葬儀・お坊さんを呼ぶ!!

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葬儀前の準備など

日常、私たちはなかなか気づかないですが、死死亡 とは常に隣り合わせで生きているのが現実です。  古来から現代まで、宗教・仏教が脈々と受け継がれてきているのはそのためではないでしょうか。

私たちは、一家に1つのお仏壇、そして生前に法名(戒名)授与を受けているのが最大の生き方ではないでしょうか。又、私たちは老い支度(終活)としての相続分与・万が一のための生命保険等の加入‥など生前に行っておく事も大切なことだと思います。

法名(戒名)僧侶7

法名とは、仏教に帰依して仏弟子になった人に授けられる仏法上の名前です。 つまり、法名(戒名)とは、仏弟子としての名前です。
お葬式にあたって、法名(戒名)をお付けにならなかった場合にお付けします。 浄土真宗では法名と言い、その他の宗派では戒名と呼んでいます。本来は生きている間に授かるべき性質のものです

お葬式は、僧侶のお経で!!

日本は、古来より仏教国です。ですから、お葬式には、僧侶を頼んでお経をあげてもらいましょう。
「僧侶のお経」の申込は、葬儀費用が明瞭となるように葬儀とは別依頼で申し込みましょう。

元警察官の僧侶に、「葬儀」や「僧侶のお経」について相談!! 

 

       元警察官の僧侶への相談

〇 葬儀費用からの葬儀社の選び方  〇 見映えのする式場にはどれ位の費用?  〇 参列人員での葬儀社の選び方  〇  宗派についての相談  〇 その他、葬儀・仏事に関すること

             「良心のお葬式」へ

 

    葬儀と読経(お経)は、別々に依頼しましょう

        お布施が安くなります!!
           

〇最初に、枕経(まくらぎょう)を依頼
〇 葬儀社を何処にするか、決めかねている方

〇 葬儀の時、お寺・僧侶を何処に依頼すればよいか、
  分からない方
  【相談と受理】
僧侶・司法書士などのグループ

  元警察官の僧侶が顧問の
  「良心のお葬式」

葬儀の際のお経

仏式葬儀では、お経が必要です!!

◎ 葬儀の時のお経
葬儀には、僧侶のお経は欠かせません
葬儀に於いて、お経は欠かせないものです。現代は、宗教離れ・仏経離れから音楽葬などのお葬式も出てまいりました。ですが、日本は古来より仏経国であり、代々受け継がれてきた「故人を偲ぶ」という気持ちを大切にしなければなりません。
故人をお経で送ってあげることは、故人の遺徳をしのび、残された者の幸せを叶えるものなのです。

檀家・門徒制度の崩壊
現代は、宗教離れ・仏教離れから檀家・門徒制度が崩れ、都会では、大半の方がお寺とのお付き合いが無いのが現実です。ですから、いざお葬式となった場合、
「葬儀でお経をあげてもらいたい」と思っても、どこに依頼すればよいのか分からず、ほとほと困ってしまいます。
「依頼は何処に!!」と、困っておられる方は、

               ⟱

元警察官の僧侶がサポートを行う
  「良心のお葬式」へ

を利用して、安心・低料金、低価格の葬儀の依頼・実施、又適正価格のお布施での読経(お経)の依頼を行いましょう。

◎ 無料相談の利用
正しい情報の入手
普段からお寺とのお付き合いが無く、急にお葬式となった場合、「どこに依頼すれば?」と困ってしまいます。1つの解決方法としては、現代はパソコンなどメディアの発達によって簡単に情報を入手できますので、スマートホンなどで色々な情報を入手することです。
只、気を付けなければならないのは、情報量が多すぎて混乱してしまうことと、間違った情報を入手することです。かえって、昔のほうが情報量の伝達数は少ないが、情報の正確さはあったと思います。
現代に生きている私たちは、情報を鵜吞みするのではなく、自分の知りたいことについて2~3か所は当たって正確な情報を得ることが大切だと思います。

葬儀時のお経(おきょう)

私たちは、身内が亡くなった際、一昔前はお寺に身内が亡くなった旨、届け出(報告)し枕経(まくらきょう)をあげてもらっていました。

現代は、宗教離れ、仏教離れなどから殆ど枕経(まくらきょう)をあげることがなくなりました。そして最近では、通夜のない葬儀や葬儀を行わない直葬が増えて生きております。

ですが、私たちは古来よりご先祖を崇拝し、仏教を信じ守ってきました。このことが私たちを、仏の教えである「共に生きていく」という人間を育ててきたと思います。

世の中がいかに変わろうと、私たちは人間として生きていかなければならないのです。そのためにはやはり、仏教の真髄であるお経を心のよりどころとして、人が亡くなった際には「お経」で故人を送ってあげることが必要ではないでしょうか。

葬儀と僧侶の関係
私達は昔から葬儀を執り行うにあたって、常に僧侶の読経(お経)を中心として葬式の進行を行ってきました。
昔の人たちは、

   葬儀  pixta_13457092_S        僧侶(僧侶のお経)

             葬儀         +   僧侶(僧侶のお経)

 

という考えで葬儀を執り行ってきました。ですから、葬儀の全ての参列者が焼香をしている間は、「お経をあげていてほしい」という考えの方もおられます。

勿論、最近では、音楽葬でお葬式を執り行われる方もおられますが、式に参列した人の中には「何か物足りない」と言われる方もおられます。このように、葬儀と僧侶(僧侶読経)は切り離せない関係なのです。

元警察官で僧侶の「良心のお葬式」顧問http://sougi-souryo.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/07/473d654e5a7bd30e3debcc3eb5e2a828.png

葬儀前・枕経(まくらきょう)        

枕経の意義
枕経とは  人生の終わりに臨んで、ご本尊 に対するお礼の勤行です。
枕経は人が亡くなった際、仏さまに対し「お世話になりました。今後とも残された者をお守り下さい。」と、出来るだけ早くお経をあげさせて頂くのです。
人生を終えようとする本人がお勤めするものですが、いつ寿命が尽きるかはわかりませんので、仮に生きておられるものとしてお勤めさせて頂くのです。ですから、お経の中でも枕経は非常に大切なお経なのです。

人が亡くなれば、何をおいても枕経(まくらぎょう)
私達は身内が亡くなれば、最近では最初に葬儀社に連絡します。そして、葬儀社に言われるままに事を運んでしまいます。依頼を受けた葬儀社は「枕経(まくらぎょう)をあげましたか」と最初に言う葬儀社(担当者)は殆どいないと思います。
宗教離れ・仏教離れから「枕経を」と思う人は少なくなってきておりますし、葬儀社自体も「まずは、枕経を」と言いわなくなってきています。ですが、「人が亡くなれば何をおいても枕経」なのです。

枕経は亡くなれれてから、できるだけ早く!!(葬儀社依頼前に枕経を!!)
ですから、亡くなられてからなるべく早く僧侶に来て頂き枕経をあげることが大事です。
僧侶が、本人に代わって枕元に座ってお勤めしたことから枕経と言われるのです。 遺体に対して読経するものではありません。 浄土真宗では臨終勤行と言います。 最近では宗教離れ、仏教離れなどから

通夜と同じくして枕経をあげることが多くなっています。
しかし、枕経をあげますと「お顔が綺麗に」と言い伝えられています。 ですから、枕経は亡くなられた後、出来るだけ早く通夜経とは同じくせず、あげることが大切だと思います。
お葬式に際して、ご自宅或いは葬儀会館などの安置場所において、納棺までに枕経をあげることが、その方の最後の阿弥陀様に対するお礼として、仏式葬儀では非常に大切なことです。

枕経は、故人にとって一番大切なお経!!
枕経は故人にとって一番大切なお経です。それは故人さまが仏さまに対し
「久遠という、とてつもない昔より今日まで絶えることなく、お育て頂きましたおかげで、いよいよ娑婆の縁尽きて、阿弥陀如来さまのお浄土に往生させていただきます。今日までありがとうございました。」
と、死に臨んで本人があげるお経なのです。ですから、臨終勤行ともいわれる所以なのです。
しかし、私達はいつ寿命が尽きるか分かりませんので、仮に生きておられるものとして僧侶が故人の枕元に座ってお経をあげさせて頂くのです。

枕経お布施

   枕経(まくらぎょう)  

 亡くなられて出来るだけ早く、枕経をあげる(枕経をあげると「お顔が綺麗になる」と言われています)
    お布施 30,000円(枕経のみの場合、別途交通費5,000円お願いします)

