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「葬儀の時、お坊さんが必要」
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良心のお葬式」へ

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顧問の元警察官・現僧侶が読経対応
携帯 090-1588-2757(24時間対応)

葬儀・お坊さんの読経葬儀

現代は、仏教離れ・檀家・門徒制度の崩壊によって、お坊さんのお経による、お坊さんの読経葬儀を行われない方もおられます。
お経は、故人をあの世に送り、遺族の心を癒すと言われていますので、お坊さんの読経葬儀でお葬式を執り行いましょう。

葬儀(お葬式)に際して

「葬儀社依頼」と「僧侶読経依頼」は別々に依頼

葬儀は葬儀社に、僧侶読経は僧侶に依頼

葬儀に際し、仏式の葬儀を執り行う場合は、「葬儀依頼」と「僧侶依頼」は別組織への依頼であることを認識して、別々に依頼しなければなりません。
「葬儀は葬儀社に」「僧侶読経は僧侶に」、という依頼を行うことが大原則です。
その依頼方法が、葬儀費用・僧侶読経のお布施額が明瞭となり、葬儀経費の節減につながると思います。

葬儀で「お坊さんが必要」な方

昔から、葬儀には、お坊さんが必要(仏式葬儀)です。
葬儀となった場合、お寺では無くお坊さんに連絡が必要です。
葬儀のサポート「良心のお葬式」に、ご相談・ご連絡下さい。
「良心のお葬式」には、元警察官・現僧侶が顧問として在籍し、無料で相談を受け付けています。

葬儀でお坊さんに連絡

近年は、お寺に行かれる方は殆ど無いと思います。
今は、地域のお寺だからと、「護寺費」を払うのはおかしいかもしれません。

檀家離れ

神戸市にあっても、「檀家離れ」が進み、お寺との付き合いが無い方が多くなっていると思います。
お葬式などの時、どうしよう?とお思いでしょうが、大丈夫です。
「良心のお葬式」に、ご連絡・ご相談下さい。

檀家制度は、江戸時代の悪しき慣習

葬儀など、直接お坊さんに依頼

お寺との付き合いが無くても、葬儀などで困ることはありません。
お葬式イコールお寺では無いのです。
仏式葬儀を行うに際して、今までは「お寺」に依頼していたように見えますが、実質は「お坊さんに依頼」していたのです。
そして、葬儀には元々「お坊さんのお経」は付いておりません
だから、お坊さんに直接依頼すればいいのです。

私達は昔から、お経をあげての葬儀

昔からお葬式は、お坊さんがお経をあげて執り行っています。(お坊さんの読経)
お経とは、お釈迦様の大切な教えがまとめられている文書(聖典)のことです。
「読経」とは、お経を声に出して読むことです。
お経に記されている内容を覚えるため、もしくは人に教えを説くための行為です。
通夜や葬儀のときに亡くなった人の仏前で読経しますが、これは参列している親族や近しい人に説法するという意味もあります。

亡くなった時

枕経(まくらぎょう)
枕経とは、亡くなって何をおいても、直ぐにあげるお経なのです。
勿論、葬儀社に依頼する前にあげるお経です。
枕経は本来、亡くなろうとする者が、死の間際に、お釈迦さまに対して「ありがとうございました。娑婆では大変お世話になりました。」と、あげるお経なのです。
臨終を迎えようとする者があげるお経ですので「臨終勤行」とも言います。
死を迎えようとする者が、中々自分ではお経をあげにくいため、僧侶がその者に代わって、その者の枕元でお経をあげるのです。
故に、枕経と言います。

葬儀は、葬儀相談からが始まり

元警察官・現僧侶が相談対応

私達は一生のうち葬儀(お葬式)を経験することは殆どありません。
身内のものが亡くなった時、「葬儀、どうすれば?」「葬儀社は何処に依頼しようか?」「お坊さんは何処に依頼しようか?」と困ってしまいます。
そして直ぐに、葬儀社に連絡してしまいがちですが、葬儀社依頼前に必ず、事前相談を行うほうが「葬儀費用の減額」など安心して葬儀に取り組むことが出来ると思います。
「良心のお葬式」は、元警察官・現僧侶が無料相談に対応しております。
お葬式のサポート(アドバイス)を行うお葬式・法事市民センター「良心のお葬式」に在籍する顧問の僧侶は、元兵庫県警察官です。

