低料金・低価格の葬儀費用

葬儀・家族葬の基本である葬儀3方法

直葬
(釜前葬)


95,000円

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: plan1-content.png
1 日 葬

285,000円

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: plan2-content.png
一 般 葬

370,000円

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: plan3-content.png
近年の葬儀・直葬・1日葬・一般葬

近年の葬儀(お葬式)方法は、・直葬・1日葬・一般葬の3方法です。
この3方法から1つの方法を選んで行います。
※注)地域・葬儀プランによって、金額が異なることがございます。

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25,000円~
[ お葬式の読経 ]




火葬場読経・1日葬の読経・家族葬の読経


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25,000
[ 法事・法要 ]




四十九日法要・1周忌法要など


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お坊さんの読経葬儀

お葬式は、お坊さんのお経で!!

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お坊さんお読経(お経)葬儀・家族葬・元警察官・現僧侶が顧問

お葬式(葬儀)は、昔からのお坊さんの読経(仏式葬儀)で行いましょう
お葬式のお経の依頼は、お寺に依頼ではなく、個々のお坊さんに依頼しましょう
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まず、相談を!

「慌てて、考えなく頼んでしまった」と、よく聞きます。葬儀となれば慌てず、まず相談です。
「良心のお葬式」は、元警察官・現僧侶が顧問として在籍し、無料で葬儀相談を行っています。

葬儀には「お坊さんのお経」

お坊さんのお経の申し込み

葬儀・家族葬・お坊さんの読経(お経)葬儀・仏式葬儀・関西・市営葬儀・規格葬儀

お坊さんの読経(お経)葬儀(仏式葬儀)に於いては、どのような葬儀形態でも「お坊さんのお経」は、別依頼となります。
又、関西各市は、市営葬儀・規格葬儀を執り行っていますが、市運営の葬儀にあってもお坊さん(お経)は別依頼です。
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葬儀社と僧侶の依頼方法

葬儀・家族葬
直葬(釜前葬)の葬儀
1日葬の葬儀
一般葬の葬儀
お坊さんの読経葬儀
葬儀費用・お布施
お坊さん・僧侶・葬儀相談・お得

お葬式となった場合、どうしても慌ててしまい、即、葬儀社に連絡し、全てを任せてしまいます。
ですが、葬儀依頼を行う場合は、慌てず無料の葬儀相談などで多少の葬儀知識を得て、葬儀依頼を行いましょう。
「葬儀社依頼」と「お坊さん依頼」は、別々の依頼が原則です。
葬儀費用が明瞭です。

安心・お得な葬儀依頼

葬儀・家族葬
葬儀費用
直葬(釜前葬)の葬儀
1日葬の葬儀
一般葬の葬儀
お坊さん
お坊さんの読経葬儀

別々依頼

仏式葬儀に於いて、「葬儀社依頼」と「お坊さん依頼」は、別々の依頼が料金的に明瞭です。
葬儀社と僧侶(お坊さん)は、葬儀で関連していますが、組織上別組織だからです。
紹介料が不要な為、葬儀費用がお得

葬儀は、最初にお坊さんに連絡

死亡後に枕経を、お坊さんに依頼
葬儀社・お寺に依頼ではない

僧侶・お坊さん・連絡・死亡・枕経・葬儀・葬儀社・お寺

死亡後、まず最初に行うことは、枕経(まくらぎょう)をあげる為のお坊さんへの連絡です。
この場合、お寺・葬儀社ではなく、お坊さん個人に連絡・依頼しましょう。
0120-44-24-24072-772-7422

葬儀社依頼は慎重に!!

葬儀社・葬儀費用・葬儀・家族葬
お坊さんのお経葬儀
良心のお葬式

葬儀社依頼は、慎重に考えてから依頼!!
「どのようなお葬式にするか」を決めて、その後に葬儀社依頼を!!
元警察官・現僧侶が顧問の「良心のお葬式」にご相談を!!

葬儀費用はわかりにくい?
だから慎重に!!

葬儀費用・葬儀社・安心・信頼
葬儀・家族葬
お坊さんのお経葬儀

各葬儀社によって、葬儀費用は色々です
私たちには、わかりにくい葬儀費用です

葬儀は、最初にお坊さんに連絡

葬儀は、お坊さんに依頼
お寺に依頼ではない

葬儀・家族葬・お坊さん依頼・お寺
お寺不要・お坊さんの読経(お経)葬儀

0120-44-24-24072-772-7422
お寺との付き合いではなく、お坊さん個人とのお付き合いが良い!!

檀家のお寺は不要

お寺・お坊さん・僧侶・檀家のお寺は不要
檀家制度・門徒制度
お坊さんに直接依頼
葬儀相談
お布施・格安

お葬式、法事・法要は、檀家に依頼するのではなく、良心的なお坊さんに直接依頼しましょう
又、葬儀社とお坊さん依頼は、別々に依頼しましょう

お坊さんに直接依頼

葬儀・家族葬・お坊さん・檀家不要・お寺に依頼ではない・離壇料

✆ 0120-44-24-24 ✆ 072-772-7422
近年、檀家を離れる場合、「離壇料を下さい」というお寺があります。
葬儀(お葬式)は、個々の良心的お坊さんに依頼するのが最良です。

お坊さんのお経の申し込み

葬儀(お葬式)・家族葬に於いて、どのような葬儀形態でも「お坊さんのお経」は、別依頼となります。

神戸市の近年の葬儀状況

神戸市・東灘区・灘区・長田区・北区・兵庫区・須磨区・垂水区・西区・中央区
葬儀・家族葬・
直葬(釜前葬)の葬儀
1日葬の葬儀
一般葬の葬儀
お坊さんのお経葬儀

神戸市は、9区から成り立っています。
東灘区灘区長田区北区兵庫区須磨区垂水区西区中央区です。
神戸市にあっても近年の葬儀状況神戸市での葬儀関連状況を知ることは大切です。

安いお布施の「良心のお葬式」

元警察官・現僧侶が顧問として在籍
(安心な無料相談対応)

神戸市・東灘
葬儀・家族葬
直葬(釜前葬)の葬儀
1日葬の葬儀
一般葬の葬儀

「良心のお葬式」は、元警察官・現僧侶が顧問として在籍し、葬儀・法事のアドバイス並びに葬儀時の読経・その後の法事法要・遺産相続・土地活用などを取り扱っている市民サポートセンターです。
同センターでは、西宮・神戸・尼崎・伊丹・豊中・吹田・大阪~京都などを基盤として、京阪神・関西一円・西日本で活動しております。
特に、葬儀の相談・サポート並びに葬儀時の読経(お経)は、24時間、即対応させて頂いております。

近年の葬儀(お葬式)形態

葬儀・家族葬
直葬(釜前葬)の葬儀
1日葬の葬儀
一般葬の葬儀

近年の葬儀の基本

3方法!!

・直葬(釜前葬)・1日葬・一般葬
のうちから1つを選んで行います。
葬儀予算を考え、自分宅にあった葬儀(お葬式)を選ぶことが大切です。
葬儀費用←クリック
お布施 ←クリック

元警察官・現僧侶が相談対応(無料)

元警察官・現僧侶に相談(中立的立場)
「良心のお葬式」は、お坊さんの読経を主な活動とし、葬儀のサポート・その後の遺言による土地活用までサポートを行う組織です。
元警察官で現僧侶を顧問として迎え、皆様の相談に応じています。
出来るだけお金を使わない葬儀の為には、中立的立場の者に葬儀相談するのが一番です。
葬儀相談を行うことによって、ある程度の葬儀知識を得て葬儀社に依頼すれば、葬儀費用を抑えた良い葬儀になると思います。

葬儀の方法(3種類)

直葬の葬儀

直葬の葬儀

直葬の葬儀とは、死亡後24時間遺体を安置した後、葬儀式など行わず火葬に付す葬儀形態です
直葬・葬儀の流れ
死亡→搬送→安置通夜→告別式搬送→火葬場
近年、増加傾向の葬儀形態です


釜前葬の葬儀

直葬(釜前葬)葬儀

釜前葬の葬儀とは、葬儀式を行わない直葬の葬儀であっても、火葬場のみでお経をあげる葬儀形態です
釜前葬・葬儀の流れ
死亡→搬送→安置→通夜→告別式→搬送→火葬場(火葬直前に読経
近年、増加傾向の葬儀形態です