今後の幸せのために、手抜きのない葬儀を!!
私達は宗教離れ・仏教離れしているからと言って、宗教的儀式を全て省いているという人は皆無だと思います。それはどの国においても人間は、儀式を重んじてきた歴史がありその歴史が受け継がれてきているのです。
「儀式」イコール「人間の幸せ」を求めているからです。故人を偲び、遺族の幸せを願うからこそ「枕経をあげる」といっても過言ではありません。

人が亡くなれば、最初の連絡は葬儀社ではなく僧侶に!!
最近では病院で亡くなる方が殆どのため、遺体搬送のことからどうしても最初に葬儀社に連絡してしまい、その遺体搬送を依頼した葬儀社にそのまま葬儀依頼をしてしまいます。
その葬儀社が良い葬儀社であればいいのですが、そうでなければ「葬儀社の都合」によって葬儀を運んでしまいます。遺族のことを真に考えて下さる葬儀社であれば「深夜など時間帯に関係なく」枕経を勧めるはずです。
葬儀社の良し悪しが分からない私達は、最初に葬儀社に連絡するべきではないと思います。私達、幸せを望む者にとっては枕経を出来るだけ早く上げてくれる僧侶或いはお寺に連絡すべきなのです。

「枕経」を省力してはならない
現代は、多種多様の職種、裕福さを求めての共働きなどからから、昔のように全ての身内、友人・知人が揃うことは殆ど無くなりました。
そのような社会情勢から「目に見えない事」は、どうしてもおろそかにされたり、省略化されているいるような社会となっているような気がします。
しかし、反面では私達は幸せを望んでいるのです。人によれば幸せのために「共働きをして稼いでいる」と言われると思います。ですがどうでしょうか?手抜きをしたことは、完成されたものではなく又心がこもっていないものとなっているのではないでしょうか。
「枕経」は仏さまに対する「お世話になりました。ありがとうございました。残されたものを見守って下さい」という思いのお経なのです。
ですから、簡略化した葬儀を行う事なうことなく、一昔のように「亡くなって出来るだけ早く枕経をあげる」という一つ一つの事柄を大切にした葬儀・葬儀式を行って頂ければと思います。

葬儀の時のお経

葬儀と通夜
私達
は、故人の死を厳粛に受け止め、故人を偲んで通夜を執り行い、お経をあげさせて頂きます。
葬儀と葬儀式
葬儀式には、親族、親戚縁者、故人のお世話になった方、故人と何等かの形で関わった方などと伴に、お経をあげて故人を偲びます。
これらのことが、葬儀時の仏事としての読経なのです。

葬儀時のお経の大切さ

私たちは古来より、仏教を信じ守って来ました。そして故人の死を厳粛に受け止め、偲ぶ形として葬儀・葬式という形が作られてきました。
現代は、目に見えるもの、裕福なことが幸せ、という観念で生きてきているように思います。ですが目には見えななくとも、自分があるのはご先祖のおかげということを、認識すべきことによって幸せが訪れると思います。
どのような葬儀であっても、ご先祖が信心してきたお経での葬儀を執り行うことが大切だと思います。

 

「葬儀は葬儀社に、お経は僧侶に」の関係

葬儀社依頼と読経(お経)は別な組織であることを認識しましょう!!

現代は、殆どの方が病院で亡くなります。早くご遺体を病院から安置先へ移動させなくてはならないため、まず第一に葬儀社に連絡してしまいます。
しかし、一昔まではご自宅で亡くなる方が殆どでしたので、まず隣保の代表者に連絡し隣保の主だった人、身内で葬儀の段取りを決めたものです。
現代のように葬儀全てを第一報した葬儀社任せにしてはいなかったのです。

葬儀社依頼 と僧侶依頼 は 別々に依頼 すること!!

ですから「葬儀社はどこに依頼するか」「僧侶(読経)は依頼したか」と、よく熟慮して葬儀社依頼と僧侶の読経依頼を行ったものです。
そのことから葬儀費用の内訳、僧侶へのお布施など葬儀全般の葬儀費用の明細が明瞭だったのです。
現代は葬儀社に全てを任せているところがあり、葬儀費用の内訳がはっきりしないところがあります。
私たちは喪主などとして葬儀を経験することは殆どありません。ですから、ついつい安易な方に流れ葬儀後に悔やむことが多いのです。
現代は、メデァの発達によって色々な情報が直ぐに手に入ります。ですが反面、誤報も多いということを認識しておかなければなりません。

明瞭なお布施のために、葬儀依頼と僧侶依頼は、別々に依頼!!

最近では身内の者が亡くなった時、宗教離れ・仏教離れから、お寺に連絡することは殆ど無くなりました。
又、病院で亡くなられる方が殆どですので、ご遺体搬送のため第一報は葬儀社に連絡するのが普通の形となっております。
ですから、お寺への連絡或いは僧侶への読経依頼は、遺族からではなく葬儀社から入るような形となっております。ここに、お布施の不明瞭さが生まれてきます。
全てではないと思いますが、お礼をしなくてはという素地が出てくるのです。そこに、お布施の不明瞭さが出てくるのです。
このような不明瞭さを生み出さないためにも、葬儀社依頼と僧侶読経依頼は別々に依頼するのが得策なのです。

僧侶のお経は、無料相談などを受けてから依頼

次に、「どうすれば?」と困ってしまうのが僧侶依頼(僧侶読経)ではないでしょうか。
私たちは葬儀を執り行うにあたって一昔までは、身内が亡くなればまずお寺に連絡していました。
そして出来るだけ早く『枕 経』をあげてもらっていました。
最近は自宅で亡くなる方は殆どなく、病院で亡くなる方が殆どで、遺体の搬送という観点から直ぐにお寺に連絡するのではなく、最初に葬儀社に連絡するような形になっています。
又、現代は宗教離れ・仏教離れから殆どの方は、お寺と檀家としてのお付き合い(菩提寺としてのお付き合い)は無いようです。
そのようなことから葬儀となった場合、遺族の方からお寺・僧侶への直接の『読経依頼』は無い状態で、大半が葬儀社の方の紹介からとなっています。 ですがやはり、『読経依頼』は
直接僧侶に依頼する方が最良です。
葬儀の場合、葬儀社に「シンプルな葬儀をしたい」など自分の要望を伝え希望通りの葬儀が行えます。 それと同じで、『読経依頼』も、例えば「通夜は家族だけで過ごすので、読経はいらない」など直接、僧侶に伝えれば自分達の要望通りの僧侶読経を行ってもらえるのです。

葬儀時の僧侶依頼・僧侶紹介
葬儀と僧侶
葬儀とは、死者を弔う宗教的な儀式のことで宗教の発生によって、僧侶がお葬式において読経を行うようになってきました。
葬儀に僧侶のお経は必要!!
私達は古来より崇拝的精神から、人の死に対し葬儀という儀式を行ってきました。
その精神が付け継がれて、檀家・門徒制度が崩れつつも、現代にもその精神は受け継がれお葬式においては「僧侶の読経」によっての葬儀が行われております。

僧侶紹介・僧侶派遣

葬儀の時の僧侶依頼(僧侶紹介)
只、最近では宗教離れ・仏教離れから檀家制度が崩壊してきています。 ですから、いざ葬式となった場合、お坊さんのお経は「どこに依頼すれば?」と困惑してしまいます。
勿論、従来より檀家としてお寺とのお付き合いがある方は、そのお寺に依頼すればいいと思います。 問題なのは、お寺とのお付き合いの無い方です。

僧侶依頼と葬儀社依頼は別々に!!
葬儀と僧侶は切っても切れない関係ですが、『費用の透明性』を考えると、

◎ 葬儀社手配と僧侶読経手配は別々に!!

