあった大国コーサラ国に隷属をしていたと言われています。
当時のインドは、サービャティを首都とするコーサラ国とラージャガハを都とするマガダ国が二大強国で、弱小の国はいずれかの陣営に属することによって存続していたようです。シャカ族は、コーサラ国に属していましたが、お釈迦さまの晩年、コーサラ国によって滅亡させられました。
お釈迦さまは、スッドダナーとマーヤー夫人の子供として生まれましたが、マーヤー夫人は隣国コーリア族の出身であったと伝えられています。
王とマーヤー夫人のお二人は、長い間子供に恵まれんでした。
当時は厳しいカースト制度があり、バラモンやクシャトリヤは、インドの法典である「マヌ法典」の規定に縛られて生活していたわけですが、その聖典には跡継ぎをもうけることが家長に課せられた最大の義務であることが定められていました。
ですから、王は家長としてお釈迦さまが生まれるまでは辛い立場にあったと考えられます。
マーヤー夫人は、ある夜、純白の象が胎内に入る夢を見、間もなく懐妊となりました。
臨月が近くなって、夫人は実家のコーリア国に向けて旅立ちました。
法典に、お産は実家でという決まりがあったからです。
ルンビニー園を過ぎるころ、マーヤー夫人は急に産気づき、お釈迦さまが誕生したのです。
仏伝によれば、ルンビニーの花園で休憩中、マーヤー夫人がアショーカ樹の花房を折ろうと右手を挙げた瞬間、右の脇からお釈迦さまが誕生したということです。
このことは、通常と異なる表現によって、お釈迦さまが偉大なる人物である、ということを伝えようとしたことが窺えます。
只、尋常なお産ではなかったことは確かだと思います。
産み月より逆算して実家に帰省したのですから、旅の途中で早産であったと同時に、旅の途中の出産は難産であったと思慮されます。
マーヤー夫人は、お釈迦さまを出産後、すぐにこの世を去りました。
マーヤー夫人は、お釈迦さまの誕生より7日目に亡くなったと伝えられています。
お釈迦さまは、シッダッタと名付けられマーヤー夫人の妹のマハーパジャパティーによって養育されました。
父王は、仙人にお釈迦さまを見てもらいましたのですが、その仙人が言うには、この子(お釈迦さま)は、「32の偉大な相を備えている。
家にあれば、転輪聖王となり、出家すればブッタとなるであろう。」と聞かされ、王は喜びとともに不安を感じたと言われています。
王子(お釈迦さま)は、雨期・乾期・冬期を快適に過ごせるように3つの宮殿が与えられました。
母(マーヤー)の死は、お釈迦さまの人格形成に大きな影響を与えたようです。
お釈迦さまは、いつしか人々から離れ、静かに瞑想することを好み、孤独が好きな少年に成長していきました。

天上天下唯我独尊
釈尊が(お釈迦さま)が誕生と同時に七歩歩まれ、右手で天を指して「天上天下唯我独尊」と言われました。
この言葉は、この世界に我よりも尊いものはないということで、後に悟りを開かれる釈尊の尊さと、迷いの世界にとどまっている衆生の苦しみに対する釈尊の救いをあらわしたものです。

学生期
マヌ法典では、人生を学生期・家住期・林棲期・遊行期に分けます。
当時の学生期は、師について学問・武芸を学び、家住期は、結婚して家業にいそしみ、後継者を育て、林棲期は、森に入って修行し、遊行期は、あらゆる執着を離れて各地を遍歴することが理想とされていました。
少年(お釈迦さま)は、規定により入門式を受け学生期に入りました。
それぞれの師につき学問や武芸を習ったシッダッタ(お釈迦さま)ですが、武芸・学問の分野で非凡な才能を示し、しばしば教師を驚かせました。
シッダッタ(お釈迦さま)が7歳の頃、農耕初めの祭式が執り行われることになり、シッダッタ(お釈迦さま)は、父王や大臣とともに出席し、農夫たちが鋤や鍬で大地を耕す様子を見物することになりました。
その当時の情景としては、
春の遅いインドでは、花は一斉に咲き、陽光に野にも山にも生命の息吹が満ち溢れ、吹き渡る風は心地よく大地の香りを運んできます。
春ののどかな光景が、シッダッタの眼前に広がっていました。
そのような中、一鍬一鍬に心を込めて大地を耕す人々の姿がありました。
皆の額には、汗が美しく輝いています。
彼らが鍬を振り下ろして掘り起こした土の中に、未だ冬の眠りから覚めやらぬ小さな虫がいました。
その虫を見つけた小鳥が、その虫をついばむと今度はその小鳥を狙って猛禽が現れたのです。
シッダッタ(お釈迦さま)は、自らの命を保つために、他の命を奪わねば、生きることが出来ない現実を、目の前で突き付けられ考え込んでしまいました。
生老病死
人は、年月とともに若さを保つことは出来ない。
やがて老いていかなければならない。
何人と言えども老いを避けることは出来ない。
又、その時健康であっても、いつまでも健康でいれるわけではない。
いつ病気や怪我をするかもしれない。
いくら丈夫な体を持っていても、あてにすることは出来ない。
そして、全ての命は必ず死を迎える。
誰一人と言えども、決して「死」を避けることは出来ない。人間、このような不安を抱えたままでは、せっかくの、この人生を精一杯生きることも、力を出し切ることも出来ない。どうすれば、この苦を超えることがで来るであろうか。
このことをずっと考え続けたシッダッタ(お釈迦さま)は、いつしか「出家」することを思うようになったのです。
こうしたお釈迦さまの心の軌跡を、仏伝では「四門出遊」の物語で伝えています。