1日葬の葬儀

1日葬の葬儀

1日葬の葬儀とは、通夜を行わず告別式のみを行う葬儀形態です
1日葬・葬儀の流れ
死亡→搬送→安置通夜→告別式→搬送→火葬場
近年、増加傾向の葬儀形態です


一般葬の葬儀

一般葬の葬儀

一般葬の葬儀とは、従来通りの葬儀方法で、通夜があり、翌日に告別式を行う葬儀形態です
一般葬・葬儀の流れ
死亡→搬送→安置→通夜→告別式→搬送→火葬場
近年、減少傾向の葬儀形態です

神戸市東灘での葬儀・家族葬

神戸市・東灘
葬儀・家族葬
直葬(釜前葬)の葬儀
1日葬の葬儀
一般葬の葬儀

神戸市東灘区

神戸市東灘区は、神戸市9区のうちの1つの区で神戸市の東端に位置しています。
西は神戸市灘区、東は芦屋市、北は神戸市北区と隣接しています。
1995年の阪神・淡路大震災では最大震度7をを記録、東灘区内全域にわたり大きな被害を受けました。
神戸市には規格葬儀があります。
神戸市内の葬儀広報⇒神戸市:規格葬儀
火葬場は4か所ありますが、併設された葬儀式場はありません。
神戸の斎場(火葬場)は、神戸市内に4か所あり、東灘区には甲南斎場があります。
(1)鵯越斎場
所在地:神戸市北区山田町下谷上字中一里山14-1
アクセス JR三宮駅から市バスで約20分
(2)甲南斎場
所在地:神戸市東灘区本山町田中字南小路423
アクセス JR住吉駅から車で約10分
(3)西神斎場
所在地:神戸市西区神出町南字美濃谷600
アクセス 市営地下鉄西神駅から車で約15分
(4)有馬斎場
所在地:神戸市北区有馬町字京口山1814
有馬斎場は鵯越斎場で受け付け
アクセス 神戸電鉄有馬温泉駅から車で約7分
神戸市には、鵯越墓園があります。

亡くなれば、最初に僧侶に連絡

神戸市・東灘
葬儀・家族葬
直葬(釜前葬)の葬儀
1日葬の葬儀
一般葬の葬儀
お坊さん

人が亡くなれば、最初にお坊さんに連絡しなければなりません。
枕経は故人が、仏さまに「お世話になりました」とあげるお経ですから、葬儀の前にお坊さんの連絡しなければなりません。

僧侶依頼は、葬儀社とは別依頼です

人が亡くなれば、必ず、最初にお坊さんに連絡です。
葬儀の時の、お坊さんの読経(お経)は、葬儀社依頼とは別個の依頼なのです。

葬儀・お坊さんの読経葬儀

現代は、仏教離れ・檀家・門徒制度の崩壊によって、お坊さんのお経による、お坊さんの読経葬儀を行われない方もおられます。
お経は、故人をあの世に送り、遺族の心を癒すと言われていますので、お坊さんの読経葬儀でお葬式を執り行いましょう。

お布施は高額

お布施が低額の良いお坊さんに依頼

お布施とは、葬儀や法事でのお坊さんに対する感謝の気持ちです。
日本は昔から仏式でお葬式をしております。その際、お坊さんにお布施をお渡しします。
このお布施が、依頼先によって高額となっています。

お布施はなぜ高い

お布施が高い理由

お布施が高い理由
・ お寺が檀家・門徒制度で維持できず、葬儀のお布施で維持している為
・葬儀社主導の葬儀となっている為
・斡旋業者の手配料がお布施に上乗せ

お布施に手配料が入っている!!

僧侶に直接依頼は、手配料はいらない

神戸市・東灘
葬儀・家族葬
直葬(釜前葬)の葬儀
1日葬の葬儀
一般葬の葬儀
お布施・格安

私たちの社会では、お仕事を紹介された場合、お礼として「仲介料(手配料)」を支払うのが常識化しております。
お布施にしても例外ではありません。
葬儀の際、お坊さんの読経の依頼を他の業者を通じて依頼した場合、ほぼ、仲介手数料をお布施から支払う仕組みとなっています。
この仲介手数料(手配料)を支払わないように、直接お坊さんに読経を依頼すれば、その分お布施が安くなります。
お布施の参考⇒布施

神戸市で小規模葬儀

近年のお葬式は、核家族化・親戚縁者の疎遠化・地域住民との希薄化、そしてコロナ感染症の影響によって「小規模化」しております。
神戸市にあっても、「小規模葬儀」が大半となってきております。

お葬式・小さく(小規模葬儀)

葬儀・家族葬
小規模葬儀・小さなお葬式
直葬(釜前葬)の葬儀
1日葬の葬儀
一般葬の葬儀
小規模葬儀

葬儀・お葬式とは?
葬儀・お葬式とは、遺族、友人・知人が故人を偲び、あの世に送るための儀式です。
葬儀は、葬儀・告別式などと言われていますが、本来は葬儀式と告別式は別のものでした。
現代は、葬儀式と告別式の区別が亡くなり、火葬も近親者のみの少人数で行うようになってきました。

現代のお葬式は、時代の流れに合わせて小さく!!

小規模葬儀
小さなお葬式
少人数の葬儀
葬儀・家族葬
1日葬の葬儀
一般葬の葬儀
お葬式は小さく

お葬式は小さく(小規模葬儀)
近年、核家族化・親戚縁者の稀薄化・近隣者との疎遠化などから、お葬式は出来るだけお金をかけない、葬儀費用を抑えた小さな少人数のお葬式となっています。
家族葬というお葬式形態です。
「お葬式は小さく」こじんまりとまとまった心に残るお葬式を行えばいいと思います。

低料金葬儀
低額の葬儀費用
葬儀・家族葬
直葬(釜前葬)の葬儀
1日葬の葬儀
一般葬の葬儀
お金をかけない

お金をかけないお葬式
近年、お葬式にはお金をかけない少予算でのお葬式が言われています。
近年は、核家族化やお金の使い道が一昔前と違い、お葬式にはお金をかけなくなっています。
お葬式はご遺族の、「故人を送ってあげる」という気持ちが一番大切です。

神戸市で「自宅での葬儀」

自宅で葬儀を行う

神戸市・東灘
自宅で葬儀(自宅葬)
葬儀・家族葬
直葬(釜前葬)の葬儀
1日葬の葬儀
一般葬の葬儀

自宅或は病院で死亡自宅で葬儀を行う
私達は亡くなった際、「自宅に、一度は戻りたい」という気持ちがあるのが普通だと思います。
近年の葬儀は、核家族化、親戚縁者・近隣住民との疎遠化によって、少数でのお葬式となっています。
その事を考えますと、一番適している葬儀式場となるのが自宅だと思います。

自宅での葬儀は、葬儀費用節減に繋がる

自宅での葬儀は、葬儀式場の借り上げ費はいりませんし、祭壇も不要など、多くの葬儀資材が不要となりますので、かなりの経費節減に繋がります。

自宅葬儀でのお坊さんの読経

自宅での葬儀に於いても、お坊さんのお経をあげてもらえば、葬儀式場の葬儀と何ら変わりません。
葬儀は「葬儀社に依頼」、「僧侶読経はお坊さんに依頼」と区別して依頼すれば、明瞭会計にも繋がります。

葬儀時のお経・直接僧侶に依頼

直接お坊さんへの依頼は、手配料はいらない

お布施
お坊さん・お坊さんの読経葬儀
葬儀・家族葬
直葬(釜前葬)の葬儀
1日葬の葬儀
一般葬の葬儀

葬儀の際の、「お坊さんのお経」は、直接依頼が大原則
お坊さんへの依頼は、「手配料」を取られないように直接依頼
葬儀に際し、お坊さんのお経を依頼するのに際し、直接お坊さんに依頼しなければ、第三者に依頼した場合手配料を取られます。

お寺とお付き合いをしたく無い

「お寺と付き合いをしたくない」でも、葬儀は安心して出来ます!!

近年は、お寺に行かれる方は殆ど無いと思います。
「昔からお寺と付き合っているが、もう付き合いたくない、護寺費も払いたくない、
何故、付き合いをしなければならないのか」など、
「お寺とお付き合いをしたくない」と思われている方もおられるでしょう。
葬儀となった場合でも、「もう、そのようなお寺とお付き合いをしたくない」
そのような考えの方も当然おられます。
葬儀イコールお寺ではありません。
葬儀イコールお坊さんなのです。

葬儀など、お坊さんに依頼出来る!!