◎ 葬儀費用とお布施額が明瞭になる

◎ 即、依頼するのではなく、無料相談を利用し実態を知る

◎ 元警察官で現僧侶の「良心のお葬式」を活用し無料相談を行う

☆ 葬儀は葬儀社に!!
☆ 僧侶読経は  僧侶(お寺)に!!と、別依頼するのが最良の方法です。

無料相談

僧侶依頼はメデァが発達した現在、PCで多少の知識を得て『葬祭の無料相談』を利用するのが一番だと思います。
現代では「自分宅の宗派は何だったかな ?」と思う人が増えていますので「葬儀」「僧侶」のことについて、より以上の知識を得ることでかえっていいお葬式に繋がると思います。
現代はお葬式となった場合、宗教離れ・仏教離れをしていることと、殆どの方が病院で亡くなられることから、直接お寺・僧侶には読経依頼はしていないのが現実です。
葬儀となった場合、遺体を病院から自宅或いは葬儀式場に搬送することから、どうしても葬儀社に依頼してしまいます。
そして、その流れから葬儀社に仏式での僧侶読経を依頼してしまいます。そうなった場合、自分自身で依頼していないことからどのような僧侶が来られるか分かりません。
一旦、葬儀社から依頼してしまえば、葬儀準備進行のこともあり、お布施が高いと思っても断りにくいものです。
ですから、葬儀社依頼と僧侶依頼を別々に依頼しておけば、断ることも簡単ですし、お布施額も明瞭となり、その僧侶の人間性も分かってすっきりとした葬儀式になります。

僧侶手配の留意事項

1、葬儀社手配と僧侶手配は別々に依頼する事
僧侶を依頼する際、他の組織に依頼すると、斡旋料を取られることが大半です。僧侶に直接依頼すれば斡旋料の派生はありません。
2、僧侶に直接依頼する場合でも、法外なお布施を要求されることがあるので、お布施に対しある程度の知識を得ていることが必要。
3、依頼するにあたって、事前にお布施額を聞いておくこと。
4、葬儀に関して、無料相談を利用。

僧侶紹介

僧侶紹介とは、仏教離れ・宗教離れしている今日ですから殆どの方がお寺とのお付き合いがありません。
しかし、日本は古来より仏教国であり、大半の方がご先祖から受け継がれているお経をあげてのお葬式を望まれます。
しかしながら、普段からお寺・僧侶とのお付き合いが無いため突然の葬儀に戸惑ってしまうのが殆どです。
そのために「葬儀に於いてお経をあげます」「法事をお受けします」という僧侶紹介が生まれてきたのです。

僧侶資格の確認

 僧侶には、その宗派の資格が必ず必要です。― 僧侶紹介された場合は確認を!!

僧侶・司法書士などのグループ
元警察官の僧侶が顧問の           葬儀・読経の受理&葬儀・仏事関係などの無料サポート
「良心のお葬式」

檀家・門徒離れの現実

「僧侶資格を明らかにして頂く」 このことは非常に大切です。現代は宗教離れ、仏教離れしているのが現実です。ですから、年々、お寺が潰れているということを耳にすることがあると思います。

ひと昔までは、大半のお寺が門徒さんのお布施、護寺費という名目で生計を立てていました。現代は檀家・門徒離れが進み、生計の維持が出来なくなっているお寺が大半ではないでしょうか。

派遣僧侶

そのため、葬儀社からの依頼、派遣会社からの依頼によって葬儀、法事をお受けしていることが非常に増えています。つまり、派遣僧侶になっているのです。ですから、派遣僧侶が如何わしいわけではありません。

お寺は世襲制

お寺は世襲制ですので、お寺を持たない僧侶がいても当然なことなのです。お寺を持たない僧侶も持っている僧侶も資格さえあれば同等なのです。お寺だからと言って、資格があるとは限りません。

僧侶資格の確認が大切

前述の「身分を明らかにして頂く」 このことは、仕事(お勤め)を受けた僧侶が出向かず他の者に行かす。ということを耳にすることがあるからなのです。

この代わりの者が僧侶かどうか、僧侶風であっても僧侶資格、或いはその宗派の資格を持っているかどうか疑わしくなります。そのために、「身分を明らかにして頂く」この事が大切なのです。

身内の死に対し、葬儀社を探すのが精一杯!!

私達は、身内に重病者がいてもなかなか葬儀には備えません。
ですから、死は突然といっても過言ではありません。現在は核家族化が進み、昔のように隣保の長老などが葬儀を取り仕切ってくれることもありません。身内の死に臨み葬儀社を何処にするか、手配するのがやっとだと思います。

葬儀には、僧侶読経(お経)が必要!!

檀家離れ
葬儀の際の僧侶は、直ぐに見つかるものではありません。昔のようにお寺の檀家となっていれば、そのお寺に連絡すればいいのですが、現在では殆どの方がお寺から離れていると思います。

葬儀に、読経(お経)は必要!!
私達は葬儀に際しては、遠い昔から僧侶の読経(お経)で故人を送ってきました。そのことが、故人への供養と残されたものの幸せに結びついたからです。ですから、檀家離れが進んでいるとはいえ、僧侶の読経(お経)は葬儀では欠かせないものなのです。

読経受理

日本では仏教が伝わって以来、火葬が行われてきました。その伝統が、仏教離れの現代でも脈々と受け継がれてきております。
仏教離れや檀家離れから、葬儀の際の僧侶の読経(お経)は、何処に依頼すればという方が増えてきております。「良心のお葬式」では、このような方のご相談を受けると同時に、ご要望があれば僧侶読経(お経)をお受けいたします。

納得いくお布施額で依頼!!

葬儀において、1番悩むのが「お布施」と言われる方もおられます。
今日 、「宗教離れ」「仏教離れ」「檀家離れ(菩提寺としてのお付き合いが無い)」などから「お布施は高すぎる」「お布施額が不明瞭」と言われる時代ですので、出来るだけ自分自身が「納得いくお布施の僧侶読経を!!」ということで依頼しなければなりません。

昔であれば、殆どの方がお寺に出入りされて、門徒同士或いは住職を含めた会合でお布施額を決めていたと思います。
最近は檀家・門徒離れが進み、都会では90%以上の方が菩提寺がないと思われます。そのような状況の中、いざ葬儀となった場合、「お布施をいくらにするか」、悩んでしまいます。
最近のお布施状況は、お寺が決めたお布施、葬儀社が決めたお布施、PCなどに載っているお布施があります。これは依頼先によって違いが出ていると考えられます。
現在は、葬儀業界は一大産業を成しているといわれております。このような状況の中での葬儀ですから、「葬儀どうすれば?」「どこに葬儀を依頼すれば?」「葬儀の時のお経は、どこに頼めば?」「お坊さんはどうして決めれば?」「お布施はいくらすれば?」と悩んで当然なのです。

お坊さん依頼とお布施に関する無料相談を利用

私たちは一生のうち何度も経験しないのがお葬式です。  ですから、突然に身内が亡くなった場合は悲しみに暮れ、パニック状態になってしまうのが現実です。 葬儀を執り行うに際して、

一番難題なのがお坊さん僧侶6pngの依頼とお布施お布施2のことだと思います。

 

今は、一昔のように「儀式、宗教に捉われなくなったこと」「宗教離れ、仏教離れ」「檀家離れ(門徒離れ)」から、殆どの方がお寺とのお付き合いが無くなり、いざお葬式となった場合、どこのお寺或いはどの僧侶に僧侶読経をどこに依頼すればいいのか分らないのが現実です。

2困り顔 このような時、無料相談無料の文字を利用し「自分宅の宗派」「どのように僧侶を依頼すればよいか」等のアドバイスを受ければいいのです。

資格有る良い僧侶を選ぶ(自坊の有無は関係ない)

そして、大切なことはお寺でお葬式をしない場合は、葬儀の時のお経は お寺で決めるのではなく、
「資格ある僧侶坊主に」を選べばいいのです。
昔のように祖母・祖父などに連れられてお寺に出入りしていた頃、身内にお葬式が取れた場合は、お寺にすぐ連絡したものです。

近年はそういうこと(お寺に出入りすること)もなくなりました。  ですから、僧侶の人物もわかりません。 ですが、故人は昔のように僧侶の読経で送って欲しいと思うでしょうし、残された家族もその気持ちだけは失っていないと思います。

只、身内のお葬式となった場合、菩提寺がある方は、そのお寺に依頼すればいいのですが、 「お寺とのお付き合いの無い方」や「家の宗派が分らない方」 などは、ついつい人任せになってしまい後々、後悔する不本意な依頼となっているのが現実です。

現代のお布施額の目安

葬儀に当たっての僧侶依頼は、依頼先によってお布施額に差があります。  ですから尚更、知識を得て葬儀を執り行うことが必要なのです。

関西での一般葬でのお布施の目安は下記の通りです。参考にして下さい。 お布施袋

       地域           お布施の平均相場額
      神戸方面            25万円~30万円
      大阪方面            20万円~25万円
      京都方面            20万円~30万円

 

最近、初七日法要が骨上げ後ではなく、葬儀の告別式に続いて初七日法要が行われる式中(告別式の中で)初七日法要が葬儀斡旋業者等によって実施されています。

この場合、火葬から骨上げの間の2〜3時間が短縮がされますのでお布施は安くなっているようです。

従来の葬儀 = 告別式  → 火葬場  → 骨上げ  →初七日法要

式中初七日の葬儀 = 告別式 (告別式に続いて初七日法要 )→ 火葬場  → 骨上げ

〇 式中初七日の関西でのお布施額  16万円前後

と割安感はあります。但し、形式に流れている感があります。

   葬儀に於いて、依頼先によってお布施額に違い!!
          