四門出遊
シッダッタ(お釈迦さま)が、城の東門から出て老人に会い、南門から出て病人に、西門から出て死人に、北門から出て修行者に会ったことを機縁として出家した、と伝えられています。

又、苦悩の深さは、当時の「輪廻」という思想にあったとも考えられています。
「死」自体は恐怖であり、苦ではありますが、それは一度死ねばそのことは解放されます。
しかし、「輪廻」するということは、又、再度何らかに生まれ変わり、果てしなく死の恐怖を繰り返さなければならないということです。
シッダッタ(お釈迦さま)にとって、この輪廻からの解放こそが、苦悩の根源からの解放であると同時に、出家の大きな動機でありました。
結婚
マヌ法典では、学生期を終えると結婚し、息子をもうけなければならないと定めています。
結婚相手は、同じカーストの女性と結婚することが許されますが、その反対は許されませんでした。
当時のインドは、一般的に早婚でシッダッタ(お釈迦さま)の結婚も、17・18・19歳など諸説があります。
はっきり言えるのは、シッダッタ(お釈迦さま)は、20歳には結婚されていたようです。
仏伝では、お釈迦さまの妻としてヤソーダラー、ゴーピー、ミガジャーなどの名前が出てきますが、古代インドでは後継者をもうけることが家長の務めであり、そのためには複数の妻を持てることが認められていたようです。
シッダッタも出家するまでは、そのことに従ったかもしれません。
お釈迦さまの妻としては、息子ラーフラを出産したヤソーダラーが知られています。
このヤソーダラーは従妹でした。
出家
当時のシッダッタ(お釈迦さま)は、現在いかに幸福であっても、いかに美しい姿であっても、いかに裕福であっても、永遠に続くものではない。
どれほど多くの戦いに勝ち、たとえ世界の帝王となっても「死」を免れることは出来ない。
生滅変化を続ける現実。
決して避けられない死の壁。
輪廻の恐怖。
若きシッダッタ(お釈迦さま)には、どれ1つ解決の糸口が見えず、かといって投げ出すことも出来ない難しい課題があったのです。
その上、社会を支配していたカースト制度や、それを支える生活規範を定めた「マヌ法」の不条理さも、シッダッタに追い打ちをかけたのです。
職業は、その階級によって細分化され制限されていました。現在もこの定めは、形を変え生き続けています。
生活規範が事細かく定められ、バラモン、クシャトリアは特に、様々な規定に縛られていたのです。
このような状況に悩んだシッダッタ(お釈迦さま)は、出家します。
このシッダッタの出家は、通常の生活を棄てたことです。
不条理な社会制度・生活規範を否定したのです。
本来の人間の在り方の世界を求めたのです。
シッダッタ(お釈迦さま)は、生まれを問うのではなく、その行いを問う世界を希求し、そのために全てを棄てたのです。
シッダッタ(お釈迦さま)には、結婚十年ほどで、ヤソーダラーとの間に、息子ラーフラが生まれました。
これで、シッダッタには、出家できる条件が整いました。
息子ラーフラが生まれることによって、シャカ族を継ぐ後継者が出来たからです。
29歳になっていたシッダッタは、ある夜、従者チャンナを伴ってひそかに宮殿を抜け出しました。
シッダッタは、東方へ進み、コーリア国とマッラー国との境を流れる河を渡り、そこで剃髪をし、袈裟をまとって出家修行者の第一歩を踏み出したのです。
従者チャンナは、シッダッタの出家を思いとどまらせようと懇願しましたが「生と死との彼岸を見ぬ限り、再度カピラビャットゥの都には帰らない」と、従者チャンナを宮殿に帰しました。
という伝説が残るほど、シッダッタ(お釈迦さま)は出家を決意したのです。
修行
生れ故郷を出たシッダッタ(お釈迦さま)は、ガンジス河を渡り、当時、大国であったマガダ国の首都ラージャガハへと向かいました。
その当時のラージャガハは、北インドの政治・文化の中心で高名な宗教家・思想家が集まった都市でした。
シッダッタは、名声のあるアーラーラ・カーラマと、ウッダガ・ラーマプッタという二人の出家者に師事し、禅定の修行をしました。
シッダッタは、短期間で、アーラーラが体得していた境地に達し、又、ウッダガが体得していたのと同じ境地に達します。
しかし、シッダッタは、どちらの禅定も共に涅槃に達する道でないと知り、二人の師のもとを去りました。