お寺との付き合いが無くても、葬儀・法事などで困ることはありません。
直接、お坊さんに依頼すればいいのです。

檀家制度は、江戸時代の悪しき慣習

現代は、檀家制度が崩れ、お寺との付き合いが無いのが当然
近年は檀家・門徒制度が崩れ、「お寺とのお付き合いをしたくない」という方が増えてきております。
檀家・門徒制度とは、
徳川幕府が民衆を管理するために作った制度で居住地にある寺院を旦那寺として、民衆をその寺の檀家となることを定めたのです。
徳川幕府は、仏教を国教として仏教を人民統治に利用したのです。
旦那寺は、檀家の葬祭供養を行うほか、檀家の身分を保証したのです。
檀家には、旦那寺に布施を施す義務が課せられました。
この檀家・門徒制度は、遺物であり悪しき制度だと思います。

枕経をあげるお葬式

人が亡くなれば、出来るだけ早く枕経をあげましょう。
近年は、仏教離れから、枕経(まくらぎょう)をあげる方が少なくなりました。
これは、葬儀社の方が「枕経をあげて」と、言われないことも枕経をあげない一因です。

神戸での「枕経」をあげての葬儀

神戸には規格葬儀があります。
規格葬儀とは、神戸市が打ち出している葬儀で、葬儀についてお困りの神戸市民の皆様に対して、安心の料金プランでご利用頂ける助け合いの精神から生まれた葬儀のカタチです。
この葬儀は、神戸市が直営として行うものではなく、永年の実績によって市から認定を受けた規格葬儀取扱指定店がそれぞれの企業努力によって費用を抑えた葬儀プランを実現することで、「シンプルでも心のこもった優しい葬儀にしたい」「ささやかでも故人に感謝の気持ちを伝えたい」といったご遺族の声にお応えした市民サポートサービスです。
と、なっています。
神戸市の葬儀広報⇒神戸市:規格葬儀
規格葬儀にあっても「お坊さんの読経(お経)」は、葬儀社とは別にお坊さんの依頼をしなければなりません。

枕経(まくらぎょう)とは?

枕経(まくらぎょう)は、葬儀が始まる前にあげるお経です。
枕経は、仏さまに「娑婆ではお世話になりました。ありがとうございました。」と、亡くなる直前に、故人があげるお経なのです。
亡くなる直前にお経をあげることは、中々困難なことですので、亡くなる直前の故人に代わって、僧侶が(お経)をあげるのです。
この時、故人の枕元で僧侶がお経をあげることから「枕経」と言われるのです。

神戸規格葬儀にお坊さんのお経

規格葬儀の「僧侶のお経」は、別に依頼

葬儀となった場合、葬儀社に葬儀依頼をしますが、葬儀時の僧侶のお経はセットで付いてはおりません。
規格葬儀を申し込んだ場合に於いても、僧侶のお経(読経)は付いてはおりません。

神戸市での規格葬儀

神戸市・東灘区
規格葬儀
葬儀・家族葬
お坊さんのお経
直葬(釜前葬)の葬儀
1日葬の葬儀
一般葬の葬儀

神戸市は、垂水区須磨区長田区兵庫区中央区灘区東灘区北区西区の9区から構成されています。
神戸市には規格葬儀があります。
神戸市の葬儀広報⇒神戸市:規格葬儀
火葬場は4か所ありますが、併設された葬儀式場はありません。
神戸市からのお坊さんの紹介はありません。
独自でお坊さんを探さなければなりません。

神戸市の葬儀関連

神戸市のおくやみコーナーの内容

神戸市のおくやみコーナー
設置経緯
神戸市は、故人によって必要な手続きが異なり、中には複雑なものも含まれ、ご遺族の大きな負担となっていることから、「おくやみコーナー」を全区役所・支所に設置しています。
設置理由
身近な人が亡くなられた後の手続きについてご説明するとともに、申請書の作成をお手伝いするなど、必要な手続きを少しでも負担なく行っていただけるようにと設置しています。
おくやみコーナーでのサービス
1,必要な手続きのご案内
区役所・北須磨支所での手続きについて、手続きに来られた方に故人の情報をヒアリングし、必要な手続きを抽出の上、概要や担当窓口をご案内いたします。これにより、手続き漏れの防止を図ります。
2,申請書の作成補助
故人の氏名、生年月日、住所など基本的な情報を印字の上、申請書を出力いたします。これにより、何度も同じことを記入していただく負担の軽減を図ります。
3,区役所・北須磨支所以外での主な手続きのご紹介
区役所・北須磨支所以外の主な手続きの概要や担当窓口についてご紹介いたします。
おくやみコーナーの注意事項
1,おくやみコーナーでのご案内後、各窓口で手続きを行っていただきます。おくやみコーナーをご利用にならず、直接各窓口で手続きをしていただくことも可能です。
2,おくやみコーナーの利用状況によってはお待ちいただく場合があります

死亡届の内容

死亡届
1,死亡届により、戸籍に死亡の記載がされ、住民票が消除されます。
届け出先によって異なりますが、戸籍の記載・住民票の消除には数日を要します。
2,死亡届は葬儀業者の方が窓口に持参される場合が多く、死亡届が出されると、埋火葬許可証が発行されます。
ご葬儀がお済みになっていれば、死亡届の手続きは終了しています。
届け出先
死亡者の本籍地、届出人の所在地(住所地)、死亡地。
神戸市の場合は、各区役所・支所
(開庁時間外は区役所のみ受付)となります。
届出人
同居の親族、その他の同居者、家主、地主、家屋管理人、土地管理人、同居の親族以外の親族、後見人、保佐人、補助人、任意後見人、任意後見受任者
注)届書を持参されるのは他の方でも結構です。
届け出期間
・死亡の事実を知った日から7日以内
・国外で死亡があったときは、その事実を知った日から3か月以内
必要なもの
1,死亡届書 1通→右側の死亡診断書または死体検案書の添付のあるもの。病院等で交付されます。
2,後見人、保佐人、補助人及び任意後見人が届けをされる場合は、その資格を証明する登記事項証明書または裁判所の謄本。
任意後見受任者の場合は、その資格を証明する登記事項証明書又は任意後見契約に係る公正証書の謄本。
押印について
令和3年9月1日より、戸籍の届書への届出人の押印は不要になりました。
ただし、任意で押印していただくことは可能です。

神戸市の規格葬儀の内容

神戸市には、市営葬儀はありませんが、葬儀の取組として、「規格葬儀」を行っています。
規格葬儀とは、 市民の皆様が経済的に安心な料金でご利用いただける葬儀のことで、これは神戸市が直営で行うものではなく、市が指定した永年の経験と独立の店舗を有する葬儀取扱い店の協力によって行い、 対象は神戸市民のみとなっています。
規格葬儀の問い合わせは
〒650-8570神戸市中央区加納町6-5-1
神戸市役所1号館6階
規格葬儀とは
規格葬儀は、神戸市が直営で行うものでなく、市が指定した永年の経験と独立の店舗を有する葬儀社で、市が指定した規格葬儀取扱店の協力により行うものです。
3種類の基本祭壇をご用意しておりますので、ご予算に応じてお気軽に申し付けてください。
対象は、神戸市民のみです。
宗派を問わず、対応できます。
神戸市の葬儀関係⇒神戸市:おくやみ
規格葬儀料金
紫陽花(あじさい)大人430,000円 小人(10歳未満)415,200円
百合(ゆり)大人259,500円 小人(10歳未満)244,700円
霞(かすみ)大人196,800円 小人(10歳未満)182,000円
※これまでの、特A級、A級、B級の名称は変更されました。
※上記価格(消費税込)は、火葬料、基本祭壇、寝棺、霊柩車(地域によっては加算があります)などの基本的な料金です。
規格葬儀に含まれないもの
(1)宗教関係費用 (2)会場費 (3)ドライアイス (4)寝台車 (5)遺影写真 (6)供車(バス・タクシー) (7)会葬御礼 等

1,飾り付け等の一部をご使用にならない場合でも価格の減額はできません。
2,式場費/搬送料等の料金はご利用になられる地域によって一律ではありません。
3,料金については、指定店によって多少の差額(増額)が生じる場合がありますので、詳しくは各指定店に直接お問い合わせください。
4,その他葬儀に関するご相談については、各指定店へお問い合わせください。
申し込み方法
指定店に「規格葬儀でお願いします」とお伝えください。
内容については、指定店とよくご相談いただき、必ず見積書を受け取り、ご確認のうえお申込ください。
住所地(お住まいの区)にかかわらず、どの指定店でもお申込できます。