      無料相談を利用することが大切

     元警察官の僧侶が対応
☆ 依頼先によってお布施の違い
☆ 葬儀依頼にあたっての葬儀社の選び方など

 

〇最初に、枕経(まくらぎょう)を依頼
〇 葬儀社を何処にするか、決めかねている方

〇 葬儀の時、お寺・僧侶を何処に依頼すればよいか、
  分からない方
 市民サポートセンター
僧侶・司法書士などのグループ

  元警察官で現
僧侶が顧問の
  「良心のお葬式」へ

依頼先によってお布施額に違い

お布施袋 又、お布施は、葬儀物品のように目に見えるものではありませんので「仏教離れ」「檀家離れ(門徒離れ)」した今日、目安が分りません。ですから、僧侶読経(お経)のお布施は、依頼先によって お布施額に違い がでていますので注意が必要です。

 

「良心のお葬式」は 相談14、葬儀時の読経をお受けするとともに、葬儀・仏事に関する相談を受理して少しでも皆様のお役に立てればと思っているサポート組織でございますので、お気軽にお電話下さい。

 

 お葬式の時の「お経」―神戸、西宮、大阪、豊中、摂津、茨木、高槻など京阪神間

お寺とのお付き合いの無い方
何処に、依頼すればよいか分からない方

 元警察官で現僧侶が顧問の

   「良心のお葬式」へ

 

葬儀サポートと僧侶派遣(僧侶紹介)

『良心のお葬式』は皆さまの立場に立って考え、
◎ 「葬儀費用は高い」
◎ 「葬儀社によって葬儀費用に大きな価格差がある」
◎ 「お布施は高すぎる」
◎ 「お布施は依頼先によって大きな差がある」
と言われることを解消し、皆様に適正価格での葬式・適性額でのお布施で、後々後悔しないお葬式を執り行って頂くためのサポート組織です。是非ご相談、ご利用下さい。

「良心のお葬式」のお布施(儀時の読経)

    釜前(炉前)葬

  火葬場での読経(お経)
   お布施額 55,000円
     1日葬

 告別式と火葬場での読経
  お布施額 75,000円
      一般葬

通夜・告別式・火葬場での読経
  お布施額 150,000円

1)初七 日は式中初七日となります。
2枕経は、葬儀依頼前(納棺前)に必ずあげて下さい。枕経を、通夜経と一緒にあげることもあるようですが、これは間違いです。 枕経は亡くなられてから出来るだけ早く上げるのが枕経なのです。
※3)枕経をあげると「お顔が奇麗に!!」と言われています。
※ 4)枕経のみの場合、別途交通費5,000円お願いします。

葬儀形式を大切に!!

私達は葬式となった場合、ついつい慌ててしまい色々なことが抜け落ちがちです。葬式は一つの形です。葬儀の形はマナーで成り立っています。

葬儀となった場合、
・遺体に対する措置のマナー
・葬儀場でのマナー
・参列者の出迎えのマナー
・葬儀、葬式時のマナー
・火葬場でのマナー・お布施、香典のマナー
・葬儀時の着衣のマナーなど、
このようなマナーを厳守することが、いい葬儀に繋がると言っても過言ではありません。

 

お葬式の時-お寺とのお付き合いが無くても大丈夫です

お寺とのお付き合いの無い方!!

現代は、仏教離れ・宗教離れ・核家族化・都市集中型社会によって、お寺との檀家・門徒制度は崩れ
◎ お寺とのお付き合いの無い方!!
◎ お寺とお付き合いをしたくない方!!
◎ お寺とはその時々の付き合いでよい方!!
◎ 家の宗派がわからない方!!
などの方が多数おられます。そして、お寺とのお付き合いが無いばかりにお葬式となった場合、どこに連絡すれば?と困っておられる方が大半なのです。そのようにお困りの方は、

 

お寺とのお付き合いの無い方も、安心して僧侶(読経)依頼を!!

葬儀の意義

葬儀とは、死者を弔う宗教的な儀式です。故人に対する追善回向の仏事や、単なる告別の式ではなく、遺族・知友が相集い、故人を追憶しながら、人生の無常のことわりを聞法して、仏縁を深める報謝の仏事のことです。

ですから、お寺とのお付き合いの無い方にとっても、ご先祖、故人の仏縁から、残された遺族の幸せを望むのは当然の願いであると思います。そのような考えからすれば、僧侶の読経での仏式のお葬式は欠かせないのかもしれません。

葬儀方法
現代は核家族化・地域社会の疎遠化によって一昔前と違って一律的な葬儀形態から葬儀形態が異なってきております。
又、葬儀業界は一大産業をなしていることから色々な葬儀用語なども作られ私達は「どうすれば」と、あまり経験しない葬儀で悩むことが多くなってきております。

葬儀方法は3つ(3つのうち1つを選ぶ)

      直葬(釜前葬)       1日葬       一般葬

葬儀方法は3つあると思ってください。
その3つのうちから1つを選べば葬儀の大半が終わったと思っても過言ではありません。

つは直葬と言われるものです
直葬とは、葬儀式をしないで24時間遺体を安置した後、火葬に付すことをいいます。
直葬の釜前葬というのは、火葬場において遺体を火葬に付す直前に僧侶の読経を行うことをいいます。
葬儀において一番簡素な葬儀で最近増えつつある葬儀形態です。

2つ目は、1日葬と言われるもので通夜式の無い葬儀形態です。
通夜式が無いため、遺族にとっては1日で葬儀が終わるため、精神的・肉体的にも楽ですし、葬儀費用の軽減にもつながり最近この葬儀形態も増えつつあります。

3つ目は、一般葬と言われるもので従前から行われている通夜有りの葬儀形態です。
この一般葬は最近では減少傾向にあります。
核家族化・地域社会の疎遠化・葬儀経費の節減が大きく左右していると思います。

葬儀には「僧侶読経依頼を」

私たちは古来より仏教国であり、お葬式においては僧侶によるお経をあげて故人を送ってきました。そのような宗教心が社会を支え、家族のつながりを強め私たちの幸せを育んできたのです。

葬儀とお経

葬儀とお経は欠かせないものとして現代にも受け継がれています。ですが、最近では仏教離れ・宗教離れなどからお寺との繋がりが無くなり、家の宗派がわからない方もおられるのが現実です。

葬儀依頼と僧侶依頼は別々に!!

又、都市集中型・核家族化・医療技術の発展等によって、一昔のように自分宅で亡くなることが殆ど無くなり、病院で亡くなる方が大半となっています。
そのことから、最近では、読経依頼も葬儀社を通じて依頼されることが殆どとなってきております。そのため、不明瞭なお布施、依頼先によってお布施額の違いなどが出てきております。

葬儀のお坊さん紹介・僧侶依頼

そのようなお布施の不明瞭さを無くするためにも、葬儀依頼と僧侶依頼は別々に依頼することが明瞭さの確保に繋がってきます。最近では、お寺に行かなくても資格ある誠実な僧侶に依頼することが出来るサポート組織も出来ております。

資格ある誠実な僧侶に読経(お経)依頼
僧侶資格は、お寺の住職あるいはその親族だけが資格を持っているものではありません。現代は、宗教界も開かれ一般家庭から或いは医者を勤めた後、僧侶資格を取得した立派な僧侶もおられます。お寺は世襲制ですのでお寺を持たない僧侶のほうが多いと思います。

現代は、宗教離れ・仏教離れから、お寺を所持している住職の方も檀家・門徒離れから、派遣業者に登録してお勤めをされておられます。資格があれば、お寺の有る住職とお寺の無い僧侶も同等なのです。

現代のお布施額の目安と実質的お布施

お寺とのつながりである檀家・門徒制度は江戸時代に確立されたものです。お寺・僧侶が、私たちを教え導くことを怠れば時代とともに檀家・門徒離れが起きて当然です。
只、仏教の教えは私たちにとって必要不可欠なものだと思います。お寺に行かなくても信頼できるサポート組織を利用することによって、現代のお布施額の目安と実質的なお布施を知ることが出来ます。

葬儀前のお経ー枕経

又、注意しなければならないことは、一昔前は「仏様にお世話になりました」という思いで、亡くなってから出来るだけ早く枕経をあげていました。
それが、それぞれの利害関係によって枕経は通夜経と同じものとしてあげられております。これでは、何のための枕経かわかりません。
出来るだけ早く、枕経をあげると「お顔が奇麗になる」と言い伝えられております。先人の言い伝えは、理由があってのことなのです。必ず枕経は、通夜経とは別に依頼することが望ましいと思います。

お布施、依頼先によって違い?

