良い葬儀(お葬式)

いい葬儀が、残された遺族を幸せに!!

故人を偲ぶことが幸せに
私達は普段「死」というものを考えずに生きています。
そのことが悪いのではありません。
かえって、普段は「死」など考えなくて当たり前なのかもしれません。
私達が「死」を考えるのは、身近な人が亡くなった時に初めて「死」というものを考えると思います。
そして、故人の思い出や残された遺族のことなどを考えます。ここで初めて自分宅のことも考えると思います。
只、葬儀(お葬式)のことまでは考えないかもしれません。身近な人が亡くなって初めて、故人の思い出・故人との関り(繋がり)を考えると思います。
「死とは」「人間とは」を、この時深く考えるのではないでしょうか。
私達は突然にこの世に現れたのではありません。
ご先祖・両親があって初めてこの世に「生」を受けたのです。
私達は脈々と受け継がれてきた「性」によって構成されていると思います。
その受け継がれてきた「性」を大切に思い、今後も良き「性」を受け継いでいくことが残された者の努めではないでしょうか。
私達は、突然の「幸せ」「不幸」ということはあり得ないのです。
脈々と受け継がれたことを大切に思い、常に善行を積むことによって、良き性が積み重ねられ、幸せということを享受できるのではないでしょうか。
故人を偲び、ご先祖を大切に思うことによって「幸せという二文字」を知った私たちは初めて、個々人の望む最高の「幸せ」が訪れるものと思います。
幸せは、お金では買えない
お金では買えない、「故人を偲ぶこと」が、私たちを幸せにしてくれるのではないでしょうか。
葬儀は、親族や知人が故人の冥福を祈り、私たちの幸せを願って、死者を葬る儀式のことをいうと思います。
この葬儀の儀式は、仏教が伝わったころには行われていたようです。
仏教とは、人がいかに生きるべきか(人の幸せを願う)を問うことだと思います。
この私たちの願う「幸せ」の儀式を疎かにするということは幸せを望んでいながらも、目先のことにとらわれて「幸せを置き去っていることではないでしょうか。
お金をかけなくても、故人を偲ぶという古来からの「葬儀」を大切に思うことこそが、私たちの願う幸せに繋がると思います。
最近では、この儀式を省いた直葬という葬儀が増えてきました。
直葬であっても「故人を偲んでいる」のであればいいのですが、そうではない「只、1つの物体」として考えているのであれば人としていかがなものでしょう。
私達は、宇宙から1人りでこの世に生まれてきたのではありません。
父母・祖父母・ご先祖あっての自分なのです。
自分自身に歴史があるように、亡くなられた方にもそれぞれの歴史があります。
自分自身の生きた歴史を大事にするということは、父母・祖父母の生きてきた歴史を大切にするということにも繋がると思います。
自分が存在するのは、父母・祖父母などご先祖がいたからなのです。
そのことを考え、自分宅にあった心のこもった、故人を偲ぶ葬儀(お葬式)を行えばと思います。
葬儀(お葬式)とは、故人を偲んで残された遺族を幸せにするということではないでしょうか。

葬儀(お葬式)の行い方・多種多様

故人を偲ぶ葬儀を!!

一昔前の葬儀は、親戚縁者・近隣の者・友人・知人がこぞって葬儀に参列していました。
時間をかけての葬儀(お葬式)でした。
故人が亡くなった場合、通夜、告別式、初七日・二七日等、時間をかけて故人を偲んでいました。
近年では、時間をかけず短縮した葬儀(お葬式)が重宝されております。
勿論、時間をかけての葬儀がいいわけではありません。
只、時間をかけるということは亡くなった方を偲び、故人を大切に思っているということ繋がると思います。
日本は高齢化社会ということで葬儀業界が一大産業となっています。
そのことから、各企業が集客・収益を考えて色々な葬儀方法を打ち出してきております。
私達はそのことに振り回されるのではなく、「故人を偲ぶには」を一番に考えて、葬儀を執り行えば最高の葬儀式となるのではないでしょうか。
現在の葬儀で一昔前と違っているのは、「直葬」という葬儀形態が出てきているということです。
そして、この「直葬」が年々増加傾向にあるということです。
もう一つは「1日葬」というお通夜の無い葬儀形態が行われるようになり増加傾向にあります。
逆に古来から執り行われてきた通夜のある一般葬が減少傾向にあります。
現代は核家族化・親戚縁者との疎遠化・近隣との疎遠化などによって、人としての繋がりが失われつつあります。
そのことによって葬儀の短縮・故人を偲ぶという気持ちが薄れつつあるかもしれません。
質素で心のこもった葬儀
私達は残された遺族として幸せを望むならば、質素であっても心のこもった、葬儀(お葬式)を執り行うことが大事なのではないでしょうか。
前述したように現在、主に葬儀方法(葬儀形)は3方法に区分されると思います。
その1つが直葬です。
この葬儀形態は、葬儀式などなく24時間遺体を安置した後、火葬に付す方法です。
この直葬で火葬に付す直前に僧侶の読経を行うのが「釜前葬」と言われるものです。
もう1つが1日葬です。
この葬儀形態は、お通夜が無く1日のみで葬儀式を行う葬儀形態です。
そしてもう1つが、今まで通りのお通夜がある一般葬です。
主だった葬儀形態は、この3つに区分されると思います。
3方法のうち、どの葬儀方法(葬儀形態)を選ぶか?
それは、自分宅の家の事情、例えば、
◎ 付き合いが広いので、多くの人に参列して欲しい
◎ 葬儀はこじんまりと身内だけで行いたい
◎ あまり葬儀に費用をかけたくない
などの事情に照らして、故人を最も偲ぶことが出来る葬儀方法(葬儀形態)を決めればいいのです。