神戸市の墓地・斎場の内容

斎場
葬儀とは、死者を弔う宗教的な儀式のことをいいますが、法律的に、遺体は24時間火葬に付すことはできません。
どのような葬儀方法を行うにあたっても、24時間いずれかにご遺体を安置しておかなければならないのです。
神戸の斎場(火葬場)は、神戸市内に4か所あります。
斎場の問い合わせは
〒651-1102神戸市北区山田町下谷上字中一里山14-1
火葬場(斎場)の所在地など
(1)鵯越斎場
所在地:神戸市北区山田町下谷上字中一里山14-1
アクセス JR三宮駅から市バスで約20分
(2)甲南斎場
所在地:神戸市東灘区本山町田中字南小路423
アクセス JR住吉駅から車で約10分
(3)西神斎場
所在地:神戸市西区神出町南字美濃谷600
アクセス 市営地下鉄西神駅から車で約15分
(4)有馬斎場
所在地:神戸市北区有馬町字京口山1814
有馬斎場は鵯越斎場で受け付け
アクセス 神戸電鉄有馬温泉駅から車で約7分
神戸市は、墓園の管理なども行っています。
墓園についての問い合わせは
〒652-0071神戸市北区山田町下谷上字中一里山12-1
葬儀となった場合、色々な手続きもあると思いますので、必ず市に問い合わせしましょう。
〈斎場の予約受付及び休業日〉
神戸市立斎場の火葬予約については、インターネットを活用した「神戸市立斎場予約システム」で受け付けています。
なお、火葬予約に関するお問い合わせについては、火葬される斎場にかかわらず、原則として鵯越斎場が窓口になります。
また、各斎場の空き情報は、斎場予約システムから確認をお願いします。
〈使用料金〉

区分種別金額
死体の火葬大人(10歳以上の者をいう。)・市民
1体につき12,000円
・その他の者
1体につき36,000円
死体の火葬小人(10歳未満の者(死産児を除く。)をいう。)・市民
1体につき6,000円
・その他の者
1体につき18,000円
死体の火葬死産児・市民
1体につき2,400円
・その他の者
1体につき7,200円
汚物の焼却胞衣、産褥(ジョク)その他これらに類するもの・市民
1キログラムにつき1,800円
・その他の者
1キログラムにつき3,600円
死体保管室の使用・市民
1棺24時間以内につき1,000円
・その他の者
1棺24時間以内につき2,000円

注)
・使用料の減免(神戸市立斎場条例施行規則第3条)
生活保護法による葬祭扶助等を受ける者のため使用するときは、使用料の5割相当額の減額ができます。
詳しくは斎場までお問い合わせください。
〈鵯越斎場及び西神斎場の待合室使用料金〉

室名使用料(2時間以内)町か時間使用料
(1時間につき)
鵯越斎場及び西神斎場第1号室、第2号室及び第3号室鵯越斎場第5号室市民3,000円市民1,500円
鵯越斎場及び西神斎場第1号室、第2号室及び第3号室鵯越斎場第5号室その他の者6,000円その他の者3,000円
鵯越斎場第6号室、第7号室及び第8号室市民6,000円市民3,000円
鵯越斎場第6号室、第7号室及び第8号室その他の者12,000円その他の者6,000円

〈火葬証明〉
・墓地の申込などで使用する火葬証明書は各斎場で発行していますので、まずは電話でお問い合わせください。
(お問い合わせについて11時30分から13時30分はお控えください)
・お問い合わせの結果、火葬証明書の発行ができる場合、原則、郵送のみにより発行申込を受け付けています。
墓園
神戸市には墓園が4か所あります。

神戸市の葬祭費の内容

葬祭費の支給
国民健康保険の加入者が死亡したとき、葬祭を行った方に葬祭費として5万円が支給されます。
注)
1,他の健康保険から葬祭費に相当する給付を受けられる場合、葬祭費は支給されません。
2,勤務先の健康保険等に加入していた方(被扶養者を除く)が健康保険等の資格を喪失してから3か月以内に死亡した場合等は、勤務先の健康保険等から支給されます。
3,要件や手続方法は、勤務先の健康保険へお問い合わせください。
申請手続き
死亡した方が住民登録をしていた区役所等の国保の窓口にて、葬祭を行った方が申請をしてください。郵送でも手続きができます。
〈窓口で申請に必要なもの〉
・国民健康保険葬祭費支給申請書(※窓口にございます)
・誓約書(※窓口にございます)
・亡くなられた方の保険証
・申請者の印かん(※本人自署の場合不要)
・死亡の事実が確認できるもの
(例:死亡診断書、埋火葬許可証など)
・申請者が亡くなられた方の葬祭を行ったことが確認できるもの
(例:会葬御礼はがき、葬祭費用の領収書など)
・申請者の本人確認ができるもの(例:運転免許証など)
・申請者名義の金融機関の口座番号が分かるもの(例:預金通帳など)
申請上の注意点
1,葬祭を行った日の翌日から起算して2年を経過すると時効となり、支給が受けられなくなります。
2,葬祭費が支給されるのは亡くなられた方1人に対し1回限りです。
3,葬祭を行った方とは、原則として喪主の方をいいます。
4,窓口に来られる方が申請者でない場合、または葬祭費振込口座の名義人が申請者でない場合は、申請者からの委任状が必要になります。
5,交通事故などの第三者行為や公害病などにより亡くなられた場合、葬祭費が支給されない場合があります。
6,他の健康保険制度から葬祭費に相当する給付を受けられる場合、葬祭費は支給されません。
7,勤務先の健康保険に加入されていた被保険者(※被扶養者を除く)が、退職してから3か月以内に亡くなったときは、加入されていた健康保険などから埋葬料等が支給されます。
8,勤務先の健康保険に加入されていた被保険者(※被扶養者を除く)が、資格喪失後の傷病手当金または出産手当金を受けている間に亡くなったとき、またはそれら手当てを受けなくなってから3か月以内に亡くなったときは、加入されていた健康保険から埋葬料等が支給されます。

遺族年金の内容

遺族年金
遺族年金は、国民年金または厚生年金保険の被保険者または被保険者であった方が、亡くなったときに、その方によって生計を維持されていた遺族が受けることができる年金です。
遺族年金には、「遺族基礎年金」「遺族厚生年金」があり、亡くなった方の年金の加入状況などによって、いずれかまたは両方の年金が支給されます。
亡くなった方の年金の納付状況・遺族年金を受け取る方の年齢・優先順位などの条件をすべて満たしている場合、遺族年金を受け取ることができます。
遺族厚生年金
厚生年金保険の被保険者等であった方が、受給要件を満たしている場合、亡くなった方によって生計を維持されていた遺族が、遺族厚生年金を受け取ることができます。