葬儀時の読経(お経)依頼において、依頼先によってお布施額に違いが見受けられます。もちろん、お布施なのだから当然と言ってしまえばそれまでですが、宗教離れ・仏教離れしている今日、お布施を差し出すものにとっては堪ったものではありません。
宗教離れ・仏教離れしている今日、お布施はいくら?と、お聞きになっても恥ずかしいことではありません。お布施額を必ず確認してから、依頼すれば後々後悔することはないと思います。

葬儀後の法事・法要

そして、葬儀を終えたのちは、故人を偲ぶ思いからも必ず法事・法要を行って下さい。

時代の推移

檀家・門徒制度の崩壊

日本は、高度経済成長期より人口の流動によって、人口が都市に集中し、地方では過疎化となって、都市集中型の人口構成となってきました。
その影響で核家族化が進んできました。
このような、世の中の大きな変動によって、仏教離れ・宗教離れが進み、都会においては、90%以上の方が檀家・門徒制度から離れているといわれています。
そのような中にあって、お葬式或はその後の法要は、やはり行いたいという方が殆どでございます。
只、お寺とのお付き合いではなく、「お葬式或はその後の法要を行っていけばよい」という考えの方が増えてきておられます。
お寺とのお付き合いが無くても、僧侶によるお経(読経)をされれば何ら変わりはありません。
日本は仏教国であり、仏教を信奉して生きてきました。お寺はあくまで仏教に付随したものであって、仏教の信奉に変わりがないのです。
時代とともに、変わりゆくものも当然あります。その1つが、檀家・門徒制度ではないでしょうか。

お葬式の推移

お葬式の形態も時の流れとともに変わってきております。
今まで、お葬式といえば、親戚、知人、近隣者の多くの参列を得てのお葬式でした。つまり、通夜を伴ったお葬式である一般葬でした。
しかし、現況は「家族葬」が多くなってきております。
家族葬とは、今までの密葬と言われるもので、身内だけの少人数のお葬式と思えばいいでしょう。
それは、核家族化、遠く離れた親戚との疎遠化、近隣住民との疎遠化などによって、少数でのお葬式が好まれるようになったからだと思います。又、少人数でのお葬式ですので、費用もあまりかけなくてすみます。

 

 

 

葬儀後の法事・法要  

葬儀後に執り行わなければならないことお葬式風景

お葬式となった場合、お葬式を執り行うのも大変ですが、お葬式後も仏壇が無い場合は仏壇購入、法事・法要、納骨など仏事ごとを行わなければなりません。

又、亡くなられた方によっては、その後遺産問題、財産分け、住宅問題、保険関係など色々な事柄を処理していかなければならないと思います。

各法事法要
葬儀後には必ず、七日ごとのお勤め(お経)並びに各法要などを行っていきましょう。故人は、お浄土から私達を見守って下さっているのです。
私達はそのことに感謝し、「何時何時までも見守って下さい」と、法事・法要を行っていきたいものです。葬儀義の法要は、
◎ 初七日、二七日などの中陰法要
◎ 七日ごとの七七日である満中陰法要(四十九日法要)
◎ 初盆
◎ 年忌法要(1周忌法要、3回忌法要、7回忌法要、13回忌法要・・・など)

葬儀の意義

葬儀は、故人に対する追善回向の仏事や、単なる告別の式ではなく、遺族・知友が相集い、故人を追憶しながら、人生の無常のことわりを聞法して、仏縁を深める報謝の仏事のことです。
つまり、故人を偲び仏縁を頂いてお釈迦さまに残されたものを見守って頂くための儀式なのです。

法要の意義

一般的に法要は、遺族が故人の供養をと行うものです。法要を行うことによって、故人は極楽浄土に往生できるとされています。ですから、故人を供養するためには必要な儀式です。

法要とは、遺族が故人を偲び冥福を祈るために行う追善供養のことをいいます。一般的に法要は「法事」と呼ばれたりしますが、正確にはお経をあげてもらう追善供養を「法要」と呼び、「法事」は追善供養の後の会食を含んだことををいいます。

浄土真宗では、臨終と同時に極楽往生するという考えますので、中陰法要は故人を偲び仏法に接するためのものと考えます。

葬儀と法要の関係

人として生きている限り、いつかは命絶えるのですから葬儀は欠かせないものです。人として生きてきた限り、やはり先人の追善供養は必要なものですので、葬儀と法要は切り離せないものです。

葬儀直後

葬儀式、火葬を終えた後、自宅に戻ってきた遺骨は、葬儀社などが用意した中陰壇に安置します。中陰壇には、三具足や白木の位牌、供物、遺影を置きます。
この中陰壇は、お仏壇の横に設置します。初七日など法要はお仏壇の前でします。只、習俗では、死後四十九日の中陰の間は、死者の行き先が定まらないとされていますので、中陰の間は中陰壇の前でお勤めしてもよいでしょう。
浄土真宗では、即仏といってお浄土に行かれているのですから、死者は行き先に迷ってはいないという教えです。

初七日法要

初七日法要とは、亡くなられてから数えて七日目に行う法要です。 亡くなられてから四十九日間のことを中陰といいますが、この七日ごとに法要を行う最初の 七日目の法要の日を線香初七日法要といいます。

葬儀と満中陰法要
葬儀後の満中陰法要(四十九法要)

中陰とは、人が亡くなつてから四十九日間のことをいいます。
人が亡くなった時、七日毎に、初七日、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、七七日、と法要を勤めます。
この七七日を、満中陰法要といいます。或いは四十九日法要ともいいます。初七日

中陰の七日ごとの法要は、家族そろって法要を行い、満中陰法要(四十九日法要)は、遺族、近親者が揃ってお勤めをします。

満中陰法要(四十九法要)後   お鈴
① 満中陰法要(四十九法要)後は、中陰壇を取り除きます。
② 浄土真宗は「位牌」がありませんので、お仏壇での位牌使用はありません。只、位牌の代わりとして過去帳を使用します。
③ 遺影はしまっておいてもいいですし、お仏壇の真上を避けた所にかけてもいいでしょう。
④満中陰までの間は、お花は華美なものを避け、満中陰法要後は普段通りのお花を飾ればいいでしょう。

年忌法要 

1周忌法要
1周忌法要とは、亡くなられてから1年が経過した際に行う法要です。
3回忌法要
亡くなられてから2年目に行う法要です。その後に71317253350100回忌法要を行います。

お盆・初盆 お盆

お盆とは、先祖や亡くなった人の霊を祀る行事で、お釈迦さまの弟子の一人である目連尊者の故事に由来している法要です。 初盆は、お盆2四十九日(満中陰)が過ぎてから初めて迎えるお盆をいいます。

納骨法要

四十九日(満中陰)後に納骨を行いますが、その際の墓前での法要です。

 

葬儀と仏教

葬儀とは、人の死を弔うための儀式です。葬儀は、宗教儀礼によって行われます。以前では葬儀(式)と告別式は区別して行われていました。

告別式とは、告別式に参列した人たちが、焼香や献花をもって死者に対してお別れをする儀式のことをいいます。最近では、葬儀(式)と告別式が一緒になって行われています。
日本人は古来より葬儀に於いては必ず仏式言い換えれば僧侶の読経によってお葬式を執り行ってきました。
仏教はお釈迦さまが説かれたものです。日本においては、葬儀と仏教は切り離せない関係です。日本人は仏教を重んじ、葬儀においては仏教での葬儀式が殆ど行われるのが普通となっています。

葬儀と仏教の関わり

日本の仏教の最初

日本に仏教が伝えられたのは欽明天皇の時代です。百済の聖明王が、釈迦仏金銅像と経典・仏具などを朝廷に奉献しました。これが仏教が伝えられたはじめです。

渡来人からの仏教伝来と葬儀の始まり

江戸時代の国学者の著書の中に、日本に葬儀・葬式に宗教が関与した記述がある。その宗教というのが仏教である。
仏教は、はじめから葬式・葬祭にのみ関与する宗教であったわけではない。葬儀とは、死者の霊を墓に納める宗教儀礼をいう。
人が死んでその霊魂が永久に安住する墓に納める方法は時代とともに変遷してきた。葬のあり方が時代とともに、葬儀は葬祭場で行い、荼毘は火葬場で行うように変わってきた。
その移り変わりとともに、神官、僧侶、牧師が葬儀にかかわってきた。

仏教が伝わったのは552年の欽明天皇の時代である。大唐漢人の鞍部村主司馬達等が大和の高市郡坂田原に草堂を建て仏像を安置した。この時、仏教と深い関係を持つ火葬が行われていたことがかまど塚に認められます。