涅槃
一切の苦から解放されることを「解脱」といい、その境地を涅槃と言います。

苦行
シッダッタは、二人の師につきましたが、二人の師の説く禅定の理論と実践に満足出来ませんでした。
そこで、シッダッタは、ラージャガハの西方、ウルベェーラーの森に入って、断食などのありとあらゆる苦行を試みました。
このネーランジャラーの辺りのセーナ村での苦行は、六年にも及びました。
シッダッタは、後に「如何なる者でも自分が行じたほどの激しい苦行をした者はいない」と回想しています。
その苦行は、文字通り骨と皮だけになってしまい、目はくぼみ、皮膚は黒く干からび、まさに骸骨のようなような様相を呈していました。
シッダッタが苦行をしていた際に、激しい苦行を共にしていた五人の修行者がいました。
この五人は、ウッダカのもとにいたとも、父王がシッダッタのために遣わしたとも伝えられています。
この五人は、シッダッタの激しい苦行に感動し、シッダッタがきっと悟りに達するだろうと、期待を込めて見守っていました。
しかし、シッダッタは、身体をいくら苦しめても心の平安は得られませんでした。
シッダッタは、現在の自分が行っているのは、「苦行の為の苦行」であって、悟りへの道ではないとい気づきはじめていました。
精神と身体とは、別物ではない。
身体が滅びる時、精神も機能しなくなる。
死んでしまっては何の意味もない。
生きているからこそ、悟ることが必要なのだ、との考えに至りました。
そう気づくとシッダッタは、苦行を棄てる決意をして、ネーランジャラー河で汚れた体を洗い、心身ともに一新して岸に上がろうとしましたが、あまりにも衰弱がひどく、容易に上がることが出来ませんでした。
シッダッタは、木の根にしがみつき、ようやく岸に這い上がった時、セーナ村の村長の娘スジャータが通りかかり、あまりの状態を見かねて乳粥を捧げました。
シッダッタは、その乳粥を胃に流し込むと、生命力がよみがえってくるのが分かりました。
この様子を見た五人は、「彼は堕落した」とみて、シッダッタを見捨て、ベナレスへと去っていきました。
スジャータの捧げた乳粥を食し、生気を取り戻したシッダッタは、アシバッタ樹の下に座し瞑想に専念しました。
成道
アシバッタ樹下での禅定によって、悟りに至ったお釈迦さまを仏伝には、「降魔成道」の話として語り伝えています。
悪ナムチの強迫や誘惑に惑わされず、その魔を降伏させたと伝えられているのは、悟りをはばむ魔との闘いであり、それは自己自身との闘いを意味しているのです。
利益・名声・社会的地位など一般的にはこれらの誘惑に負けてしまうことが多いのですが「自分はきっと勝ってみせる。
誘惑に負けて苦の世界で生き延びるようなことはしまい、如何なる誘いであっても、きっと禅定の叡智で超克してみせる。」
このような強い決意で臨み、ついに内なる煩悩を克服し、もはや輪廻に縛られることなく、完全に開放された境地に至り、「我は仏陀(真理に目覚めた者)となれり」と、シッダッタ(お釈迦さま)は、宣言したのです。
この時、お釈迦さまは35歳でした。
悟りを開いた人を「仏陀」と言いますが、そのお釈迦さまの開かれた所をブッダガーヤーと呼ばれ、アシュバッタ樹は、その下で菩提(悟り)を得たことから「菩提樹」と呼ばれるようになりました。
お釈迦さまの悟りの内容を「縁起」と言います。
相互に依存して存在する関係や相互に依存して生滅する関係を「縁起」と言います。
「苦」の根本原因は「無明」である。
無明とは、人生の信実相に関する「無知」である。
自分の都合でしか物事を見ていないので、真実の姿が分からない。
自分の都合だけで物事を見て思い通りにならないと言って苦を招いたり、更に欲の心をおこして苦を深めていく。
言い換えれば、無明を滅すれば苦悩も滅すると教えられています。
伝道
インドでは4~5月は最も暑く、6月に入ると雨期に入ります。お釈迦さまは雨期には遊行せず、雨期以外の時期に各地を遊行して教えを伝えられました。
指導的立場の人を論破し、教えを伝え、お釈迦さまの教団は増大していきました。
入滅
お釈迦さまは、80歳になっても旅を続けられていましたが、クシナーラで最期を迎えられたのです。
お釈迦さまは、仏陀となり、45年間法を伝えられましたが、沙羅双樹のもと、頭北面西右脇に臥して入滅されました。