神戸市での葬儀

神戸市の葬儀取り組み

神戸市は、垂水区須磨区長田区兵庫区中央区灘区東灘区北区西区の9区から構成されています。
神戸市には規格葬儀があります。
神戸市の葬儀広報⇒神戸市:規格葬儀
火葬場は4か所ありますが、併設された葬儀式場はありません。
神戸市からのお坊さんの紹介はありません。
独自でお坊さんを探さなければなりません。
神戸市の葬儀関係
神戸市内に於いて、葬儀に関する諸事案を処理するにあたって、葬儀関係の葬儀・火葬・墓参りとしての問い合わせは、
神戸市保健福祉局斎園管理課墓園管理センター
〒652-0071神戸市北区山田町下谷上字中一里山12-1
に直接問い合わせる方がスムーズに事が運ぶと思います。
神戸市の規格葬儀の取組
神戸市には、市営葬儀はありませんが、葬儀の取組として、「規格葬儀」を行っています。
規格葬儀とは、 市民の皆様が経済的に安心な料金でご利用いただける葬儀のことで、これは神戸市が直営で行うものではなく、市が指定した永年の経験と独立の店舗を有する葬儀取扱い店の協力によって行い、 対象は神戸市民のみとなっています。
規格葬儀の問い合わせは
〒650-8570神戸市中央区加納町6-5-1
神戸市役所1号館6階
葬儀と火葬
葬儀とは、死者を弔う宗教的な儀式のことをいいますが、法律的に、遺体は24時間火葬に付すことはできません。
どのような葬儀方法を行うにあたっても、24時間いずれかにご遺体を安置しておかなければならないのです。
神戸の斎場(火葬場)は、神戸市内に4か所あります。
斎場の問い合わせは
〒651-1102神戸市北区山田町下谷上字中一里山14-1
火葬場(斎場)の所在地など
(1)鵯越斎場
所在地:神戸市北区山田町下谷上字中一里山14-1
アクセス JR三宮駅から市バスで約20分
(2)甲南斎場
所在地:神戸市東灘区本山町田中字南小路423
アクセス JR住吉駅から車で約10分
(3)西神斎場
所在地:神戸市西区神出町南字美濃谷600
アクセス 市営地下鉄西神駅から車で約15分
(4)有馬斎場
所在地:神戸市北区有馬町字京口山1814
有馬斎場は鵯越斎場で受け付け
アクセス 神戸電鉄有馬温泉駅から車で約7分
神戸市は、墓園の管理なども行っています。
墓園についての問い合わせは
〒652-0071神戸市北区山田町下谷上字中一里山12-1
葬儀となった場合、色々な手続きもあると思いますので、必ず市に問い合わせしましょう。

神戸市規格葬儀に、お布施は含まれていません(別依頼)

神戸市は、市民の福利を願って、規格葬儀を設けています。
しかしながら、この規格葬儀には「お坊さんの読経」は含まれておりません。
規格葬儀の費用は、祭壇、棺桶など葬儀に必要な備品の費用なのです。
ですから、葬儀費用と言えば、お布施と飲食費・バスのチャアター費など実費は含まれていないのです。
このことを熟知しておかなければ、自分が思っていた以上の葬儀の総費用となってしまいます。

生活保護を受けている方などのお葬式(福祉葬)

生活保護を受けている世帯の一員が亡くなり、葬儀費用を出すことが出来ない場合は、自治体(市町村)から葬祭費用の扶助があります。
神戸市に於いても約23万円の扶助があります
(福祉葬という)
この福祉葬に於いても、僧侶のお経は付いておりませんので、僧侶に別個の依頼が必要です。