葬儀の始まり歴史
葬儀の始まり
葬儀とは、死者の霊を墓に納める宗教儀礼をいい、人の死を弔うための儀式です。墓に納める方法は時代とともに変遷してきた。葬る方法は土葬、火葬、水葬など色々な方法がある。葬るあり方が、時代とともに変わり葬儀は葬儀場で行い、荼毘は火葬場で行うようになってきた。
その間に、神官、僧侶、牧師らが関与するようにもなってきた。
一昔前までは、葬儀(式)と告別式は区別して行われていました。
告別式とは、告別式に参列した人たちが、焼香や献花をもって死者に対してお別れをする儀式のことをいいます。最近では、葬儀(式)と告別式が一緒になって行われています。
人の死によって、葬儀と仏教が結びついてきました。
葬儀は必要(葬式無用論)?
葬儀は、死者の霊を弔うことが目的である。只、現代は形がい化してきて、生きている者の見栄とか慰めとか或は慣習的に感動が伴うことなく行われている感がぬぐえないところがある。そして、かなりの出費が伴っている。
葬儀に宗教の関与
江戸時代の国学者の著書の中に、日本に葬儀・葬式に宗教が関与した記述がある。その宗教というのが仏教である。
仏教としても、はじめから葬式・葬祭にのみ関与する宗教であったわけではない。
形骸化したのは近世になってからだと考えられる。寺壇制が確立され、寺院側の檀家支配の統制下と、寺院運営経費の面から様々な葬儀、法要の形式を確立するため必要性に迫られたためだと考えられる。であるから、祭主や喪主などの遺族の側からの意思は含まれていない。
僧侶は、仏教に専念して勤行に努めるよりも、収入面に振り回されて、自らの品格を高めることは二の次となり、次第に死者に引導を渡すことができない僧侶が増えたのである。
縄文・弥生時代
縄文・弥生時代の墳墓から、埋葬法の変遷が分かる。その墓は貝塚、洞窟、砂丘の中に多く見いだされる。人骨は伸展葬、屈葬、座位などのものもみられる。
死者を葬るには、土中に埋める方法が多く用いられた。土中から発見される死者は、多くは折り曲げられたり石を抱かされたりして、この世に蘇らないように圧迫されている。
縄文時代から弥生時代になるにしたがって、棺に納められるようになる。これは、死者の霊を恐れることと死者の霊を大切にして祖霊として子孫を守ってほしいという願いが込められたものと考えられる。
日本人は、死者の霊を恐れることから、祖霊に対して最も恐るべき存在であると考えていた。半面、霊を最も親しむべき尊敬に価するものと考えており、このため霊をその時々においてまっつたのである。
人が喜ぶときは、神も喜ぶものと考えて招待の時期を定期的に決め、霊をまっつたのである。
その際には、供養をすると同時に魔除けの呪術を怠らぬように努めていた。
これは祖先にささげたものが、他の悪霊によって荒らされぬようにと考えたためだといわれているが、実際は、祖霊に対しては、親愛感とともに、一種の恐怖感を持っていたのである。
縄文時代は墓標は立てなかったようであるが、弥生時代は死者を追想するようになって墓標を立てるようになったようである。
火葬
火葬の始まり
火葬はインドに端を発し中国を経て我が国に伝えられた。それは仏教の伝来よりやや遅れ僧道昭によってなされた。
「続日本紀」「万葉集」の中に火葬がされたという内容の文があり6世紀末から7世紀ごろには、人が亡くなった場合は火葬の風習があったともいわれている。
持統、文武、元明、元正天皇は、火葬をもって葬られたという記録もみられる。これは、仏教的葬法であるとみることが出来る。カマド塚には、火葬人骨があり、火葬を行ったことが裏付けられている。
火葬の浸透
火葬はインドから中国へ伝わっていった。後に新羅に伝わり火葬が流行し始めた。日本においても奈良時代に全国的に普及浸透していった。又、上流階級人々をはじめ有位無位に関わらず広範囲に渡っている。
骨壺
遺骨の収納方法は骨壺と言われる鞠型の容器に納めて埋葬されている。骨壺には、陶製のものが多く、銅製、金銅製のものがこれに続いている。しかし、当時は土葬墳も少なくない。
神信仰の減少
日本は、誕生以来農業国であった。国是は農本主義的であり宗教儀礼も農耕儀礼を基盤にしていた。
只、戦後の日本は高度経済政策によって農業国家としての基本構造を変えさせ、かって日本の持っていた国家構造の基盤にさえ大きな動揺をもたらした。
日本の持っていた祖霊が、農業生活を守ってくれるという意識、そのことを基盤とする日本人の神信仰を変化させていった。
家には神棚や仏壇が少なくなり、墓と神棚・仏壇の結びつきは断たれ、神社や寺との結びつきも断絶していき、現代は核家族が主流となっている。
葬の流れ
葬式は、埋葬法の変遷によって歴史的流れを知ることができます。今まで発見されてきた人骨によって、葬は伸展葬であったり、ある時は屈葬など葬の歴史を窺がえることができる。
縄文・弥生時代
縄文・弥生時代には、死者を山に葬るという観念は成立していなかったと思われる。縄文・弥生時代のその後に農業が盛んとなって山の神と田の神が交代するなどと考えられるようになって山に葬るという考え方が生まれてきた。
死者を葬るには、土中に葬る方法が多く用いられたと考えられる。土中から発見される死者は多くは折り曲げられたり、石を抱かせたりしてこの世によみがえりくいように圧迫されている。
縄文から弥生時代になるにしたがい、次第に棺に納められるようになるが、これは死者の霊を恐れるとともに、死者の霊を大切にして、祖霊として子孫を守ってほしいという願いを込めたものと考えられています。
所によっては、屍を土中もしくは地上において、白骨化させてから棺に納めるという二重葬が行われています。
縄文人は、墓標を立てなかったらしいが、弥生人は死者を追想するようになり、墓標を立てるようになりました。弥生時代には、既に共同墓地が作られていたと考えられます。
火葬の起源
天武天皇陵が土葬で、持統天皇陵が火葬だとされています。次いで、文武・元明・元正の天皇は、火葬で葬られたようです。
これは、明らかに仏教的葬法であるとみることができます。養老令の喪令にも火葬の条が記載されております。
したがって、火葬は次第に貴族にも普及浸透していったと考えられます。しかし、直ちに民間にも普及していったとはいいがたいと思います。
火葬の変遷
仏教伝来は、葬制に大きな変化をもたらした。火葬制の採用がこれで、700年に僧道昭が初めて火葬された。貴族から次第に一般化されたが、民間では土葬が依然として多かった。
しかし、僧が死者の冥福を祈り、葬列に参加することは、奈良時代からようやく行われるようになった。火葬は、奈良時代に全国的に普及浸透したことは否定できないのです。
葬儀と仏教の当初
葬儀と民族宗教
当初の仏教は、民俗信仰の基盤の上に立とうとしていた。これは、飛鳥時代寺院の氏寺的性格といえると思う。墓や陵が山にあったり、山のような形のものを造っているところにも民族宗教を基盤としていたことがうかがえる。
寺そのものが山中・山上に建てられるにいたったとき、それまでの在家仏教が異なった形の仏教、専業化した仏教へ移行していった原因の一つではなかろうか。
民は祖霊は山にいると考えていたと思われる。これが霊山信仰のもとをなしていったのである。祖霊が山にあると考えていた。死に対する儀礼とか、埋葬は貴族と庶民とでは大きな違いがあった。庶民にとっては死体を埋葬する墓地とその霊を祀る祭地とが別々になっている墓制を持つ地域が、かなり広がっている。
死体を埋める墓地は、部落を離れたはるか遠い山中にあった。
はじめ仏教は葬式法要とは関係を持たなかった。これが民間と強い関係を持っようになったのは、平安時代末以降である。
仏教のはじめは、土葬方式を改めて火葬を行うくらいの機能しか果たさなかったのである。当時の火葬されていたのは、七世紀後半には天皇、皇族、貴族の行われていたのではないかと考えられ、民間では、まだまだ山中他界観念に基ずく土葬が多かったと考えられる。
葬儀と仏教
仏教の意義
仏教とは
仏教は、自分の望みを叶えてもらうようお願いする宗教ではありません。
仏教とは、仏の教えで「仏」とは仏陀という言葉を省略したもので「悟った者」「真実に目覚めた者」のことです。
ですから、仏教とは、「悟った者・真実に目覚めた者の教え」であると言えます。「真実に目覚めた者」とは、釈尊のことです。仏教とは「釈尊の教え」ということです。
只、仏教は釈尊が創り出したものではなく、釈尊が真実に目覚めそれを言葉として説いたものなのです。又、仏の教えを聞いた者が真実に目覚め仏に成るわけですから、仏教とは「仏に成る教え」であると言えます。
釈尊の誕生
釈尊は、約二千五百年前の四月八日、インドの北(現在のネパール)ルンビニーの花園で誕生されました。
そのころ、インドの北方に、釈迦族と呼ばれる種族が、カピラ城を中心に小さな国を作っていました。
釈迦の父は、カピラ城主スッドーダナ王、母は、マーヤー夫人でした。マーヤー夫人は、出産のため里帰りの途中ルンビニーの花園で休息をとりました。
その時、産気づいて釈尊を出産されたと伝えられております。現在、四月八日には釈尊の誕生を祝う「花まつり」が全国各地で取り行われています。
釈尊は、性はゴータマ、名は、シッダッタと言います。一般的には、「お釈迦さま」とか「釈尊」と呼んでいます。
釈尊は誕生すると直ぐに七歩歩いて、右手で天を指し左手で地を指して「天井天下、唯我独尊」(天にも地にもただ我独り尊し)と宣言されたと伝えられています。
そして、その時天は感動し、甘露の雨を降らせたといいます。
「七歩歩いた」ということは、迷いの世界である六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)を超えたということを表します。
「天上天下 唯我独尊」という宣言は、「私の命は、天にも地にも、この世の中にたった一つしかない、かけがえのない命である。
しかも、この命はその中にあらゆるものが収まっているような無限の意味内容を持っている。だからこそ私の命は尊い」という意味なのです。
釈尊誕生の時、「甘露の雨が降った」という伝説があります。これは釈尊の誕生を人間だけではなく動物や植物も含め大自然・大宇宙が喜んだということを表しています。
釈尊の誕生を祝う「花まつり」に誕生仏に甘茶を灌いでお祝いするのは、この伝説によります。だから、「花まつり」のことを「灌仏会」ともいいます。
「六道」とは衆生が、それぞれの行為によって趣き往く迷いの世界のことで、六趣ともいいます。
①地獄―苦しみの極まった世界。
②餓鬼―飢え渇きに苦しんでいる世界。
③畜生―恥を知らない世界。
➃修羅―争いの世界。
➄人間―人
➅天上―喜びの世界(煩悩を離れていないので、やがて崩れる。これも迷いの世界。)
これらの世界は、空間として存在するのではなく、迷いの心が創り出す世界です。
釈尊の母マーヤー夫人は、白い像が胎内に入った夢を見た後、釈尊を懐妊したという伝説があります。
これは釈尊の偉大さを表そうとしたものです。又、なぜ象かというとインド人は像を好み大切にしているからと思います。
釈尊の若い時
釈尊の母マーヤー夫人は、釈尊出産後七日目に亡くなられました。
その後,釈尊は母の妹であるマハーパジャパーティーに養育されました。
当時、インドの上流階級では、7,8歳になるとバラモンの学者のところでバェーダなどの学問を学ぶことが、一般の慣習となっていました。
釈尊は、小さい頃から感受性が強く物事を深く考える性格だったようです。釈尊が10歳の農耕祭で、多くの牛が犂を付けて田を耕すのを眺めていた時、鋤起された土の中から小さな虫が掘り出されました。それを見つけた小鳥がその虫をついばみ去りました。さらに、その小鳥を大きな鳥が襲いました。釈尊はこの弱肉強食の悲しい現実を見て「なぜ生き物は殺し合わなければならないだろう」と一人想いにふけったのでした。