神戸市概況

神戸市概況
神戸市は、兵庫県の南部に位置し、東は芦屋市、西宮市、宝塚市、北は三田市、三木市、西は稲美町、明石市と市境を接し、南は大阪湾、明石海峡を挟み淡路島の淡路市と面して
います。
市域は、東灘区、灘区、中央区、兵庫区、長田区、須磨区、
垂水区、北区及び西区の9行政区よりなっています。
全市面積は 550.70㎢
人口は約 152 万人、世帯数は約 64 万世帯
(平成 15 年 10 月 1 日現在)
です。
気候的には、神戸市の気候は温暖な瀬戸内海気候帯に属し、過去 30 年間(昭和 46 年~平成 12 年)の気象観測結果の平均値(平年値)をみると、年平均気温は 15.8℃、年間平
均降水量は 1,264.7mm となっています。
地勢的には、神戸市域は標高 931m の六甲山を主峰とする六甲山系により大きく二分されます。
大阪湾に広がる南側は、東西に細長い山麓台地と海岸低地で構成される既成市街地と、ポートアイランドや六甲アイランド等の人工島の海上都市地域で形成されています。
又、六甲山系の北側(北神地域)は帝釈山・丹生山などの山々と丘陵地が波状に展開しており、農地と山林等の自然が広がり、その中で計画的な新市街地の整備が進んでいます。
一方、六甲山系の西側(西神地域)はなだらかな丘陵が播磨平野に続いています。
産業的には、神戸市の事業所数は約 7 万 6,000 事業所、従業者数は約 74 万人であり、産業別では、事業所数、従業者数とも卸売・小売業、飲食店とサービス業の占める割合が高くなっています。
尚、市域を自然的・社会的条件から南部市街地(東灘、灘、中央、兵庫、長田、須磨)と北部西部地区(北、垂水、西)に大別し、南部市街地を以下「臨港6区」と呼んでいます。
原始・古代
神戸では市内各所から旧石器時代の石器が出土しています。 しかし、いつごろから人々が住みは じめたのか、またその当時の生活の様子などはよく分かっていません。
原始・古代の遺産として代表的なものには、神戸市立博物館に展示されている国宝の銅鐸・銅戈(どうたく・どうか)と 神戸市垂水区には築造当時の姿に復元された五色塚(ごしきづか)古墳があります。
中世
現在の神戸市域は摂津・播磨の両国にまたがり、当時の首都・京都と瀬戸内海方面を結ぶ海上交 通の要衝でした。
平安末期、そこに着目した平清盛は、神戸の港「大輪田の泊(おおわだのとまり)」を改修し、中国(当時の「宋」)と貿易を行いました。
又、京都から神戸の福原に都が移された こともあります。
さらに神戸は軍事上の拠点ともなり、南北朝時代には楠正成(くすのきまさしげ)が 北朝軍に敗れた「湊川の戦い(1336年)」の地としても知られています。
近世
古代から港町として発展してきた神戸は、天下の台所・大阪を控えて海上交通の要所であると共に、 西国街道沿いの宿駅でもありました。
豊臣秀吉は有馬温泉をこよなく愛し、何度も訪れたと伝えられています。
又、江戸時代には自然条件を活かした酒造りが発展し「灘の生一本」として全国に 知られました。
長い間鎖国政策をとっていた日本ですが、ペリーやハリスの来航により開国を迫られ、日米修好通 商条約(1858年)により1868年に神戸が開港されます。
開港後は、現在の北野地区に外国人居留地が設けられ、衣食住から娯楽や文化などあらゆる面で欧米の生活様式が持ち込まれ、神戸はいち早く文明開化の洗礼を受けて国際貿易都市として発展します。
神戸市の誕生
明治元年(1868年)に兵庫県が設置され、1871年の廃藩置県の後、1889年に人口13万5000 人の神戸市が誕生します。
その後も順調に発展を続け、1931年に「区」制が開始された8年後の1939年には人口100万人を突破しました。
1971年に「第1回神戸まつり」を開催、ポートアイランド神戸ハーバーランド1981年には海上都市・ ポートアイランドが誕生して「ポートピア’81」を開催、1992年の「神戸ハーバーランド」誕生など、 輝かしい歴史を積み重ねます。
兵庫県南部地震
1995年(平成7年)1月17日午前5時46分、マグニチュード7.2の直下型地震が神戸付近を襲いました。
一瞬にして多くの尊い命を奪い、神戸の街を破壊しました「阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)」。
10年以上の歳月を経た今では見事に復興を成し遂げましたが、神戸では震災の記憶を風化させることなく、震災から得た貴重な教訓を未来に伝えるために、さまざまなモニュメントや施設・催しなどが新たに生まれています。
神戸港の歴史
神戸港は、「務古水門」「大輪田の泊」と呼ばれていた古くから中国大陸や朝鮮半島の港と交流していました。
また、平安時代(794年から1192年)には、「経ヶ島」の築造(1174年)を行うなど、国際貿易の拠点として発展してきました。
室町時代(1336年から1573年)、江戸時代(1603年から1868年)には、「兵庫の津」と呼ばれ、鎖国政策下の江戸時代には、国内交通の要衝として、重要な役割を果たしました。
そして、慶応3年(1868年)の開港後は、人・物・情報が行き交う拠点として、また、国際貿易港として常に最新の設備を整備し、世界を代表する港に発展しました。
平成7年(1995年)1月の阪神・淡路大震災により大きな被害を受けましたが、わずか2年間で施設復旧を完了した。
平成18年には神戸空港が開港し、神戸は海・空・陸の総合交通体系が確立され、人・物・情報の交流拠点づくりを進めています。

葬儀は「仏教が起源」

現代の葬儀は、仏教を起源とする

現代に伝わる儀礼や習俗は、仏教を起源としているものが多くあります。
その代表が葬儀・葬式です。
この葬儀・葬式は、死者が戒名(法名)を頂いて、仏(ブッダ)の弟子となり、浄土へと旅立つ儀式です。
死者は、浄土に導かれ49日後に悟りを得て、仏に成る(成仏)と言われています。

現代の習俗や文化は仏教が起源

日本に仏教が伝わったのが、536年とされています。
6世紀末に、聖徳太子が仏教を国作りの基本としたことから、様々な仏教文化が生まれました。

葬儀以外で、仏教が起源のもの

葬儀以外で、仏教を起源としているものに、お彼岸やお盆があります。
このお彼岸やお盆は、仏となった先祖を偲び、同時にこの世にいる自分たちを守ってくれるように祈る行事です。

日本に仏教が伝わって、聖徳太子が仏教を国作りの基本としたことから、様々な仏教文化(儀礼・習俗)が生まれ、その代表格が葬儀なのです。
仏教文化から、葬儀、法要が行われるようになりました。
埋葬などの関係⇒墓地、埋葬等に関する法律の概要

現代の葬儀と火葬の歴史

葬儀は遺族を支援する儀式

葬儀
葬儀(お葬式)は、人を弔うための儀式です。
葬儀は、人の死生観・宗教観が深く関わっていると言われています。
葬儀は、宗教が発生する以前の旧石器時代から行われてきている宗教的行為だと言えると思います。
葬儀は故人のためだけではなく、残された遺族たちが人の死を心で受け止め、そしてその遺族たちの心を支援する儀式であるともいえると思います。
葬儀の歴史
現時点で、歴史上最も古い葬儀跡といわれているのが、イラクの北部シャニダール洞窟の葬儀の痕跡です。
このシャニダール洞窟の中には、約6年前と推定されるネアンデルタール人の骨が見つかっております。
そして、その周辺にはあるはずもない花粉があったということです。
このことは死者を弔うため、花を死者の周りに添えたのではないかと推測されています。
近年の研究において、ネアンデルタール人による埋葬の習慣に関しては疑問もあるようです。
只、仮に埋葬の習慣があったとしても、現生人類のホモ・サピエンスと比較するとかなり単純な埋葬だと言われています。
古代において、ヨーロッパ・日本など世界中で考えられていたのは、霊魂は不死であり、

死亡

死後一定期間、肉体或はその肉体周辺に霊魂はとどまり、その後に冥界或は天界に旅立つと考えられていたと思います。

僧侶中心から葬儀社主導へ

現代は、通夜式があり2日間のお葬式であったのが、宗教離れ・仏教離れから、僧侶中心の葬儀・葬式から葬儀社主動の葬儀・葬式に変わってきました。
この変化に伴って、葬儀方法(形態)が大幅に変わってきました。
近年は「お坊さんのいらない葬儀」と、名うった葬儀社も出現してきております

現代の葬儀は、3形態が基本

現代は高齢化社会を反映して、葬儀業界が一大産業となり、葬儀業界は競争激化となっております。
葬儀社にとっては、如何に集客するかが死活問題になつております。
その為、各葬儀社は色々な葬儀形態を打ち出し集客を図っているのです。
私達はそのことに惑わされることなく、残された遺族として良いお葬式を執り行っていかなければならないと思います。現代の葬儀の執り行い方は3つの方法があります。
   ☆ 一般葬 ☆ 1日葬 ☆ 直葬(釜前葬)
です。
私たちは殆ど葬儀の経験はありません。
ですからお葬式となった場合、どうしてもお葬式イコール葬儀社となってしまいます。
ですが、やはりお葬式を依頼する以上、多少の知識があったほうが、後々後悔しない葬儀につながりますし、安心してお葬式を執り行うことが出来ると思います。
そのためには、上記のお葬式方法があることを念頭に置いて葬儀社に依頼することがよいお葬式に繋がりますし、料金的にも安心して依頼できると思います。
注意が必要なのは、各葬儀社が色々な名称を使っている為、惑わされないことです。

現代は火葬が主流

遺体を火で焼いて処理する葬法を火葬といいます。
日本の火葬率はほぼ100%です。
海外の火葬率はアメリカが46%、イギリスは75%、中国は50%で日本は世界一の火葬国です。
日本の火葬が広がったのが、この百年の間で戦後からのことです。
明治期では火葬率は26、8%、当時はまだまだ土葬が主流でした。
それが、昭和30年には54%、昭和59年には94%になり、平成12年には99%となりました。
日本の葬送に関する基本法の「墓地、埋葬等に関する法律」には、火葬を義務付けるものではなく、土葬が法律によって禁じられているわけでもありません。
法律上は、火葬・土葬、両方の葬法が想定されています。
土葬よりも火葬が広まったのは衛生上の問題、土葬に比べて墓地がコンパクトにでき、火葬を取り入れた仏教の影響などが考えられます。
埋葬などの関係⇒墓地、埋葬等に関する法律の概要