神戸市の面積・人口など

面積 557.02㎢ 総人口  1,513,611人 人口密度 2,717㎢

神戸の歴史

原始・古代
神戸では市内各所から旧石器時代の石器が出土しています。 しかし、いつごろから人々が住みは じめたのか、またその当時の生活の様子などはよく分かっていません。
原始・古代の遺産として代表的なものには、神戸市立博物館に展示されている国宝の銅鐸・銅戈(どうたく・どうか)と 神戸市垂水区には築造当時の姿に復元された五色塚(ごしきづか)古墳があります。
中世
現在の神戸市域は摂津・播磨の両国にまたがり、当時の首都・京都と瀬戸内海方面を結ぶ海上交 通の要衝でした。
平安末期、そこに着目した平清盛は、神戸の港「大輪田の泊(おおわだのとまり)」を改修し、中国(当時の「宋」)と貿易を行いました。
又、京都から神戸の福原に都が移された こともあります。
さらに神戸は軍事上の拠点ともなり、南北朝時代には楠正成(くすのきまさしげ)が 北朝軍に敗れた「湊川の戦い(1336年)」の地としても知られています。
近世
古代から港町として発展してきた神戸は、天下の台所・大阪を控えて海上交通の要所であると共に、 西国街道沿いの宿駅でもありました。
豊臣秀吉は有馬温泉をこよなく愛し、何度も訪れたと伝えられています。
又、江戸時代には自然条件を活かした酒造りが発展し「灘の生一本」として全国に 知られました。
長い間鎖国政策をとっていた日本ですが、ペリーやハリスの来航により開国を迫られ、日米修好通 商条約(1858年)により1868年に神戸が開港されます。
開港後は、現在の北野地区に外国人居留地が設けられ、衣食住から娯楽や文化などあらゆる面で欧米の生活様式が持ち込まれ、神戸はいち早く文明開化の洗礼を受けて国際貿易都市として発展します。
神戸市の誕生
明治元年(1868年)に兵庫県が設置され、1871年の廃藩置県の後、1889年に人口13万5000 人の神戸市が誕生します。
その後も順調に発展を続け、1931年に「区」制が開始された8年後の1939年には人口100万人を突破しました。
1971年に「第1回神戸まつり」を開催、ポートアイランド神戸ハーバーランド1981年には海上都市・ ポートアイランドが誕生して「ポートピア’81」を開催、1992年の「神戸ハーバーランド」誕生など、 輝かしい歴史を積み重ねます。
兵庫県南部地震
1995年(平成7年)1月17日午前5時46分、マグニチュード7.2の直下型地震が神戸付近を襲いました。
一瞬にして多くの尊い命を奪い、神戸の街を破壊しました「阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)」。
10年以上の歳月を経た今では見事に復興を成し遂げましたが、神戸では震災の記憶を風化させることなく、震災から得た貴重な教訓を未来に伝えるために、さまざまなモニュメントや施設・催しなどが新たに生まれています。

神戸港の歴史

神戸港は、「務古水門」「大輪田の泊」と呼ばれていた古くから中国大陸や朝鮮半島の港と交流していました。
また、平安時代(794年から1192年)には、「経ヶ島」の築造(1174年)を行うなど、国際貿易の拠点として発展してきました。
室町時代(1336年から1573年)、江戸時代(1603年から1868年)には、「兵庫の津」と呼ばれ、鎖国政策下の江戸時代には、国内交通の要衝として、重要な役割を果たしました。
そして、慶応3年(1868年)の開港後は、人・物・情報が行き交う拠点として、また、国際貿易港として常に最新の設備を整備し、世界を代表する港に発展しました。
平成7年(1995年)1月の阪神・淡路大震災により大きな被害を受けましたが、わずか2年間で施設復旧を完了した。
平成18年には神戸空港が開港し、神戸は海・空・陸の総合交通体系が確立され、人・物・情報の交流拠点づくりを進めています。