告別式(葬儀)内容の変遷

前述のように葬儀形態が変わつてきております。
それに伴って告別式内容も変わってきております。
今まで初七日法要は、火葬に付した骨上げ後に行われていましたが、最近では、告別式のお経の後に引き続いて初七日法要を行うようになってきました。
この初七日法要の行い方を「式中初七日法要」といっております。

葬儀式後の式中初七日法要

「式中初七日」とは、告別式のお経の即あとに引き続いて初七日法要(初七日のお経)が行われることです。
  従来の七日後の初七日法要や骨上げ後の繰り上げ初七日法要よりも、さらに時間的に短縮した初七日法要となっています。
当然、1時間の葬儀ですから、この式中初七日法要の僧侶読経は短いものとなっています。

葬儀・お寺とのお付き合いのない方

檀家・門徒制度の崩壊

日本は古来よりお葬式となった場合、必ずお坊さん(僧侶)に連絡し、お経をあげてもらっていました。
一昔前は檀家・門徒制度も強固なもので、必ず枕経をあげていました。
現代は、宗教離れ・仏教離れから檀家・門徒制度が崩れ、都会では、枕経どころか、大半の方がお寺とのお付き合いが無いのが現実となってきております。

良き僧侶に巡り合うことが大事

ですから、いざお葬式となった場合、
「葬儀でお経をあげてもらいたい」と思っても、どこに依頼すればよいのか分からず、ほとほと困ってしまいます。
私達は生きている限り、又生きていくためにも仏教は必要不可欠だと思います。
「お寺離れ」「檀家・門徒離れ」となっても、仏教を信じていればいいのです。
下記の檀家制度の成り立ちを見てもわかるように、この檀家・門徒制度は、江戸時代に徳川幕府が我々庶民を管理するために作ったものなのです。
いつまでもその制度に縛られることはありません。
只々、仏教を信じ、お寺に依存するのではなく、良き僧侶を求めて行動すればいいと思います。
勿論、お寺という建物を見た際、心がすがすがしく、清らかな気持ちになります。
だから、お寺という建物は大切にしなければならないものです。
仏教を信じ、僧侶と共に生きることは非常に大切な事であり、家・家系の繁栄を願って、あるべき姿だと思います。
その為にも、葬儀(お葬式)・法事に於いて、良き僧侶と出会うということは大切なことだと思います。

 檀家制度の成り立ち

檀家制度の成り立ちは、江戸時代の城江戸幕府の政策にさかのぼります。
江戸幕府は1613年に全国を対象としてキリスト教の禁止令を発布しました。
それとともに幕府は全国民を仏教諸宗のいずれかに所属させる政策を取ったのです。
そして幕府は寺院に庶民がキリシタンでないことを証明する役割を命じました。 武士2このため庶民は、キリシタンでないという証明を必要としたため「旦那寺」に絶対的に服従せざるを得なかったのです。
これが「檀家制度」の始まりであり、「旦那寺」が菩提寺なのです。

葬儀と僧侶

○ お寺とのお付き合いのない方
○ お寺とお付き合いをしたくない方
○ 葬儀でお経を上げて欲しい方

近年、「仏教離れ・檀家・門徒離れ」から、お葬式・法事となった場合、「どこに依頼しよう?」「どうすればいいのか?」と、悩んでしまうのが現実です。
お寺・僧侶との関係に於いて、今まで通りと思って行動しても今の時代は、なかなか自分の思ったようにはなりません。
「仏教離れ・檀家・門徒離れ」という時の流れがあるからです。
手間をかけず、「今まで通り」では、決して良い結果は出ないと思います。
「良心のお葬式」は、「檀家・門徒離れ」からくる
・仏教に於いての分からないこと
・あまり経験しない不慣れな葬儀
に関してサポート(アドバイス)を行う組織です。
同センターには、元警察官・現僧侶が顧問として在籍していますので安心してご相談下さい。