神戸市の火葬の歴史

神戸市は、西区の長谷遺跡や北区の行原遺跡などで中世に火葬を行った施設と考えられる遺構が検出されています。
神戸市街地市営墓地の統合計画によって、春日野と夢野の火葬場と墓地が、鵯越斎場に移転改装されと資料に残っています。
昭和38年から造成が開始され、火葬炉30基を持つ施設として昭和49年4月に開場しました。
春日野からの移転は、昭和38年4月に始まり昭和41年3月に完了、昭和50年3月に火葬場と墓地が廃止されました。
夢野の移転は昭和42年に始まり、47年4月に墓地が廃止されたという資料があり、春日野墓地からの改葬墓のある地点が最初の墓地だということになります。

火葬史(火葬は縄文時代から)

日本では、土葬が縄文時代から行われていたことは、各地で人骨の集積した墓と思われる遺跡が発掘されていることなどから明らかになっています。
日本の火葬は、文武天皇4年の僧侶道昭の葬儀において火葬が最初と記されている文献があるからです。
しかし、火葬が行われたのは、この以前の古墳時代後期の大阪府堺市の陶器千塚古墳群の一つである円墳の横穴式墓室からは焼骨が見つかっています。
さらにづっとさかのぼる縄文時代の遺跡からも焼人骨が見つかっています。

火葬と仏教(ブッタ・火葬)の結びつき

火葬と仏教が結びついたのは、開祖のブッタが火葬されたことによります。
インドでは、火葬、水葬、土葬、風葬など、様々な葬法が行われてきたがブッタが現れる以前から、火葬が重んじられてきました。
その理由としては、インド古来のバラモン教やヒンズー教では、死者の霊が煙とともに天界に昇ることができると信じられていたからという説があります。
ブッタは入滅すると遺言に従って火葬されました。
ブッタの最期を記した「マハーパリニッバーナ経」は、ブッタの教えを忠実・正確に記録し伝承されてきたとされるパーリ仏典に属しますが、
同書によれば、遊行のおりに自身の最期を察知したブッタは、弟子のアーナンダに対して「修行完成者の遺体は、転輪聖王の遺体を処理するような仕方で、処理されるべきである」と告げ、さらに遺体を布や綿で幾重にも包んでから鉄の油槽に入れ薪を集めて火葬するようにと細かく指示しています。
転輪聖王とは、インド神話で正義によって世界を統治する理想的な王のことです。
インドには、転輪聖王のような尊貴な人に対しては、多様な葬法の中でも火葬が行われるべきだという考えがあり、それがブッタに対してもあてはめられたということだと思慮されます。
ブッタが火葬されたことによって、仏教徒の間では火葬が重んじられようになりました。
又、火葬されたブッタの遺骨である仏舎利が崇拝されるようになったことも、火葬の重視につながることとなったのです。
遺体を火葬することは「荼毘に付す」と言われ、荼毘とは、パーリ語で「燃やす」を意味します。

火葬と仏教(僧侶道昭が火葬の幕開け)

文武天皇4年の僧侶道昭の火葬が、日本の葬史の幕開けとなったのは事実だと思います。
この道昭の火葬によって、近代にいたるまで仏教に基ずく葬送として火葬が行われてきました。
大宝3年には、持統天皇が火葬され、続く文武天皇・元明天皇・元正天皇の三大天皇も火葬されています。
これは火葬が国家が認めた葬法になったといえます。
これを機にして8世紀初頭以降、火葬の風習は急激に全国に広まっていったようです。
このような火葬の普及は「続日本記」が高僧の道昭の火葬を「日本最初の火葬」と特記したことからもうかがえるように、火葬が仏教式の葬法として導入されたことが、大きく関係していると考えられています。

古代・火葬は特権階級、庶民は土葬

高僧道昭は中国唐に留学しているので、留学先で僧侶の火葬を目撃した可能性はあると思慮されます。
自らの火葬を遺命したのも、見分が下地になつているものと思われます。
只、持統天皇以下の火葬については、必ずしも仏教葬という認識はなく、中国の薄葬思想の影響ではないかといわれることもあります。
実際、持統天皇の場合、持統天皇は仏教を篤く信奉していたものの、火葬に僧侶がかかわったという形跡は認められないのです。
しかし、奈良時代以降、火葬は日本に着実に受け入れられていきました。
しかしながら、実際に火葬が行われていたのは、天皇や貴族、官吏、僧侶などであって庶民は無縁であったようです。
庶民は簡易な土葬が主流だったと考えられます。
「簡易な土葬」とは、野や河原、崖の横穴などに死者を置き、そのまま自然に任せる葬法のことで、死体は腐乱しつつ犬や鳥に食われたり、土の中で腐敗したり、場所が水辺であれば波・川に流されたりして消失していったのです。
平安京では、桂川や鴨川などの河原が民衆の葬送地となっていました。
承和9年(842年)、朝廷は鴨川などの河原に散乱するどくろを焼却させましたが、その数は5千5百余りだったといいます。
当時の庶民は河原に運ばれ、そのままにされるのがごく普通でした。
身寄りがないよそ者の場合は、河原ではなく市街の路上に遺体が放置されることもあったようです。
京都朱雀大路の交差点の溝や流路から人骨が出土しているからです。
盗人が荒廃した羅城門の楼上で放置された死体を目のあたりにするという「今昔物語集」に収められた説話は、芥川龍之介の短編小説の題材となったことで有名になりましたが、
この説話の最後に「その上の層には死人の骸骨ぞ多かりける。
死にたる人の葬など、えせぬをば、此の門の上にぞ置きける」と書かれており、平安後期にも都に遺体を放置する風習が残っていたことをうかがわせます。
又、平安京では西郊の化野、東山の西麓の鳥辺野が葬地として使われていました。
鳥辺野は、皇族や貴族の葬送にも使われ火葬も行われました。
平安末期には、北郊の蓮台野も葬地として知られるようになっています。
化野・鳥辺野・蓮台野は、いずれも山麓地帯でやがて共同墓地として発展していきました。
只、この当時の土葬は「死体遺棄」という意識のもとで行われていたわけではなかったと考えられています。
絵巻物「餓鬼草子」には、平安期の簡易な土葬の風景をモデルに描かれたようですが、放置された死体に供物が添えられているからです。
つまり「捨てる」側が「弔う」という意識を持っていたということも考えらるのです。

火葬の広がり(仏教の信仰から進む)

簡易な土葬は次第に姿を消してゆくとともに、火葬は仏教との結びつきを強めつつ、上層階級以外にも徐々に広まっていきました。
十世紀の貴賤を問わず念仏を説いた天台僧の空也は、原野に放置された庶民の遺体を集めて火葬し供養を行っています。
鎌倉時代の開祖である一遍の時宗は、京都で火葬場を運営するようになっていました。
又、中世には火葬場での天下も含めて、葬送の実務を僧侶が基本的に請け負うようになったようですが、特に火葬や埋葬、墓所の管理にあたった下級僧侶は「三昧聖」と呼ばれていました。
「三昧」とは、本来は修行した僧侶が達する禅定の境地のことです。
「法華経」に基ずく瞑想法を法華三昧といい、これを修するための道場を法華三昧堂と呼んだのです。
法華三昧は、滅罪の功徳があるとされましたが、それが死霊の鎮めの意味にもとられたのか、平安時代中期以降になると貴族たちは墓所に法華三昧堂を建立するようになり、法華三昧堂の住僧は三昧僧と呼ばれました。
この風習が民間にも次第に広まったため、「三昧」といえば墓所や火葬場の事も指すようになり、墓所に住んで葬送に従事する下級僧侶は三昧聖と呼ばれるようになったと考えられます。
平安中期に比叡山横川で天台僧源信が中心となって結成された極楽往生をめざす念仏団体「二十五三昧会」に由来するという説もあります。
二十五三昧会は、往生のための臨終作法だけでなく、メンバーが死んだ場合の遺体の葬送や墓所についても細かく規定していて、葬送互助のモデルになったとも言われています。
三昧聖には、民間布教や社会事業に尽くした奈良時代の僧・行基や、その弟子たちが既に奈良時代に民衆に火葬を行ったとする説もあります。
こうした仏教者の活躍によって、火葬が火の力と念仏の功徳によって死者の霊を鎮め、穢れた死体を白骨として浄化し聖化する儀礼として広くとらえられるようになりました。
遺体を火によって破壊し、短時間で骨だけにしてしまう火葬は、人間の死を確定してしまうことであり、味方によっては土葬よりも残虐な葬法です。
土葬に慣れ親しんでいた社会で火葬が広く受容されるには、何らかの強力な意義付けが必要であったことでありましょう。
その意義付けを仏教が担ったと思慮されます。