神戸・旧居留地の歴史 

1.開国と居留地のはじまり
日本の歴史は、江戸時代の終わりごろ、大きく変わりました。
日本は、1858年に、諸外国と修好通商条約を締結しました。日本は、長年続いた鎖国政策を終わらせました。
そして、日本は、横浜・長崎・函館・新潟・神戸の5つの港を外国に開きました。神戸外国人居留地の歴史は、この時から始まりました。
初代駐日英国公使は、長崎から帰る途中に、視察のために神戸に上陸しました。
彼は、日本の役人に伝えています。この一帯は、外国人居留地として好適である。
しかし、当時の政情は、不安定でした。
神戸は、横浜より約9年遅れ、1868年1月1日に開港することになりました。
神戸外国人居留地は、当時の兵庫の市街地から、3.5km東に離れた所に、建設されました。
その理由は、日本人と外国人との紛争を避けるためでした。そこは、当時、砂地と畑地であった神戸村でした。
2.居留地の建設
神戸港の開港とともに、居留地が建設されました。居留地は、外国人が住み、働く場所です。
しかし、「神戸港の開港」には間に合いませんでした。1868年9月に、一部の土地が競売されました。
ヨーロッパの近代都市計画技術を使い、イギリス人土木技師は、居留地を設計しました。
格子状街路、街路樹、公園、街灯、下水道などが建設されました。
敷地は、整然と、126区画に分割されました。この形状は、現在も変わっていません。
土地の永代借地権を取得した後、外国人たちは、すぐに商館の建設を始めました。最初に竣工したのはの倉庫(10番地)です。
その後、居留地の土地は、1869年、1870年、1873年に次々に競売されました。
126区画の土地は、4回の競売により、すべて売却されました。居留地は、数年をかけて完成しました。
当時の英字新聞は、「東洋における居留地として最も良く設計された美しい街である」と、神戸居留地を高く評価しました。
15番館は、明治初期の外国商館の姿を、現在に残しています。
この建物は、1989年に国の重要文化財に指定され、その後、その建物は、1995年の阪神・淡路大震災で倒壊しました。
現在は復元されています。
3.居留地の運営
当時の神戸外国人居留地は、東西に約500m、南北に約500mの狭い地域でした。東は、現在のフラワーロード、西は鯉川、北は旧西国街道、南は海岸線でした。
「居留地会議」という組織が、居留地を運営しました。
「居留地会議」の常任委員会(行事局)は、各国領事、兵庫県知事、登録外国人から選ばれた3名以内のメンバー、でした。
道路、下水、街灯などを、「居留地会議」は建設し、管理しました。
居留地運営の財源は、土地の借地権の競売から得られた収入と、毎年の土地税金(地租)でした。
その他、「居留地会議」は、警察税を徴収しました。
「居留地会議」は、警察隊を組織しました。
その警察は、居留地内の犯罪を取り締まりました。その警察は、捕らえた犯罪者を、各国の領事に引き渡しました。各国の領事は、犯罪者を裁きました。
当時の神戸外国人居留地の特徴の一つは、この優秀な自治組織でした。
「居留地会議」は、居留地返還までの長い間、自治行政権をうまく使いました。
その一つの理由は、この地域の人口が少なかったことです。また、「居留地会議」は、諸外国人の意見を反映しやすく、利害を調整しました。
4.居留地が返還された・その後の繁栄
1894年の条約(日英通商航海条約)により、居留地返還が決まりました。
1899年7月17日午前10時、居留地返還の式典が実施されました。
諸外国は、居留地の権利と現金を含む財産を、日本政府に返還しました。
神戸市は、東遊園地、墓地、消防用具、ガス燈などを、管理しました。海岸通、播磨町などの新しい地名が、つけられました。
当日の式典の中で、フランス領事は、「居留地の歴史はそのまま神戸の歴史を述べることになるでしょう。神戸の歴史を語らなければ、居留地の歴史も語れません。」と。
返還以後、大正時代と昭和初期、旧居留地には多くの日本人が入り込むようになり、ビジネスの中心地として発展を続けました。
特に、1914年に始まった第一次世界大戦では、世界的な船舶不足を背景に造船ラッシュとなり、港神戸は好景気にわき上がりました。
さらに、1923年の関東大震災で横浜港が壊滅的な打撃を受けました。
横浜の輸出入産品、例えば生糸が、神戸へ運ばれました。神戸は、ますます発展しました。
しかし居留地そのものは、戦争の打撃によって外国商館が衰退しました。
