葬儀と関係の深い仏教の推移

ホーム > 葬儀と関係の深い仏教の推移

   「急な葬儀」、どうすればと困ってしまいます
           

〇最初に、枕経(まくらぎょう)を依頼
〇 葬儀社を何処にするか、決めかねている方

〇 葬儀の時、お寺・僧侶を何処に依頼すればよいか、
  分からない方
僧侶・司法書士などのグループ
  元警察官の僧侶が顧問の
  「良心のお葬式」
電話06-6468-3051

葬儀と仏教の推移(歴史)

火葬の始まり

日本に仏教が伝えられたのは欽明天皇の時代で百済の聖明王が、釈迦仏金銅像をはじめ経典・仏具などを朝廷に奉献した。これが仏教が公に伝えられた始めで、「仏教の公伝」といいます。

これ以前に、中国や朝鮮からの渡来人によって仏教は伝えられていた。この時期、カマド塚から火葬の風習が認められる。

わが国、初の寺院建立
敏達天皇の頃、(584)蘇我馬子は、飛鳥の桜井の家を寺院とした。又、豊浦の大野丘の北に塔を起して仏舎利を祀った。

出家
仏舎利などを供養礼拝するために、司馬達等の娘、善信尼など三尼が出家した。飛鳥の桜井の家は、日本最初の尼寺、豊浦寺に発展した。善信尼らは、崇峻天皇元年(588)、百済に留学して戒律を学び、帰国後は、豊浦寺に住まい多くの尼僧を出家させた。

仏教へ帰依
587年、用明天皇は、天皇として初めて仏教に帰依することを表明された。

わが国最初の寺院(飛鳥寺)の建立
蘇我馬子は、仏教の興隆を推進するために、百済から送られてきた技術者を使って、我が国最初の本格的な寺院-法興寺(飛鳥寺)を大和飛鳥に建立した。

 

氏族仏教の形成
594年、推古天皇が発布した「三宝興隆の詔」によって、仏教が国家的に認められることとなった。この「三宝興隆の詔」によって、寺院46・僧816人・尼569人となり、仏教は各氏寺を中心に急速に発展し、氏族仏教が形成された。

聖徳太子-仏教を採用
604年、聖徳太子は「十七条憲法」を制定された。聖徳太子は、政治と仏教をとの関係を深く考察し、仏教によって民衆の人格の平等と尊厳を確立して、平和な社会を建設すべきことを説かれた。

聖徳太子が建立の寺院
聖徳太子が建立した寺院は、四天王寺・法隆寺・中宮寺・橘寺・峰丘寺・池後寺・葛木寺の七カ寺と伝えられている。

 

律令仏教

氏族仏教から国家仏教へ
大化の改新によって、律令制度がしかれるとともに、仏教に対しても「仏教興隆の詔」によって、十師などの僧官を設けて、国家的な立場から仏教を興隆し、寺院や僧尼を統括した。

これによって、各氏寺とその僧尼は国家のもとに組織され、氏族仏教から国家仏教へ展開していくこととなった。

鎮護国家の仏教
律令国家の支柱としての鎮護国家の仏教は、官大寺を中心に全国的な規模で展開する基盤が築かれた。中央をはじめ各地で建立された多くの寺院は、天皇・国家の安寧を祈願するための公的な機関であり、僧尼はこれらの寺院に専住して、鎮護国家のために奉仕すべく位置づけられた。

律令仏教の展開
702年、仏教教団統制法である「僧尼令」が制定された。この僧尼令は、釈尊が定められた戒律によって、自律的に運営される仏教教団の在り方を無視するものであった。

又、僧尼の宗教活動を寺院内に限定して、民衆の救済を求めて仏教を伝道するという大乗菩薩思想の実践は国家から禁止された。このように僧尼令は、非仏教的立場から、僧尼を律令国家の枠の中に位置付けした律令的仏教信仰で、律令仏教といわれる。

行基と律令仏教
律令仏教の確立によって、仏教教団は国家体制の中に組み込まれた。しかし、律令仏教を批判し、仏教実践の正しいあり方を身をもって実践した人々が現れた。その一人が行基で反律令仏教の立場を示した。

 

奈良仏教
奈良時代の仏教は学問的に発達し、南都六宗が成立した。六宗とは、三論・成実・法相・俱舎・律・華厳の諸宗をいうが、後世の宗派のように寺院中心の信仰集団ではなく、特定の教学を専攻する僧の集団であった。奈良時代の仏教は、国家の保護によって一大繁栄を遂げた。

 

平安仏教
最澄と空海は、平安京を中心に天台・真言の二宗を開創して、大乗仏教の立場を明らかにして平安仏教を確立した。平安仏教は、天台・真言など諸宗は貴族社会の現実的欲求に対応する呪術的な祈祷仏教へ展開していった。

このように、平安仏教は密教化され祈祷宗教化・民族宗教化へと発展していった。

 

中世仏教
平安時代から鎌倉時代にかけて貴族が支配する政治体制が崩壊し、新しく武士が政権を担う体制の時期である。この時代の仏教は、民主をも救済する仏教こそ釈尊の真実の教えであり、大乗仏教の根本的立場であるとした。このことが中世仏教である。

古代の仏教は、律令仏教・貴族仏教といわれるように国家権力と一体化して、国家を背景に民衆を支配する仏教であった。かくして、中世仏教によって、はじめて国家から離脱した人格中心の仏教が確立した。

浄土真宗(葬儀と浄土真宗
仏教の1つの宗派である浄土真宗は、念仏集団が関東各地で形成され、次第に組織化されて京都をはじめ近畿地方で発展していった。

仏教は、その時々の権力者と結びつき或いは利用し利用されながら時代時代によって変貌を遂げていった。
平安時代の貴族の葬儀は、仏教寺院で行い僧侶が念仏し仏教の影響を受けていた。
鎌倉時代には、一般庶民にも仏教が広がり仏式葬儀が行われていた。

 

近世仏教
江戸幕府の政治は、法度政治で近世封建社会を確立した。仏教教団に対しても寺院法度によって統制し、封建社会の機構に組み入れていった。

その機構は、それ以前の織田信長の全国を統一するための天台宗や真宗など大教団の権力を武力によって排除し、その後の豊臣秀吉は、検地・刀狩を行って仏教教団の持つ寺領や武力を没収などして、中世的な寺院権力を自分たちの権力の中に組み入れていった。

江戸幕府の法度による仏教統制は、織田信長・豊臣秀吉の仏教政策の後を受けて完全に封建体制の中に組み込んでいったのが特徴である。
近世は、江戸幕府によって檀家制度が確立され、形式的な儀式のみを行う葬式仏教・法要仏教へと変質していった。