江戸時代には庶民にも火葬が広がる

江戸時代までは土葬が主流をなしていましたが、すでに江戸時代には江戸・大坂などの大都市ではかなり普及していたようです。
大坂の周辺には、火葬場を中心とする墓地が七か所点在していました。
当時の資料によりますと、七か所の一つである道頓堀墓所では、多いときに年間一万体以上、少ない年でも五千体以上の遺体が葬られ、うち一割弱が土葬されたといいます。
ですから、九割は火葬されたということになります。
江戸にも、小塚原に幕府の許可を得て開かれたのに始まって、千駄ケ谷、桐ケ谷、渋谷、炮録新田に火葬場がもうけられ、この五か所は「江戸の五三昧」と呼ばれました。
小塚原の場合は、一町四方ほどの範囲に二十の寺院が並び、火葬寺と呼ばれたことから各宗派の寺院で火葬が行われました。
江戸・大坂に火葬が普及した要因として、人口が密集し土地の狭い都市には、土葬よりも遺体を効率的に処理できる火葬が適していたという点と、仏教葬としての火葬のほうが故人の供養になるという宗教的意義が民衆にも浸透していたと推定できます。
半面、儒教・儒学が隆盛した江戸時代には、火葬の普及を思想・信条的な立場から批判する人々もいました。
儒者の安井真祐は、貞享2年(1685)に「非火葬論」を著し、父母の屍を火葬することはその遺体を粗雑に扱うことであり、孝心に背くことであると論じました。
祖先祭祀を重んじる儒教では、死体といえども親の体を焼くことは不孝と考えられ遺体は、棺のまま土饅頭に収める方式の土葬が理想とされていたのです。
そうした立場から近世の儒者たちは、火葬が孝心を否定する仏教の野蛮な葬法として批判したのです。

明治政府は火葬を野蛮として一時禁止

江戸から明治維新の転換期に火葬は一時禁止されたことがありました。
明治6年(1873)7月、明治政府は突然火葬禁止令を出したのです。
この法は、遺体を焼くことによって生じる煙と臭いが不潔であり、人体に悪影響を及ぼすと考えた警察の統括機関が、司法省に火葬設置場所について意見を求めたことがきっかけとなっていますが、警察の統括機関の伺いに対して政府側は「火葬は釈迦の教法に由来し野蛮で残虐なもの」と断じて早々に火葬禁止を決定したのです。
神仏分離・廃仏希釈をへて、神道国教科政策が強引に進められるなか、仏教弾圧のあおりを受けて、火葬に代わって土葬が国家的に推奨されることとなりました。
しかし、この火葬禁止令はわずか二年足らずの明治8年には解除されています。
土葬は火葬に比べて埋葬地を広くとるため、たちまち墓地不足に陥ったからです。
それと欧米において火葬の普及がはかられていたことも関係しています。
こうして火葬は政府公認になりました。
明治期にはコレラ・チフスなどの伝染病が流行したのですが、伝染病で死亡した遺体は、火葬が推奨され、衛生上の観点からも火葬が有用と評価されるようになったのです。
現在のように公営の火葬場が整備されるまでは、戦後においても地方においては、火葬は墓地の片隅や村はずれで野天で行われることが珍しくなく「野焼き」などと呼ばれました。
この火葬は、筵がかけられた棺や藁や薪で焼くもので、最初に点火するのは喪主や身内の役割で、親族や村人の協力なくしては出来ないものでした。
火葬は、歴史的には仏教との関りで普及してきましたが、もはや現代では遺体の処理方法として認知され特段の宗教性を見出すことは難しくなってきております。