日本の海運会社や商社、銀行などは、旧居留地に新たに進出しました。いわゆる近代洋風建築のオフィスビルが、次々と建てられました。
5.第二次世界大戦と戦後
第二次世界大戦が始まると、神戸在留の外国人たちの活動は大きく後退しました。外国人の多くは、祖国へ追われました。
さらに、1945年6月5日の神戸大空襲は、神戸の港や市街地を壊滅しました。旧居留地の建物は、126区画のうち約70%のが破壊されました。
戦後、戦災復興事業などが開始されましたが、当時の社会情勢の中、旧居留地の復興は、遅れました。
1950年の朝鮮戦争によって日本の経済が活発化し、そして、旧居留地内に、新しいビルが建ちました。
1960年代になり、日本は高度経済成長時代へ突入しました。神戸は、繁栄するようになりました。
しかし、東京への本社機能の流出傾向が強まりました。旧居留地の地位は、相対的に下がりました。ビルの空室が、増えました。
しかし1980年頃から、旧居留地内に残されていた近代洋風建築物と歴史的景観が見直され、これらを活用して、ブティックやカフェ、レストランが進出しました。
}オフィスも、再び増加しはじめました。1983年、旧居留地は、神戸市都市景観条例に基づく「都市景観形成地域」に指定されました。
この頃から、旧居留地は、以前とは異なる趣が見られるようになりました。
6.「国際地区共助会」と「旧居留地連絡協議会」
第二次世界大戦中、旧居留地ビルオーナーは、空襲に備えて、自警団を形成していました。そして、彼らは、戦後、「国際地区共助会」を組織しました。
当初の会員は約30社で、会員の親睦と福祉を目的に活動していました。当時を知る人が言うには、月に1回、地区内のホテルに昼食時に集まって、カレーを、仲間と一緒に食べるのが楽しかった、と。
1983年、当地区は、神戸市都市景観条例の「都市景観形成地域」に指定されました。
この機会に、「国際地区共助会」は、会員の増やし、運営体制を強化し、名称も変更しました。(旧居留地連絡協議会)。
この組織の目的は、異なる業種でも親睦を図り、地区の環境を向上することです。
会員それぞれのビジネス振興を目的にするものではありません。
この組織の活動に、会員のビジネスを持ち込まないことにしています。
会員は、現在に至るまで一貫して、この基本方針を確認しています。
地区内で事業をする法人であることが、会員資格です。
このため、「企業市民」による地域コミュニティが形成されました。これは、日本では稀なことだと思います。
7.阪神・淡路大震災と復興
1995年1月17日未明、阪神・淡路大震災が発生しました。
旧居留地内にあった106のビルは、大小さまざまな被害を受け、うち22棟は解体を余儀なくされました。
この中には、「15番館」も含まれていました。
「15番館」は、居留地時代の唯一の建物であり(1880年ごろ完成)、国指定重要文化財です。
「15番館」は、その後、免震構造で、復元されました。「海岸ビル」(1918年完成)、大興ビル(1919完成)、明海ビル(1921年完成)も解体されました。
この3棟は、20世紀初期の近代洋風建築物でした。
その後、旧居留地では、周辺地域に比べ、再建は早く進みました。
震災から8年が経過した2002年には、9割(20敷地)で再建が完了しました。
さらに、震災とは直接関係のない、新しい大規模なビルやマンションがいくつも建設されました。
その結果、地区内の建物の床面積は、震災前と比較してかなり増加しています。
そして、飲食店やブティックなどの商業施設は、1階に、2階に、増えました。
この地区の本来の機能(ビジネス機能)に加え、商業施設は一層の魅力を付加しています。
また、歩道の拡幅、ベンチの設置など、歩行者を重視する整備が進められました。これらが、街のにぎわいを促進しています。
震災からの復興にあたって、近代洋風建築によって形作られていたかつての街並みの良さを継承することにしました、その後、安全・安心やユニバーサルデザインなどの視点も加えました。
その結果、以前よりも、にぎわい、風格のある街が、形成されています。

「良心のお葬式」活動状況

「良心のお葬式」は、葬儀相談・葬儀の読経受理を活動目的として、神戸をはじめ
・西宮・尼崎・伊丹
を基軸として
・姫路・芦屋・宝塚・三田・川西・摂津・茨木・豊中・吹田
・枚方・高槻・大阪・池田・箕面・寝屋川・堺・京都・東大阪・明石・加古川・たつの・太子町・長岡京市など
の地域に於いて活動しております。