葬儀と関係の深い仏教の推移

葬儀と関係の深い仏教は、時代と共に推移し現代の仏教が構成されました。
葬儀と仏教の推移(歴史)
火葬の始まり
日本に仏教が伝えられたのは欽明天皇の時代で百済の聖明王が、釈迦仏金銅像をはじめ経典・仏具などを朝廷に奉献した。これが仏教が公に伝えられた始めで、「仏教の公伝」といいます。
これ以前に、中国や朝鮮からの渡来人によって仏教は伝えられていた。この時期、カマド塚から火葬の風習が認められる。
わが国、初の寺院建立
敏達天皇の頃、(584)蘇我馬子は、飛鳥の桜井の家を寺院とした。又、豊浦の大野丘の北に塔を起して仏舎利を祀った。
出家
仏舎利などを供養礼拝するために、司馬達等の娘、善信尼など三尼が出家した。飛鳥の桜井の家は、日本最初の尼寺、豊浦寺に発展した。善信尼らは、崇峻天皇元年(588)、百済に留学して戒律を学び、帰国後は、豊浦寺に住まい多くの尼僧を出家させた。
仏教へ帰依
587年、用明天皇は、天皇として初めて仏教に帰依することを表明された。
わが国最初の寺院(飛鳥寺)の建立
蘇我馬子は、仏教の興隆を推進するために、百済から送られてきた技術者を使って、我が国最初の本格的な寺院-法興寺(飛鳥寺)を大和飛鳥に建立した。
氏族仏教の形成
594年、推古天皇が発布した「三宝興隆の詔」によって、仏教が国家的に認められることとなった。この「三宝興隆の詔」によって、寺院46・僧816人・尼569人となり、仏教は各氏寺を中心に急速に発展し、氏族仏教が形成された。
聖徳太子-仏教を採用
604年、聖徳太子は「十七条憲法」を制定された。聖徳太子は、政治と仏教をとの関係を深く考察し、仏教によって民衆の人格の平等と尊厳を確立して、平和な社会を建設すべきことを説かれた。
聖徳太子が建立の寺院
聖徳太子が建立した寺院は、四天王寺・法隆寺・中宮寺・橘寺・峰丘寺・池後寺・葛木寺の七カ寺と伝えられている。
律令仏教
氏族仏教から国家仏教へ
大化の改新によって、律令制度がしかれるとともに、仏教に対しても「仏教興隆の詔」によって、十師などの僧官を設けて、国家的な立場から仏教を興隆し、寺院や僧尼を統括した。
これによって、各氏寺とその僧尼は国家のもとに組織され、氏族仏教から国家仏教へ展開していくこととなった。
鎮護国家の仏教
律令国家の支柱としての鎮護国家の仏教は、官大寺を中心に全国的な規模で展開する基盤が築かれた。中央をはじめ各地で建立された多くの寺院は、天皇・国家の安寧を祈願するための公的な機関であり、僧尼はこれらの寺院に専住して、鎮護国家のために奉仕すべく位置づけられた。
律令仏教の展開
702年、仏教教団統制法である「僧尼令」が制定された。この僧尼令は、釈尊が定められた戒律によって、自律的に運営される仏教教団の在り方を無視するものであった。
又、僧尼の宗教活動を寺院内に限定して、民衆の救済を求めて仏教を伝道するという大乗菩薩思想の実践は国家から禁止された。このように僧尼令は、非仏教的立場から、僧尼を律令国家の枠の中に位置付けした律令的仏教信仰で、律令仏教といわれる。
行基と律令仏教
律令仏教の確立によって、仏教教団は国家体制の中に組み込まれた。しかし、律令仏教を批判し、仏教実践の正しいあり方を身をもって実践した人々が現れた。その一人が行基で反律令仏教の立場を示した。
奈良仏教
奈良時代の仏教は学問的に発達し、南都六宗が成立した。六宗とは、三論・成実・法相・俱舎・律・華厳の諸宗をいうが、後世の宗派のように寺院中心の信仰集団ではなく、特定の教学を専攻する僧の集団であった。奈良時代の仏教は、国家の保護によって一大繁栄を遂げた。
平安仏教
最澄と空海は、平安京を中心に天台・真言の二宗を開創して、大乗仏教の立場を明らかにして平安仏教を確立した。平安仏教は、天台・真言など諸宗は貴族社会の現実的欲求に対応する呪術的な祈祷仏教へ展開していった。
このように、平安仏教は密教化され祈祷宗教化・民族宗教化へと発展していった。
中世仏教
平安時代から鎌倉時代にかけて貴族が支配する政治体制が崩壊し、新しく武士が政権を担う体制の時期である。この時代の仏教は、民主をも救済する仏教こそ釈尊の真実の教えであり、大乗仏教の根本的立場であるとした。このことが中世仏教である。
古代の仏教は、律令仏教・貴族仏教といわれるように国家権力と一体化して、国家を背景に民衆を支配する仏教であった。かくして、中世仏教によって、はじめて国家から離脱した人格中心の仏教が確立した。
浄土真宗(葬儀と浄土真宗)
仏教の1つの宗派である浄土真宗は、念仏集団が関東各地で形成され、次第に組織化されて京都をはじめ近畿地方で発展していった。
仏教は、その時々の権力者と結びつき或いは利用し利用されながら時代時代によって変貌を遂げていった。
平安時代の貴族の葬儀は、仏教寺院で行い僧侶が念仏し仏教の影響を受けていた。
鎌倉時代には、一般庶民にも仏教が広がり仏式葬儀が行われていた。
浄土真宗・開宗と宗祖
1224年、親鸞聖人52歳の時、聖人は陸奥の国稲田で「顕浄土真実教行証文類」6巻を執筆されたといわれています。この教行信証は浄土真宗の教えの根本が示されており、この年をもって浄土真宗が開宗されたとして、親鸞聖人を宗祖として仰ぐようになりました。
宗祖・親鸞聖人の生涯
誕生
1173年5月21日京都の日野に誕生されました。。幼名は、松若丸と言われています。父は藤原一門の日野有範、母は吉光女(きっこうにょ)と言われています。
当時は平安時代の末期で、貴族社会が揺らぎ武家階層の台頭で混沌とした時代でした。父は源氏と平家を中心とした政争の渦に巻き込まれて隠棲し、母とは聖人が8歳の時に死別されています。
幼くして愛別離苦を味わわれているのです。
聖人誕生の地
聖人誕生の地は、京都市伏見区日野の法界寺境内つまり日野誕生院辺りであります。
聖人の家系
聖人が生まれた日野家は、藤原氏末流の下級公家の家系です。聖人の父有範は、五位の位で朝廷の下級官吏として後白河上皇の皇太后のもとに仕えていました。後に出家します。
母は、源義家の嫡子義親の娘で「吉光女」と言われています。聖人には、尋有・兼有・有意・行兼の4名の弟がいたといわれています。
得度
1181年春、聖人は9歳の時伯父範綱の導きによって、慈円僧正を戒師として青蓮院で得度し天台宗の僧侶となった。慈円は九条家の兼実の弟にあたり、後に天台座主についた僧侶であった。
聖人の名