死霊観・祖霊信仰・死者の葬儀に繋がる


日本人の間には、古くから肉体には魂のやどるところであり、人の死は、そこに宿っている魂が抜けだした時の現象であると考え、魂の抜けた肉体は、けがれているものとする考えでした。
死体は、時によると別の魂がその中に入り込んで、再生するとも考えていようです。
そのようなことは、葬儀の方法や墓によって、うかがうことができます。
人が死んだとき、「魂よばい」をするところはきわめて多い。
西日本の各地では、屋根の上へ上がって瓦を一枚めくって、西に向かって「返せ、戻せ」と呼ぶと、魂が戻ってきて生き返ることがあると信じられていました。
もしそれで生き返えらなければ、もう生き返ることはないという伝承があります。
島根県の美保関では、井戸へ行って魂呼びをしたといいます。
これは、魂が地下へ行くものと考えたからで、京都などでは、お盆に井戸の中へシキミの葉を吊り下げておいて、それを仏壇にたてる風習がありますが、これなども、先祖の霊が地下から来ると考えたからにほかなりません。
死体のことを「ナキガラ」というのも、魂のぬけがらの意味だと思います。
このような考え方は、昔から固定していたわけではなく、時の流れなどによって変化し、土地土地によっても差異があります。
日本書紀には、旅する者が路傍で死んだ者を処理していかないために、そこに住んでいる者が困ったという話があります。
それは死の穢れが、そのあたりの住民に災いを与えると考えていたからです。
そうした場合には、連れの者が死者の処分をし、祈祷して災いの及ばないようにしなければならないようですが、連れの者にはその費用すら持ち合わせがなかったようです。
一般民衆の死体は、多くの場合は遺棄せられたようです。
貴族や豪族たちは、その死体を埋めて墳丘を造っていますが、数は限られており、一般民衆には墓はなかったと思われます。
餓鬼草紙によると、身分の高いものは埋められて土が盛られ、他の者の死体は地上にそのまま放置せられているか、箱の中に納められているかされたものと思われます。
いずれにしても、埋められるよりも、そのままに置かれて腐朽するにまかせていたのであろうと考えられます。
死体は埋めないにしても、死体を捨てる場所は決まりがあったようです。
土地土地によって違いがあるようですが、部落の端の岬のような向こう側が多く、けがれたものを、人の眼の届かぬ所に置き、人もまた死体をそこへもって行く以外は、そこへ近づこうとしなかったようです。
生きている者からすれば、死体を捨てる場所は、けがれていて近づいてはならない所であったでしょうが、そこが魂のあの世へ行く入り口であったかもしれないのです。
「一遍聖絵」には、坊さんたちが身体に石を括り付けて、水中に入って死んでいるさまが描かれています。
入水往生というものですが、これなど水の底に極楽があると考えられたからにほかならないからです。
同じころ、はやり始めた渡海入定なども似たようなものです。
これなどは、熊野の浦から小舟に乗って沖へ漕ぎ出て、再び帰ってこないのです。
海のかなたに、魂の故郷である常世が存在すると、考えたからであろうと推測できます。
死体を一定の場所におくことによって、人々はまずその中に宿っている魂が、かなたの幸福な世界へ行くことを祈ったのでしょう。
そして、魂が、なきがらから完全に去ってしまえば、もはやそのなきがらは,けがれているとは考えなかったのでしょう。
「けがれ」というのは、今日の「よごれる」という意味とは違います。
それが身につくことによって、不幸や病をもたらす性質をもったもののことなのです。
それは死者の魂がそうさせるものであるか、あるいは死者以外の魂が取り付いていて、わざわいするものであるか明らかではありません。
人間には、荒魂と和魂(にぎたま)の二つの魂があり、荒魂がわざわいするものであるとか、荒魂は時が過ぎると、和魂(にぎたま)に変わるのだという考え方もあります。
埋葬
日本の古墳の中の埋葬の様子を見ると、死体を傷つけないようにして、埋葬することがうかがえます。
縄文時代には、屈折が多いですが、その姿は、古い時代の夜具も十分でなかった時代の寝姿だったものと思われます。
そのような寝姿が、明治の初め頃までいたるところで行われていました。
昔の布団は小さなもので、手足を伸ばしては、はみ出してしまい、芋虫のようにまるくかがんで寝ていたのです。
山伏たちが峯入修行の時、笈を背負ったまま眠るのも、腰を折り膝を立て、その膝を両手に抱き、膝の上に顔を伏せた姿勢で眠れば、どんなに寒くても風邪をひかぬとも言われていました。
これは、屈折の姿勢の一つです。
足腰を伸ばしたままの葬法は弥生時代から起こり、古墳では殆どこれに変わっています。
身体を丸くして寝るのは、風邪をひかぬためばかりではなく、魂の抜け出ることを恐れたためではないでしょうか。
足腰を伸ばして眠ると、魂が抜けだしやすいと考えたのでしょう。
夢を見るということは、魂の抜けだすことであり、人魂の飛ぶというのは、魂が身体から抜け出してさまよい歩いている姿だとも言われています。
只、貴族たちは夜寝るときは、足腰を伸ばしていたようで、魂の抜けださないように鎮魂の祈祷を行い「たまむすび」ということをしたようです。
元気な時には、魂が身体から抜け出すようなことがあっても又、すぐに戻ってくるものと考えていたようですが、時には、別の魂が入り込むこともあると信じられたのは「憑き物」の俗信が物語っています。
狐がついたり狸がついたり、死霊、怨念、生霊などがつくと考えられたのは、そうしたものがついたとき、本人の魂はどこかにいっており、そのついている物が身体内に留まっている間は、その人自身の魂は、どこかにうろついていると考えられていました。
しかも、色々な魂が人間の身体に入ったり出たりするのは、魂が勝手にそうしているのではなく、その魂の上にもう一つ強い力を持つものがいて、それが色々の魂を支配していると考えられていたからです。
それが仏であったり、鬼であったりしたと思いますが、仏教渡来以前は、神が魂の支配者であると考えていたのです。
魂には上の管理者がいて、それが、人間の身体から魂を切り離したり、取り入れたりすると考えていたのです。
貴族たちはともかく、一般民衆の肉体は早く壊して、その霊を彼方の世界に追いやり、悪霊などのつくことがないようにしたものと考えていたようです。
火葬
死体を焼く風習は奈良時代からおこっており、仏教の伝来によってもたらされた新しい習俗とみられますが、その風習の一般化は著しく遅れ、今も土葬の所があります。
一般的に両墓制というのは、死体を埋めるところと、お参りするために建てる墓が別になっているものですが、一年間は埋めた所(埋め墓)へまいり、それから参り墓の方でまつりをする例が多いのです。
不慮の死をとげた者は、その肉体から魂が抜け切らないで、そのあたりをさまよっていると考えられました。
そして、それが、その付近を通る者につくと、考えられたのです。このような現象を「たたり」と言いました。
まつられることのない霊は、たたることが多かったので、たたられないようにするためには、供養して成仏させる必要があったようです。
このような考え方は、仏教が渡来してからのことであると思われますが、実は古くから日本民族の間にはそういう習俗があったようです。
僧侶が死者のまつりを行うようになってから、そのまつりが、巫女や神人達の手から次第に離れて、僧侶の専業のようになっていったと考えられます。
しかし、死人の霊の口寄せは今もなお巫女が行っています。
僧侶たちの供養によって、死者の霊は彼方の世界へ行ってたたることがなくなるし、火葬を行えば亡骸に別の霊が取り付くこともなくなるわけです。
巫女
巫女は、卜占、神游、寄弦、口寄の業をなしたと言われます。
又、巫女のことをイタコ、イタゴと呼びます。
巫女が大規模に集まることを、恐山地域ではミコマチ、イタコマチと言っています。
巫女が、死者の儀礼と、どうゆうつながりかを見てみますと、死後七日以降に行われる死者供養にかかわっているようです。
巫女の口寄は、社霊を慰める供養儀礼でありました。
あら仏が行きつくところに行けないで、家内近辺を浮遊しているので、それを冥界に送り込むために行うものです。
東北の人たちは「イタコ」について、あれは、めくらの人たちを救うために思い付いたものだと思うが、どうかね」などという場合があります。
恐山は、イタコの集まるところで、イタコになるには少女時代に一定の儀式があり、その修練を経た後、平泉中尊寺などから一種の免許証をもらうのです。
東北の霊山の一つとしてあげられる恐山は、人々に恐ろしい感じを与える霊山で火山と湖がその風土を構成しています。
この恐山が一年中で最も賑わいを示すのは、7月24日の地蔵講です。
この地蔵講の縁日を東北では延命利益を祈願する日としています。
それに至る七日間は、この山に死者が帰って来るので、霊に会うために恐山に行くのです。
恐山には、地獄と呼ばれるところが136もあります。
地獄というのは、仏道に背いて落ち込むところです。
この恐山には、イタコと呼ばれる巫女がいて、お寺の境内などにいます。
イタコたちは、信者と死霊との間の意思の疎通を助ける役目をします。これが口寄です。
口寄には、二種があります。
死口は、死者の霊、特に、先祖の霊を呼び出して、その気持ちを子孫に伝える役をするのです。
祖霊に対する供養を怠っているため、死霊が浮かばれず、そのために家人に病がたえないこと、或いは戦死した息子などと通じてくれます。
生口というのは、遠くに出稼ぎに出たまま蒸発した人々を呼び出すものです。
この恐山を中心とする信仰は、円通寺(1525)大覚院の創設したものでありますから、16世紀以降になって盛んになったと考えられます。
死霊観
日本人の死霊観には、死後の期間を前後に大きく二分し、そのそれぞれに全く異質的な機能が働くものであることが指摘されています。
死の直後から33~50年間は、みずみずしい死者の霊魂が、喪家又は地域社会の周辺に浮遊していて、その影響力を強く及ぼしている。
ことに死後四十九日の忌み明けまでは、特に近接の位置にあってその力が強く働いている。
日本人は、祖霊に対して最も恐るべき存在であるとともに、最も親しむべき尊敬に価するものと考え、このため生者は彼らを定期的に招待すべきとしています。
人が喜ぶときは、神も喜ぶものと考えて、招待の時期としても花咲く春、新酒の出来るころ、収穫期としています。
その際には、供養をすると同時に魔除けの呪術を怠らぬように努める必要がありました。
これは祖先にささげたものが、他の悪霊によって荒らされぬようにと考えたためだといわれていますが、その実は祖霊に対しては、親愛感とともに、一種の恐怖感を持っていたのでしょう。
このように我が国においては、祖霊信仰が固有信仰として知られています。
神奈川県下のある部落の調査によれば、真宗・禅宗を問わず土葬です。
死者が出ると白紙でもって神棚を蔽い、死穢の神に及ぶことを避ける気持ちがあります。
しかし、一般に真宗地帯の門徒の家では、この神隠し作法を行わないところが多いようです。
真宗檀家では死の忌に対し鋭敏に対応する習俗が見当たらない場合が多いからです。
にもかかわらず、この部落の門徒が、一般的な傾向と逆な行き方を取っていることは注意しなければならないでしょう。
それは、菩提寺の親戚縁者に死を告げに行く使い人の作法や、死者の枕頭における供養儀礼、死者を葬送する方式、忌服のしかたなどに現れてきます。
臨終が伝わると、死者にとって血の濃い順に末期の水を飲ませてから北枕に向きを変え、死骸の上に刃物を置きます。
魔性のものが死者に襲い掛かることを防ぐ呪法です。
それと同時に、庭先の隅に三本支柱の棒を立て、それに鍋をかけて枕飯を炊く準備をします。
別に枕団子を作ります。
湯灌や通夜も念ごろに行われています。
この穢をいみ、清浄を尊ぶという考え方に支えられた葬送習俗は、全国の津々浦々の農山漁村に例を見ることができます。
又、古代以来、死に対して喪に服する場合が多いです。
盆と祖霊
盆が、日本において、庶民の生活の中で生かされたのは中世以降からです。
山から祖霊を迎えるのは盆の時ばかりではない。
盆の時には、日夜望見する山より死者の霊を迎えようとするのです。
したがって、盆には仏さまが来ておられるので留守にするわけにはいかない。
仏さまにお茶を差し上げなければならないし、色々接待をしなければならない。
だから家を留守にするわけにはいかないと考えるのです。
こうした考えは、祖霊の加護への感謝と、死者へのまつりを大切にするという意識に支えられているのです。
盂蘭盆会が祖霊祭としての意味を持ち、民間における固有の祖霊信仰と結合をした葬式仏教の形をしめすものといえます。
それは戦国期において行われたと考えられ、庶民社会への定着は徳川中期と考えられます。

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