聖人は、幼名を松若麿或いは鶴光麿と称したと伝えられております。得度してからは、範宴という僧名と称して比叡山にのぼりました。
聖人家族の出家
聖人の家族である父と弟4人、全てが出家しています。父有範は宮仕え後に三室戸寺の僧侶となり、弟の尋有・有意は延暦寺の僧侶に、兼有・行兼は聖護院の僧侶となっています。
このことは、平安末期、鎌倉初期の時代は古代より中世への転換期であり、公家勢力が衰退し武家勢力が台頭してきた時で、本来は朝廷の官吏であったにも関わらず、日野家が存続しずらかった時だと思われます。
横川においての堂僧
聖人は、20年間比叡山において修学されました。とくに、聖人は比叡山三塔のうち慈円が管領をしていた横川において修学し、その身分は常行堂で不断念仏を行う堂僧であったと思われます。
聖人の修学
聖人が修学していた横川浄土教は、天台宗の開祖最澄の大乗仏教精神を末法時代において、如何に具現できるかという課題の中で成立したものであった。
聖人は、持戒修学によって悟りを開くことが不可能になった末法において、一切衆生とともに救われていく道が当時の国家仏教・寺院仏教・出家仏教としての天台教団の中に見出せるかを、比叡山を下りる前に考えていたと思慮される。
「ひじり」
聖人が29歳の頃、山を下り「ひじり」となって民衆伝道を行う僧侶たちがおり、その中に専修念仏を説く法然上人もおられた。当時、聖人はこの「ひじり」としての生き方に魅せられたと思われる。
六角堂へ
聖人が29歳の時、「ひじり」としての生き方に共鳴したと思われる。聖人は、六角堂に百日間参籠された。
聖徳太子への崇拝
聖人が、聖徳太子を崇拝したのは、当時の仏教界において聖徳太子を日本仏教の始祖として仰ぐ信仰の影響によるもの、そして聖徳太子が在家仏教の実践者であることからです。
比叡山を離れる
聖人は六角道参籠の後、「専修念仏」は称名の一行によって救われることを説く在家仏教であることから、聖人は法然のもとに百日間通い続けて、法然の専修念仏の教えを確認したうえで比叡山を離れ法然門下に帰入した。
聖人は、承元の法難で流罪に処せられる5~6年間を法然上人のもとで浄土教を学ぶこととなった。
法然の教え
法然の「専修念仏」の教えは、聖道門を捨てて浄土門を選んで、他力念仏を学ぶものでありました。又、「称名」は救いのための条件ではなく、阿弥陀仏から回向される他力の救いを象徴化したものであり、無条件の救いを提示したものであった。
このように法然の現実生活の中では、「悪人往生」の道として説かれています。すなわち自己の愚悪なる本性を凝視することが真実の救いへの道であり、徹底した自己否定を通して念仏の世界が開けてくるということです。
事故を賢者に仕立てることは困難ですが、自己の愚悪性に目覚めることはあらゆる人々に開かれた道であります。ここに一切衆生とともに救われる大乗仏教の道が具現されているといえるものです。
この「専修念仏の教えは、法然上人の主著「選択本願念仏集」に示されております。
「選択本願念仏集」の書写
聖人は法然上人の門下で勉学に励み、1205年に「選択本願念仏集」の書写を許された。法然は、専修念仏を曲解されることを恐れ人には見せなかったが、聖人は門下となって4年後に書写を許された。
このように聖人が勉学に励んだことは、聖人の筆とされる「観無量寿経註」「阿弥陀経註」にうかがい知ることが出来る。
専修念仏批判
東山吉水で法然は専修念仏を説いていたが、年ごとに信者が増えていった。それに伴って、旧仏教教団の僧達は脅威を感じて批判を行っていった。
1204年、比叡山の衆徒が天台座主に対して専修念仏の停止を訴えた。朝廷は、この意向を受けて直ちに法然教団に戒告を発した。
これに対し、法然教団は朝廷へ「七箇条起請文」を提出した。この文は、法然とその門弟百数十人の連署があるが、この中に僧綽空という名の聖人の署名がある。
承元の法難
1207年、朝廷は法然門下に対する弾圧を開始した。これは聖道門諸宗や朝廷が、専修念仏が自分たちにとって不都合であることイコール悪であると決めつけ弾圧を行ったものである。
この時、処罰を受けた者は、死罪4名、流罪6名であった。法然は土佐に、聖人は越後国国府(現在、新潟県直江津市)へ流罪となった。
聖人の結婚
聖人は流罪地の越後国国府の土豪三善爲教の娘・恵信尼と結婚した。恵信尼との間に、小黒女房・善鸞・明信・有房・高野禅尼・覚信尼の三男三女を授かった。恵信尼は、地方女性としては教養の高い人物であったようである。
聖人の東国伝道
1211年、聖人は39歳の時流罪が許された。1214年、家族とともに関東へ向かった。聖人は、東国在住は約く20年に及んだ。聖人の晩年には、東国一円に数万名の門徒が存在したと思われる。
有力な門徒組織は、高田門徒・鹿島門徒・河和田門徒・布川門徒・横曽根門徒・佐島門徒・島門徒・浅香門徒等がある。
親鸞聖人の著述
聖人の著述として、「顕浄土真実教行証文類」(教行信証)があります。そして、三帖和讃といわれる阿弥陀如来のお徳を讃えた「浄土和讃」、お念仏を伝えて下さった七人の高僧を讃えた「高僧和讃」、阿弥陀如来のお救いのたのもしさを讃えた「正像末和讃」、3つの和讃です。
聖人の結婚に至る経緯
親鸞聖人が31歳(1203年)の時、六角堂の救世観音の夢をご覧になり、
「行者宿報設女犯」「我成玉女身被犯」「一生之間能荘厳」「臨終引導生極楽」(念仏の修行者のあなたが、宿縁にあって結婚されるなら、私(救世観音)が女性の身になって妻となりましょう、一生の間能くあなたにお仕えし、臨終には極楽に生まれるように引導いたしましょう)
というお告げがあった言われています。「覚如上人の御伝鈔より」
又、法然聖人の「聖の生活でお念仏が称えられなければ、妻帯をしてお念仏を申せ」という指示が結婚への決断を促したと思われます。
近世仏教
江戸幕府の政治は、法度政治で近世封建社会を確立した。仏教教団に対しても寺院法度によって統制し、封建社会の機構に組み入れていった。
その機構は、それ以前の織田信長の全国を統一するための天台宗や真宗など大教団の権力を武力によって排除し、その後の豊臣秀吉は、検地・刀狩を行って仏教教団の持つ寺領や武力を没収などして、中世的な寺院権力を自分たちの権力の中に組み入れていった。
江戸幕府の法度による仏教統制は、織田信長・豊臣秀吉の仏教政策の後を受けて完全に封建体制の中に組み込んでいったのが特徴である。
近世は、江戸幕府によって檀家制度が確立され、形式的な儀式のみを行う葬式仏教・法要仏教へと変質していった。